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つながりの強いひと
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藤森二郎
藤森二郎 Jiro FUJIMORI
公式ブログ
「ビゴの店」ビゴ東京シェフ・パトロン 藤森二郎のブログ
1956年 東京、目黒に生まれる
1979年 明治学院法学部卒業
19... |
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ドンク
日本の製パン業者。創業者の性格が猪突猛進するドン・キホーテ(DonQuixote)に似ていた事が店名の由来である。 |
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塚本有紀
塚本有紀[ツカモトユキ]1968年、横浜生まれ、滋賀育ち。京都外国語大学英米語学科卒業。会社勤めのかたわら1993年からル・コルドン・ブルー東京校へ通う。1... |
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レジオン・ドヌール勲章
レジオン・ドヌール勲章(れじおんどぬーるくんしょう) [ 日本大百科全書 ( 小学館 ) ] Ordre de la L gion d'honneur [フランス語] フランスの最高の ... |
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近藤敦
近藤敦くん 7月入会 総務広報委員会 « 愛知県 大府市 大府商工会議所青年部 ('09/07/16) ... 会員募集 · 会員企業紹介 · お問い合わせ. 新入会員紹介. 近藤... |
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西川功晃
西川功晃 [ニシカワタカアキ] 1963年京都生まれ。洋菓子作りを志しながら広島「アンデルセン」で4年間、パン職人として修業。その後、東京の洋菓子店に入る... |
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有元葉子の無水鍋料理 有元葉子 著 無水鍋は密閉性が高いので、蒸しゆで、蒸し煮、蒸し焼きなどに特に威力を発揮するほか、ご飯も絶品、... |
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著者情報 藤田 千秋 北海道生まれ。結婚後まもなくパンを作り始める。島津睦子ケーキングスクールで、パンづくりの方法が決してひとつではないこと、それゆえ... |
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クープ
クープ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: 案内 , 検索 クープ Koop 基本情報 出身地 スウェーデン ウプサラ ジャンル ジャ... |
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藤野真紀子
日本の政治家、料理研究家、エッセイストである。自由民主党所属の前衆議院議員(1期)。 |
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谷崎潤一郎
日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得... |
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ブリオッシュ食パン バターと卵をたっぷりと使ったフランス生まれのパンを紹介します。バターの風味が程よく香り、トーストにするとより一層おいしくいた... |
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神奈川県横浜市出身のフランス料理シェフ。石鍋はフジテレビの料理番組『料理の鉄人』に初代フレンチの鉄人として出演していたことで知られる。番組では緑の... |
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桜井修一
●桜井 修一(さくらい しゅういち)● 有名パティシエ紹介 | TOP ▲ 桜井 修一(さくらい しゅういち)
フラウラ
東京・世田谷
1965年7月9日、埼玉県生... |
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日持
鎌倉時代中期から後期にかけての日蓮宗の僧。駿河国松野の出身。甲斐公・蓮華阿闍梨と称する。日蓮六老僧の一人。駿河国蓮永寺の開山。 |
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手パン
猫の手パンみつけた! ま〜たねえねってば、パンをチェックしてるにゃ・・・
すっごく可愛いパンをみつけました。
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大森由紀子
お菓子についての本を執筆し、ブログ: http://ameblo.jp/omoriyukiko にて、フランス菓子本の翻訳を連載しています。 2006年からはスウィーツ専門誌の編集長... |
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プロフィール
- フィリップ・ビゴとは
- 生い立ち、見習い時代
- パン、菓子の職人となる
- 日本へ渡り、ドンクに勤務
- 「ビゴの店」を開店
- 人物・エピソード
- 主な弟子
- 関連サイト
フィリップ・カミーユ・アルフォンス・ビゴ(、1942年9月17日-)は、フランス・ノルマンディー地方出身のパン職人、菓子職人、実業家。ビゴの店創業者。日本におけるフランスパンの普及に貢献。国家功労賞 シュヴァリエ章(Chivalierdansl'OrdreduMeriteNational、フランス・1982年)、農事功労章 シュヴァリエ章(Chivalierdansl'OrdredeMeriteAgricole、フランス・1987年)、農事功労章オフィシエ章(Officier、フランス・1998年)受章、レジオンドヌール 勲章(フランス、2003年)受章、 文化庁食生活文化大賞(日本・1990年)受賞。日本支部メ ...
生い立ち、見習い時代
| 1942年9月17日、ドイツの占領下にあったフランス・ノルマンディー地方に6人兄弟の4番目(長男)として生まれる。 |
| 生家は祖父の代から続くパン屋であった塚本2000、76頁。 |
| ビゴの名前は正式にはフィリップ・カミーユ・アルフォンス・ビゴであるが、このうちカミーユとアルフォンスは父親が出生届を出した際に応対した役所の戸籍係の名前である塚本2000、77頁。 |
| ビゴの誕生後、父親の経営するパン屋は業績を伸ばし、イヴレ・レヴェックから隣接するル・マン、さらにと、徐々に大きな都市へ移っていった塚本2000、78-79頁。 |
| ビゴは8歳の時から父親の仕事を手伝い始め塚本2000、82-83頁。 |
| 、義務教育を終えた14歳の時から見習いとして働くようになった塚本2000、91頁。 |
| 15歳の時に父親と喧嘩をして家を飛び出し、ラ・ガレンヌ・コロンブの別のパン屋で見習いを続けた塚本2000、92頁。 |
パン、菓子の職人となる
| 17歳の時にパリへ移り、見習い生活のかたわら国立製粉学校の製パン科、さらに食品業職業訓練センターに通い、パン職人と菓子職人の職業適性証を取得塚本2000、92-93頁。 |
| 正式な職人としてクルブヴォアで働いた。 |
| 19歳の時に徴兵され、レ・ゾンドリス、次いでドルーに配属された。 |
| その後アルジェリア戦争の最中にあったフランスの植民地アルジェリアへ配属される予定であったが1962年3月に戦争が終結しアルジェリアが独立を果たしたためレ・ゾンドリスへ戻り、そのまま兵役を終えた塚本2000、93-96頁。 |
| ビゴ曰く、軍からの表彰を辞退するなどしたことから1年半のうち72日間を営倉の中で過ごした塚本2000、95頁。 |
| 兵役を終えた後は再びクルブヴォア、パリで働いた塚本2000、96頁。 |
日本へ渡り、ドンクに勤務
| 1965年4月、ビゴは日本の東京で開かれる見本市でパンを焼く職人の募集に応じ、日本へ渡った塚本2000、18・29-30頁。 |
| 派遣を決めたのは、ビゴが国立製粉学校で師事し、卒業後も交流のあったであった塚本2000、92-93・97頁。 |
| ビゴが若いことを懸念する声に対しカルヴェルは、「誰も指導者に生まれる者はいない、指導者になるのだ。 |
| 少々時間がかかったとしても、ビゴはそうなっていける器ではないだろうか」と庇ったという塚本2000、29-30頁。 |
| 当時ビゴは母親を亡くしたばかりで、「他の誰にも埋めようのない虚ろな思い」を抱えながら毎日を送っていた塚本2000、97頁。 |
| ビゴは当時のことを「母なら日本行きに反対したでしょう」「もし母が生きていたら、来なかったでしょう」塚本2000、29頁。 |
| と振り返っている。 |
| 見本市終了後、フランスパンの製造に携わった兵庫県神戸市のパン屋ドンクの三宮店に技術指導員として勤務することになった塚本2000、28-30・34-35頁。 |
| ビゴはドンクに勤め始めた当初のパンについて、当時手に入った粉の品質が十分でなかったため「レベルの高いパンとはいいがたかった」と述べている(塚本2000、39頁)。 |
| 1966年8月にドンクが東京の北青山に店舗(青山店)を開くと同店へ移った塚本2000、45頁。 |
| オーブンを客から見える場所に置きフランス人の職人がパンを焼くスタイルが人気を博し、出店後まもなくフランスパンブームが起こった塚本2000、47-48頁。 |
| それまで日本人にとってフランスパンとは「塩味が強く、固いコッペパン」を意味する言葉であった塚本2000、52頁。 |
| 塚本有紀は、このようなタイプのフランスパンはレイモン・カルヴェルによって日本にもたらされカルヴァルは1954年9月、日本で行われた製パン業者の講習会に講師として招かれ、フランスパンの製作を披露。 |
| 1964年にも訪日している(塚本2000、21-25頁)。 |
| 、ビゴによって広められたと評している。 |
| 全日本洋菓子工業会元理事長の細内進は、「日本にこんなにフランスパンが普及したのは、ビゴがよい仕事をしたおかげですよ。 |
| いくらめずらしくっても、ビゴの技術がどうしようもなかったら日本人は飛びつかなかったはずです」と評価している塚本2000、136頁。 |
| 1966年秋頃から1967年にかけてフランスパンブームが起こり、ファッションの一部とされるようになった塚本2000、48頁。 |
| それまで主流を占めていたロールパンとの間で起こったシェア争いは「青山ベーカリー戦争」と呼ばれる。 |
| この時期にドンク青山店は1日に2トンフランスパン(バタール)9000本分に相当。 |
| の小麦粉を消費し、ビゴが1人で小麦粉900kg分のパンを焼いたこともあったという。 |
| ドンクは1968年にフランチャイズ方式による店舗の全国展開(ドンク・フランスパン・チェーン)を開始。 |
| ビゴは札幌、神戸、京都と赴任先を変えながら全国の店舗を指導して回った塚本2000、106-107頁。 |
「ビゴの店」を開店
| 1972年頃、ビゴはドンクからの独立を考えるようになった。 |
| ドンクの店舗がない鎌倉での開業を考えたが、それをドンク社長の藤井幸男に伝えたところ、藤井は兵庫県芦屋市松ノ内町にあったドンク芦屋店をビゴに譲渡し塚本2000、109頁。 |
| 、「芦屋にはドンクの店を出さない」と約束した。 |
| 同年2月に「ビゴの店」がオープン塚本2000、109頁。 |
| 売り上げは順調に伸び、同年11月に芦屋市清水町に2号店、1979年に大丸芦屋店、1977年には芦屋市岩園にカフェ・レストラン付きの店舗がオープン塚本2000、110-111頁。 |
| した。 |
| 1980年代にはドンクとの共同出資により三宮と銀座に「ドゥース・フランス」を出店した塚本2000、118-120頁。 |
| 1980年代後半にバブル景気が到来すると拡大路線に走り、日本国内の店舗数は16を超えた。 |
| パリにも進出し、パン屋と老舗パティスリーの「メゾン・ラグノー」を買収した塚本2000、192-196頁。 |
| 1980年代後半以降、ビゴはこれらの店舗を手放し、経営を縮小させていった塚本2000、200-202頁。 |
| ものの拡大路線をとったことによる負債は容易には解消できず、自転車操業に追い込まれ、業界では倒産は時間の問題と噂されるようになった塚本2000、203頁。 |
| 1990年には食品メーカーからビゴのブランドと店舗を9億円で買いたいという申し出があり、その2年前に心筋梗塞の手術をしていたビゴは負債を一気に返済し老後の蓄えもできるという理由から承諾しようとしたものの、従業員の反対に遭い断念している塚本2000、200-201頁。 |
| 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では店舗が深刻な被害を受け、三宮の「ドゥース・フランス」など複数の店舗を手放し、従業員が半減した。 |
| しかしそのことによって経費が削減され、政府系金融機関から無利子の融資を受けることができたこともあって経営状態は改善した。 |
| これについてビゴは、「皮肉なもの」と述べている塚本2000、204-216頁。 |
人物・エピソード
| 弟子の松岡徹パンテコ代表取締役社長塚本2000、111-113頁。 |
| によると、ビゴは生地を見るだけでこね上げた温度を、焼きあがったパンを見るだけで焼きあげた窯の温度を見破ることができる。 |
| ある時「窯の温度が5度低い」と指摘され、半信半疑で温度を5度上げたところ、出来のいいパンが焼きあがったという塚本2000、113-114頁。 |
| 弟子の藤森二郎ビゴ東京代表取締役塚本2000、120-121頁。 |
| によると、ビゴは「ふつうの人はこの辺で、というゾーンで仕込む」ところを、「これ以上はダメ」というギリギリのところまで仕込む。 |
| 藤森は「彼に『この辺』というあいまいな考え方は通用しません」と述べている塚本2000、113頁。 |
| 弟子の西川功晃コム・シノワシェフ・ブーランジェ塚本2000、122-124頁。 |
| によると、ビゴには「本来捨てる部分をどうにかして使おう」という「日本人的職人の面」がある。 |
| 西川はある時リンゴの皮を捨てるなと命じられ、シロップで煮た皮を生地に練り込んだシュトレンを開発した塚本2000、124頁。 |
| 全日本洋菓子工業会理事長の細内進は、ビゴのフランスパンについて「固いんだけど、口溶けがいい。 |
| バリバリなのに、すっとのどを通っていく」「知らないうちにたくさん食べられるのがいいパンです。 |
| それがビゴのパン」と評している塚本2000、136頁。 |
| 「とにかくフランスと同じようにやろう」という思いから、開店当初はあんパン、クリームパン、カレーパンといった日本独自のパンは作らなかった。 |
| しかし途中から餡を包んだフランスパンや明太フランスを売るようになった。 |
| このことについてビゴは「商売が長いと、逆にいい意味で許されることもあるんですわ」と述べている塚本2000、129-130頁。 |
| パンを作るにあたっては人間のスケジュールに合わせて工程を決めるのではなく、生地の仕上がり具合にスケジュールを合わせる方針を貫いている。 |
| また、製作時間を短縮するためにイーストを増やす、イーストフードを用いる、冷凍した生地を焼く、安定剤などの薬品を添加するといったことを行わない。 |
| この方針に従うと労働時間が非常に長くなるため、ビゴは「規則正しい生活を望む人には、パン屋の仕事は向かない」と述べている塚本2000、158-164頁。 |
| 添加物を使用することを強く嫌っており、「自然を守る」ことを第一に考えたパン製造を行っている。 |
| 大手企業による添加物を使用して量産されたパンに批判的で、製造から長期間経過しても固くならずカビも生えないことの恐ろしさを訴えている重森1987、277-279頁。 |
| ビゴは父親が食べ物の好き嫌いを許さない人物であったことから何でも食べることができるようになり、やがてあらゆる食べ物に対し興味を持つようになった。 |
| ビゴによるとあまりおいしいと感じない食べ物であっても、「何回も何回も食べるうちに良さがわかってくる」のだという塚本2000、155-156頁。 |
主な弟子
| 松岡徹(パンテコ代表取締役社長)。 |
| 庵原克文(ベーカリーうさぎとかめ代表)塚本2000、111頁。 |
| 藤森二郎(ビゴ東京代表取締役)。 |
| 西川功晃(コム・シノワシェフ・ブーランジェ)。 |
| 鈴木信明(日本菓子専門学校製パン専任教師)塚本2000、126頁。 |
| 増田和敬(ヒルトン大阪シェフ)塚本2000、133頁。 |
| 鷲田均(ル・シエル代表取締役)塚本2000、149頁。 |
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1942年
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フィリップ・カミーユ・アルフォンス・ビゴは... |
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1962年
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戦争が終結しアルジェリアが独立を果たしたた... |
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