| 2002-03シーズンはセリエAにおいてチームトップの17得点を挙げた。 |
| またチャンピオンズリーグでは準々決勝アヤックス戦2ndレグにおいて、自らの先制ゴールをはじめとした全得点に絡む獅子奮迅の活躍を見せるなどして、チームの6度目のビッグイヤー獲得に貢献した。 |
| その後2シーズンは怪我に苦しみ、2004-05シーズンに至っては無得点に終わるなど、満足な活躍を見せられなかった。 |
| 2005-06シーズンも当初は欠場を余儀なくされたが、怪我を癒して迎えた第8節パレルモ戦にて、ブランクを感じさせない執念のダイビングヘッドを決めてみせた。 |
| やがて調子を上げたインザーギは、このシーズンから加入したアルベルト・ジラルディーノからレギュラーを奪い、セリエAにおいては12得点を挙げた。 |
| この復活劇は当時のイタリア代表監督マルチェロ・リッピの目に留まり、ドイツW杯メンバーに名を連ねることにもつながった。 |
| またチャンピオンズリーグにおいても、ベスト16のバイエルン・ミュンヘン戦2ndレグ、準々決勝のリヨン戦2ndレグでそれぞれ2ゴールを挙げるなど好調を維持していた。 |
| しかし、準決勝直前に風邪をひきFCバルセロナ戦の1stレグは欠場、2ndレグの出場は叶ったが精彩を欠き、クラブも敗戦し決勝進出を逃した。 |
| ちなみに、2006年3月8日には欧州カップでの通算50ゴール目を決めている。 |
| 2006-07シーズン、チャンピオンズリーグ予備戦レッドスター・ベオグラード戦でホーム・アウェイ共にゴールを決めミランを本戦出場の原動力となるなど滑り出しこそ好調だったが、途中怪我もあり満足な活躍が出来なかった。 |
| しかし、チャンピオンズリーグ決勝リヴァプール戦では「らしさ」をフルに発揮、全2得点を叩き出して勝利への原動力となり、試合後にはマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた(この時のユニフォームはチャリティオークションに出品し、200万円以上の値が付いたと言われる)。 |
| チャンピオンズリーグでの相性の良さ(この時点で66試合38ゴール、歴代3位)を見せつけ、殊に予備戦という最初と決勝という最後で大仕事をやってのけた。 |
| この2ゴールをキャリアでのベストゴールと本人も話している。 |
| 負けたイギリスの新聞には、インザーギの最初の得点がハンドではないかという疑惑に引っ掛けて、「インザーギの腕に負けた」と書きたてたものもあったが、2005年のリヴァプールの奇跡に対するリベンジイスタンブールの悲劇を参照。 |
| この試合にインザーギは出場していないを止められなかったと敗戦は認めた。 |
| なお、手が体に密着していたのでハンドではないとする見方が一般的である。 |
| ちなみにファビオ・カンナヴァーロは最初の得点を見て、「運ではない。 |
| 」と呟いたという(SportsGraphicNumber誌より)。 |
| 2007年11月6日時点で予備予選を含むCLでは45ゴール、欧州カップでは97試合62ゴールを記録している。 |
| 欧州カップでは現役首位、過去を含めてもゲルト・ミュラーと並ぶ最多得点者であったが、2007年12月4日、チャンピオンズリーグ、グループステージ第6節(対セルティック戦)の後半25分にゴールを決め、ゲルト・ミュラーの持つ欧州カップ戦における最多得点記録を抜いた。 |
| そしてFIFAクラブワールドカップ2007決勝ボカ・ジュニアーズ戦でも2得点で優勝に貢献。 |
| CL、UEFAスーパーカップ、CWCと3つの決勝戦で5得点と大舞台での勝負強さを発揮して、2007年を非常に実りのある年とした。 |
| 2007-08シーズンは怪我もあり欠場も多かったが、シーズン終盤には5試合連続ゴールを含む9ゴールを挙げた。 |
| 2009年3月15日、アウェーのシエナ戦で2ゴールを決め、キャリア300ゴールを達成。 |
| シルヴィオ・ピオラ(364)、ジュゼッペ・メアッツァ(338)、ロベルト・バッジョ(318)に次ぐイタリア人においては4番目の同記録達成者となった。 |
| 試合前日に背番号300INZAGHIというユニフォームを用意しており、それを使うこととなった。 |
| 2010年11月3日、ホームでのCLレアル・マドリード戦で2ゴールを決めたが、ゲルト・ミュラーとラウル・ゴンサレスが挙げた欧州カップ通算69得点を追い越す70得点目という歴代最多得点記録となった。 |
| キャリア300ゴール達成時のように、背番号70INZAGHIというユニフォームを用意してその喜びを示した。 |
| 対戦前にも彼を警戒するコメントを発していた敵将ジョゼ・モウリーニョからも祝福を受けた |
| 上記のゴールでキャリア315得点に達しR.バッジョの記録が射程圏内に入った矢先の11日、パレルモ戦で負傷退場、そして左ひざの前十字靭帯及び外半月板の損傷により全治6-9ヶ月と診断された |