| このアルバムをプロデュースしたのは、同レーベル所属アーティストでもあったトッド・ラングレンだった。 |
| 中でも、冒頭を飾るブルースの曲"IJustWantToMakeLoveToYou"は、原曲のイメージを一変させるツイン・リードをフィーチャーしたハードロック・バージョンであり、彼らのサウンドを象徴する代表ナンバーのひとつとなった。 |
| 翌1972年には、セカンド・アルバムを発表するが、このアルバムも内容は違うが同じくタイトルは''Foghat''とされた。 |
| 但し、ジャケットに石(rock)とロールパン(roll)があしらわれていることから、ファーストと区別するため''ロックンロール''、あるいは''ロックンロール・アルバム''などと呼ばれている。 |
| 1974年のサード・アルバム''Energized''は、ヤードバーズの"TrainKeptA-Rollin'"調のHoneyHush"などを始め、よりハードにスケールアップしたナンバーが並び、フォガット・サウンドの発展の跡が窺える作品となった。 |
| 4作目の''RockandRollOutlaws''発表後、トニー・スティーヴンズが脱退する。 |
| 後任として、同アルバムのプロデュースを担当したニック・ジェイムソンが迎え入れられ、バンドは次のアルバム''FoolfortheCity''(1975年)をリリースする。 |
| このアルバムは"SlowRide"が全米トップ40に食い込むなど、バンド最大のヒットを記録した。 |
| 同作発表後ジェイムソンが脱退、カリフォルニア出身のクレイグ・マクレガーが加入する。 |
| 新ラインアップで、''NightShift''(1976年)、そしてバンド初のライヴ・アルバム''FoghatLive''(1977年)とリリースを重ねていった。 |
| 特に後者はベスト・アルバム的な選曲と、オリジナルのスタジオ盤をしのぐテンションの高い演奏で、バンドの絶頂期と呼ぶに相応しい内容となっている。 |
| 1978年の''StoneBlue''では、ロバート・ジョンソンの"SweetHomeChicago"、エルモア・ジェームスの"ItHurtsMeToo"とストレートなブルースを取り上げているが、特に前者はロッド・プライスの豪快なスライド・ギターをフィーチャーしたハード路線で、フォガットのハードブギの健在ぶりを見せつけている。 |
| しかしながら、以降バンドは徐々にその勢いを失っていった。 |
| 1980年の''TightShoes''を最後にロッド・プライスが脱退。 |
| ギターが主導的役割を果たしていたバンドのサウンドの中で、彼の抜けた穴は大きかったと言わざるを得ない。 |
| バンドは、新ギタリストエリック・カートライトを加えて活動を続行するが、続く''GirlstoChat&BoystoBounce''(1981年)では、従来のようなテンションの高さを聴くことはできなくなっていた。 |
| バンドは、あと2枚アルバムを発表し、1985年には事実上の解散状態となった。 |
| 80年代の後半には、ドラマーのロジャー・アールが独自にフォガットを再結成。 |
| これに反発したロンサム・デイヴも別のフォガットを結成し活動するようになった。 |
| 2つのバージョンのフォガットは、メンバーを変更しながら個別に90年代初頭まで活動を続けたが、アルバムをリリースすることはなかった。 |
| ロジャーとデイヴが和解し、1994年、オリジナル・メンバーが再び集結して久々の新録アルバムとなる''TheReturnoftheBoogieMen''をリリースした。 |
| 同作では、"IJustWantToMakeLoveToYou"を原点に返ってブルースっぽいアプローチで再演したものが収録されている。 |
| ロッド・プライスはこの復帰作リリースのあと再度脱退し、続くライヴ・アルバム''RoadCases''(1998年)では、後任ギタリストとしてブライアン・バセットが参加している。 |
| 2000年2月7日、オリジナル・メンバーでバンドのリーダー的存在であったロンサム・デイヴがガンによって他界してしまう。 |
| もはやバンドを続行することは不可能と思われたが、バンドは後任に元テッド・ニュージェント・バンドのヴォーカリスト、チャーリー・ハーンを迎え入れ活動を続けた。 |
| 2003年には、ロンサム・デイヴがいないフォガットとしては初のアルバムとなる''FamilyJoules''をリリースする。 |
| このあと、トニー・スティーヴンズが脱退するが、後任に再度クレイグ・マクレガーを加え、今日もバンドは活動中である。 |
| 一方、ロッド・プライスは脱退後、初のソロアルバム''Open''をリリース。 |
| 2005年3月22日、誤って階段から落ちた際の頭部の怪我が原因となり亡くなった。 |