| 1976年ミック・ジョーンズとイアン・マクドナルドがオーディションを行いアメリカ人3人をスカウトし、フォリナーを結成。 |
| 「スーパーグループ誕生」と話題になった。 |
| 1977年1stアルバム『栄光の旅立ち』が300万枚を売り上げ、早くも人気バンドの仲間入りを果たす。 |
| 1978年2ndアルバム『ダブル・ヴィジョン』が500万枚を売り上げる。 |
| シングル「ダブル・ヴィジョン」が全米第2位(2週連続)を記録。 |
| ドナ・サマーの「マッカーサー・パーク」にNo.1を阻まれる。 |
| 1979年音楽性の相違からベースのエドが脱退。 |
| リック・ウィルスが加入。 |
| 3rdアルバム『ヘッド・ゲームス』は300万枚を売り上げる。 |
| 1980年4thアルバム『4』の製作開始。 |
| この製作中にイアンとアルが脱退しバンドは4人編成となる。 |
| 同時期に隣のスタジオではダリル・ホール&ジョン・オーツが『プライベート・アイズ』の製作を開始していた。 |
| ダリル・ホールの回想によると「あの時期はあまりにも忙しかった。 |
| だけどハッキリと覚えているのはエレクトリック・レディ・スタジオでフォリナーが『4』を製作していた事だ。 |
| 僕らが『プライベート・アイズ』を製作したのと同時に彼らも製作をスタートさせていたんだ。 |
| ところが製作中にイアンとアルだけがスタジオに来て、2人が帰ると他の4人がやって来てアルバムを製作という事が繰り返された。 |
| そのうちイアンとアルはスタジオに来なくなった。 |
| まあ脱退したって事は後で知ったけどね・・・。 |
| それから僕らがアルバムを仕上げ、1年間のツアーに出て、次のアルバム『H2O』を製作する為にスタジオに戻って来てみると彼らはまだスタジオでアルバムを製作していたんだよ(笑)。 |
| それから僕らが『H2O』を仕上げてロードに出ても、まだ『4』を製作していたね。 |
| 結局、彼らの方が僕らの約15倍ものレコードを売り上げる事になったけど」。 |
| 1981年同年発表の4thアルバム『4』は1500万枚を売り上げる記録的な大ヒットとなりビルボード・アルバムチャートで10週連続No.1を記録し、翌年のアルバム年間チャートでは第3位を記録した。 |
| その中からシングル・カットされた「ガール・ライク・ユー」が大ヒットするが、同時期にヒットしたオリビア・ニュートン=ジョンの「フィジカル」とダリル・ホール&ジョン・オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」にビルボードキャッシュボックスともにチャート首位の座を阻まれ続けた。 |
| 皮肉な事にアルバムが1位に輝いた期間もシングルが2位に泣いた期間も同じく10週間であった。 |
| ちなみに、「ガール・ライク・ユー」はラジオ&レコーズでは1位を独走した。 |
| 1982年5thアルバムで初のベストアルバム『ベスト・オブ・フォリナー』をリリース。 |
| 1984年6thアルバム『プロヴォカトゥール(煽動)』をリリース。 |
| 1985年前年にリリースされたシングル「アイ・ウォナ・ノウ」が初のシングルチャート全米No.1(2週連続)を獲得、この年の年間チャートでも第4位を記録。 |
| しかし、売れ線狙いのバラードを優先させるバンドに対し徐々にファン離れが進んで行く。 |
| そして、このバンドの姿勢に不満を露わにしていたのがヴォーカルのルーであった。 |
| 1987年7thアルバム『インサイド・インフォメーション』をリリース。 |
| この時期、バンドは事実上の解散状態にあった。 |
| その最大要因はバラード路線を突き進むミックとバラードを嫌ったルーとの不仲が深刻なものになっていたから。 |
| 1990年遂にボーカルのルーが脱退。 |
| 代わりにジョニー・エドワーズが加入。 |
| 1991年8thアルバム『アンユージュアル・ヒート』を発表するが、ヒットには至らなかった。 |
| 1992年ルーがバンドに復帰。 |
| 9thアルバムで2枚目のベストアルバム『アンド・ビヨンド(ベスト・オブ)』をリリース。 |
| 1995年10thアルバム『Mr.ムーンライト』を発表。 |
| 2002年デビュー25周年記念コンサートを行った。 |
| 2003年ルーが再び脱退。 |
| 2005年ケリー・ハンセンが新ボーカリストになる。 |
| 2006年米SonyBMGの企画『ExtendedVersions』シリーズとしてライブアルバムがリリースされる(日本未発売)。 |
| ルー・グラムにそっくりなケリーのヴォーカルやバックの丁寧なコーラスなど、初期のナンバーを忠実に再現しようとする手堅い演奏が聴かれる。 |