ブハラ・ハン国 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: 案内 , 検索 ブハラ・ハン国 Buxoro Xonligi ← 1500年 - 1785年 → → ブハラ・ハン国の版図(1600年ごろ) 公用語 ペルシャ語 、 チャガタイ語 首都 ブハラ ハーン 1561年 - 1583年 イスカンダル・ハーン 1599年 - 1605年 バーキー・ムハンマド 1611年 - 1642年 イマーム・クリ 1756年 - 1758年 ムハンマド・ラヒール 1785年 - 1799年 シャー・ムラード 1826年 - 1860年 ナスルッラー 変遷 ブハラ遷都 1557年 ジャーン朝成立 1599年 ブハラ・アミール国の成立 1785年 滅亡 1920年 ブハラ・ハン ... もっと見る
ブハラ・ハン国 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: 案内 , 検索 ブハラ・ハン国 Buxoro Xonligi ← 1500年 - 1785年 → → ブハラ・ハン国の版図(1600年ごろ) 公用語 ペルシャ語 、 チャガタイ語 首都 ブハラ ハーン 1561年 - 1583年 イスカンダル・ハーン 1599年 - 1605年 バーキー・ムハンマド 1611年 - 1642年 イマーム・クリ 1756年 - 1758年 ムハンマド・ラヒール 1785年 - 1799年 シャー・ムラード 1826年 - 1860年 ナスルッラー 変遷 ブハラ遷都 1557年 ジャーン朝成立 1599年 ブハラ・アミール国の成立 1785年 滅亡 1920年 ブハラ・ハン国 (ブハラ・ハンこく、 英語 :Khanate of Bukhara、 ウズベク語 :Buxoro Xonligi)は、 16世紀 初頭から 20世紀 初頭まで、 ゼラフシャン川 流域、 ヌル・アタ山地 、 アム川 流域に栄えた諸 テュルク系 イスラム王朝 。現在の ウズベキスタン 、 トルクメニスタン 、 タジキスタン の一部に存在した。基本的に「 ブハラ に首都を置き、 ハーン を推戴する国家」の総称なので、歴史的には シャイバーニー朝 , ジャーン朝 , マンギト朝 の3王朝を指す。このうちマンギト朝はハーンから アミール へ君主号を変えたので、 ブハラ・アミール国 とも呼ばれる。 目次 1 歴史 1.1 シャイバーニー朝 1.2 ジャーン朝 1.3 マンギト朝 2 歴代君主 2.1 シャイバーニー朝 2.2 ジャーン朝(アストラハン朝) 2.3 マンギト朝 3 参考資料 4 関連項目 歴史 シャイバーニー朝 1557年 、 シャイバーニー朝 の イスカンダル・ハーン (在位: 1561年 - 1583年 )の代に サマルカンド から ブハラ に遷都して以降、ブハラ・ハン国と呼ばれるようになる。 アブドゥッラーフ2世 (在位: 1583年 - 1598年 )の治世下において最盛期を迎え、 バルフ 及び フェルガナ ( 1573年 )、 タシケント ( 1576年 )、 ホラーサーン の ヘラート および マシュハド ( 1582年 - 1583年 )、 ホラズム ( 1593年 - 1594年 )を征服した。この時、 ロシア帝国 との接触も起こった。 ジャーン朝 ピール・ムハンマド2世 (在位: 1598年 - 1599年 )の死後、シャイバーニー家が断絶したため、シャイバーニー朝は バーキー・ムハンマド にハーン位を譲り、 ジャーン朝 (アストラハン朝)( 1599年 - 1753年 )に代わった。 1611年 頃に即位した イマーム・クリ (在位:1611年 - 1642年 )は国内の治安と経済の発展をはかり、首都ブハラに各地から著名な学者を招いて学芸の振興に努め、ジャーン朝の最盛期を築いた。このことは中央アジアの 暗黒時代 における唯一の光明となった。しかし、イマーム・クリの死後は後継争いが相次ぎ、次第に荒廃していった。 1740年 、 アフシャール朝 の ナーディル・シャー が中央アジアに侵入すると、ハーンの アブール=ファイズ (在位: 1711年 - 1747年 )はナーディル・シャーから贈り物を受け取り、婚姻関係を結んでアフシャール朝の従属下に入った。この頃から宰相の地位にあって権力を握り始めたのがマンギト部族出身の ムハンマド・ラヒーム であった。彼はアブール=ファイズの後を継いだ アブドゥル=ムウミン (在位: 1747年 - 1748年 )を暗殺して権力を掌握し、 1756年 には最後のハーンである アブール=ガーズィー を廃して自らハーン位に就き、ジャーン朝を滅ぼしてマンギト朝を創始した。 マンギト朝 1850年のブハラ・アミール国 初期の君主はハーン位を名乗ることを躊躇することがあって、ハーン位を名乗ったりアミール位を名乗るなどして君主号が一定しなかったが、 シャー・ムラード (在位: 1785年 - 1799年 )の時に アミール (アミール・アル・ムウミニーン:信徒の長)を正式な君主号としたので、以降をブハラ・アミール国と呼ぶことがある。歴代カリフの称号であった「アミール」を採用したということは、イスラーム国家の理念を掲げるものであり、以降の君主もハーンを名乗らずアミールを名乗り続けた。 19世紀 において バルカン半島 から中央アジアに至る広大な地域を舞台に イギリス とロシアとの間でいわゆる「 グレート・ゲーム 」が展開された。北から侵攻してくるロシア帝国は 1876年 に コーカンド・ハン国 を占領し、 1868年 にはサマルカンドを占領してブハラ・アミール国を、 1873年 には ヒヴァ・ハン国 を占領して中央アジアにおける3ハーン国をロシア帝国の保護国とした。 1920年 10月、労働者の蜂起が起こり、赤軍が首都を攻撃した。蜂起後、国王は逃亡し、革命委員会が権力を掌握し、独立国家と承認された。 1924年 、民族派共産党員の大部分が更迭され、 ブハラ人民ソビエト共和国 (後にブハラ人民社会主義共和国)となった。 歴代君主 シャイバーニー朝 ハーン アブール=ハイル・ハーン ( 1429年 - 1468年 )… ジョチ の子 シバン から7世の子孫 ダウラト・シャイフ の子。 シャイフ・ハイダル ( 1468年 )…アブール=ハイルの子 ムハンマド・シャイバーニー・ハーン ( 1500年 - 1510年 )…アブール=ハイルの子シャー・ブダクの子 クチュクンジ・ハーン ( 1510年 - 1531年 )…アブール=ハイルの子 アブー・サイード ( 1531年 - 1534年 )…クチュクンジの子 ウバイドゥッラーフ・ハーン ( 1534年 - 1539年 )…ムハンマド・シャイバーニーの兄弟マフムードの子 アブドゥッラーフ1世 ( 1539年 - 1540年 )…クチュクンジの子 アブドゥッラティーフ ( 1540年 - 1552年 )…ウバイドゥッラーフの弟 アブドゥルアズィーズ…ウバイドゥッラーフの子 ナウルーズ・アフマド・ハーン (バラク・ハーン)( 1552年 - 1556年 )…アブール=ハイルの子セヴィンチ・ホージャの子 ピール・ムハンマド1世 ( 1556年 - 1561年 )…アブール=ハイルの子ホージャ・ムハンマドの子ジャーニー・ベクの子 イスカンダル・ハーン ( 1561年 - 1583年 )…ジャーニー・ベクの子。 ブハラに遷都 。 アブドゥッラーフ2世 ( 1583年 - 1598年 )…イスカンダルの子 アブドゥル=ムウミン ( 1598年 )…アブドゥッラーフ2世の子 ピール・ムハンマド2世 ( 1598年 - 1599年 )…ジャーニー・ベクの子スライマーンの子 ジャーン朝(アストラハン朝) ハーン ヤール・ムハンマド …マンギシュラクの子。アストラハンから移住してくる。 ジャーニー・ムハンマド …ヤール・ムハンマドの子 ディーン・ムハンマド …ジャーニー・ムハンマドの長男 バーキー・ムハンマド ( 1599年 ? - 1605年 )…ジャーニー・ムハンマドの次男 ワリー・ムハンマド ( 1605年 - 1611年 )ジャーニー・ムハンマドの三男 イマーム・クリ ( 1611年 - 1642年 )…ディーン・ムハンマドの長男 ナズル・ムハンマド ( 1642年 - 1645年 )…ディーン・ムハンマドの次男 アブドゥル=アズィーズ ( 1645年 - 1680年 )…ナズル・ムハンマドの長男 スブハーン・クリ ( 1680年 - 1702年 )…ナズル・ムハンマドの次男 ウバイドゥッラー1世 ( 1702年 - 1711年 )…スブハーン・クリの長男 アブール=ファイズ ( 1711年 - 1747年 )…スブハーン・クリの次男 アブドゥル=ムウミン ( 1747年 - 1748年 )…アブール=ファイズの長男 ウバイドゥッラー2世 ( 1748年 - 1753年 )…アブール=ファイズの次男 アブール=ガーズィー ( 1753年 - 1756年 、 1758年 - 1788年 / 1789年 ?)…イマーム・クリの孫サイイド・イブラーヒームの子 マンギト朝 アミール ムハンマド・ラヒーム ( 1756年 - 1758年 )… 1753年 に アミール を称し、 1756年 に ハーン を僭称した。 ダニヤル・ビー ( 1758年 - 1784年 )…ムハンマド・ラヒームの叔父 シャー・ムラード (マスーム)( 1785年 - 1799年 )…ダニヤルの子、 アミールを称する 。 サイイド・ハイダル・トゥラ ( 1799年 - 1826年 )…シャー・ムラードの子 フセイン・ハーン (1826年)…ハイダルの長男 ナスルッラー・ハーン (1826年 - 1860年 )…ハイダルの三男。 オマル・ハーン(1826年) サイイド・ムザッファル・ウッディーン・ハーン (1860年 - 1885年 )…1868年、ロシア帝国の保護国になる。 アブドゥル=アハド・ハーン (1885年 - 1910年 ) ムハンマド・アーリム・ハーン (1910年 - 1920年 )…労農赤軍の部隊により打倒。 カーブル に逃亡し死去。 参考資料 小松久男 編『世界各国史4 中央ユーラシア史』( 山川出版社 、 2005年 、 ISBN 463441340X ) 岩村忍 『文明の十字路=中央アジアの歴史』( 講談社学術文庫 、 2007年 、 ISBN 9784 ) 関連項目 ウズベク カザフ カザフ・ハン国 コーカンド・ハン国 シビル・ハン国 ジョチ・ウルス テュルク系民族 ヒヴァ・ハン国 ロシア帝国 「 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%8F%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E5%9B%BD 」より作成 カテゴリ : 中央ユーラシア史 | テュルク | ジョチ・ウルス | トルキスタン | ロシアの歴史的地域 戻る




























