| File:PrinzEugenSchraube2.jpg|200px|right|thumb|プリンツ・オイゲンのスクリュー。 |
| キール近郊のラボーにあるラボー海軍記念碑(Marine-EhrenmalLaboe)のそばに置かれている。 |
| 同年5月16日にはドイツのキール軍港で本格的な修理を受けるためノルウェーを後にする。 |
| イギリス軍の空襲をかいくぐり、5月18日にキールへ到着した。 |
| すぐさま用意されていた艦尾を修復する作業に入り、同年末には戦線復帰した。 |
| その後終戦までバルト海で活躍したが、1944年10月15日にはバルト海で軽巡洋艦ライプツィヒと衝突事故を起こし艦首を損傷した。 |
| 1942年2月21日、プリンツ・オイゲンと重巡洋艦アドミラル・シェーア、駆逐艦リヒャルト・バイツェン、パウル・ヤコビ、ヘルマン・シェーマン、フリードリヒ・インはノルウェーへ向かったRohwer,p.146。 |
| Grimstadfjordに短時間立ち寄り、それからトロンハイムへ向かった。 |
| 二日後、Trondheimsfjord沖を航行中にイギリス潜水艦トライデントがプリンツ・オイゲンを雷撃Schmalenbach,p.142。 |
| 艦尾に命中した魚雷によりプリンツ・オイゲンは大きな損害を受け操艦不能に陥った。 |
| プリンツ・オイゲンはLofjordへと曳航され、そこで数ヶ月にわたって修理が行われた。 |
| 艦尾はすべて切り取られ、板で覆われて主導の舵が備え付けられたWilliamson,p.40。 |
| 5月16日、プリンツ・オイゲンは自力でドイツへ向け出発した。 |
| キールへの航海中、イギリスの爆撃機19機と雷撃機27機がプリンツ・オイゲンを攻撃したが命中弾は無かった。 |
| 10月まで修理のため戦列をはなれ、10月27日に公試を開始した。 |
| それから2ヶ月間はバルト海での訓練に費やされた。 |
| 1943年1月初め、ドイツ海軍はノルウェーに展開する部隊への増援としてプリンツ・オイゲンにノルウェーへ戻るよう命じた。 |
| 1月中に2度プリンツ・オイゲンはシャルンホルストとともにノルウェーへ向かおうとしたが、イギリス軍機に発見されたため引き返した。 |
| ノルウェーへの移動が不可能であることがあきらかとなると、プリンツ・オイゲンは練習艦隊に配属された。 |
| 9ヶ月間、プリンツ・オイゲンはバルト海で士官候補生の訓練に使用されたWilliamson,p.41。 |
| 東部戦線においてソ連軍はドイツ軍を押し戻し始めると、プリンツ・オイゲンを砲術支援艦とする必要が生じた。 |
| そのため1943年10月1日にプリンツ・オイゲンは戦闘任務に復帰した。 |
| 1944年6月、プリンツ・オイゲンと重巡洋艦リュッツオウ、第6駆逐隊は第2任務部隊を編成し、それは後にティーレ任務部隊(ThieleTaskForce)と改称された。 |
| 8月19、20日、プリンツ・オイゲンはリガ湾に入りトゥクムスを砲撃したSchmalenbach,p.143。 |
| 4隻の駆逐艦がプリンツ・オイゲンの搭載機アラドAr196とともにそれを援護した。 |
| プリンツ・オイゲンによる砲撃はソ連軍の撃退に効果があったRohwer,p.351。 |
| 9月初め、プリンツ・オイゲンは要塞島、ゴーグラント島攻略作戦を支援したが、作戦は失敗に終わった。 |
| それからプリンツ・オイゲンはゴーテンハーフェンに戻りフィンランドから脱出するドイツ軍を運ぶ船団を護衛した。 |
| 6隻の貨物船からなる船団は9月15位置にボスニア湾から出発し、第2任務部隊の全戦力がそれを護衛した。 |
| スウェーデンの航空機と駆逐艦が船団を追跡したが、妨害はしなかった。 |
| 翌月プリンツ・オイゲンは砲撃支援任務に戻った。 |
| 10月11、12日、メーメルのドイツ軍支援の砲撃を実施。 |
| 二日間にわたる砲撃で約700発の主砲弾を発射した。 |
| 弾薬の補給後再び砲撃に戻り、14日と15日にさらに主砲弾370発を発射した。 |
| ゴーテンハーフェンへの帰投途中の10月15日にプリンツ・オイゲンはヘル北方で敬巡洋艦ライプツィヒに衝突した。 |
| この事故は濃霧により発生したRohwer,p.363。 |
| ライプツィヒは危うく分断されるところであり、2隻は14時間繋がったままであった。 |
| プリンツ・オイゲンはゴーテンハーフェンへ送られ、そこで1ヶ月にわたって修理が行われた。 |
| 11月20、21日、プリンツ・オイゲンはソルベ半島のドイツ軍支援のため主砲約800発を発射した。 |
| 1月中旬、プリンツ・オイゲンはザームラントのソ連軍砲撃に派遣されたWilliamson,p.41–42。 |
| プリンツ・オイゲンはケーニヒスベルクへ進撃するクランツのソ連軍に対して870以上を発射した。 |
| この時点でプリンツ・オイゲンは主砲の弾薬を使い果たしていたが、軍需品の欠乏のため3月まで港にとどまり、それからゴーテンハーフェンやダンツィヒ、ヘラ周辺のソ連軍に対して砲撃を行ったWilliamson,p.42。 |
| 4月8日、プリンツ・オイゲンはリュッツオウとともにスヴィーネミュンデへ向かった。 |
| 4月13日、34機のアブロランカスター爆撃機が港内の2隻を攻撃。 |
| だがこの日は厚い雲のため攻撃は失敗した。 |
| 二日後に再び攻撃が行われ、リュッツオウが撃沈されたRohwer,p.409。 |
| それからプリンツ・オイゲンはコペンハーゲンへ向かい、4月20日に到着。 |
| 5月7日に退役し、翌日イギリス海軍に引き渡された。 |