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プロフィール
- ペドロ・デ・ラ・ロサとは
- 初期の経歴
- F1での経歴
- レース以外の経歴
- 関連項目
- 外部リンク
ペドロ・マルティネス・デ・ラ・ロサ(PedroMartínezdelaRosa,1971年2月24日-)はスペイン人のF1 ドライバー。2003年からマクラーレンチームのテスト兼リザーブドライバーを務めていた。2006年フランスGPからレースドライバーとして復帰したが、2007年は ルイス・ハミルトンの加入に伴い再びテストドライバーに戻っている。2010年シーズンは、第14戦イタリアGPまでザウバーから参戦、実戦は06年最終戦以来となる。F1における事実上の選手会組織であるGPDAの会長を2010年のバーレーングランプリまで務める。
初期の経歴
| 彼は他の多くのF1ドライバーたちと異なるキャリアを歩んだ。 |
| まず彼は1983年から1987年にかけて1:8オフロードRCカーの世界で活躍し、1983年と1984年にヨーロッパRCカーオフロード選手権で優勝。 |
| その後も上位の成績を残し、1986年には準優勝を果たした。 |
| 彼がカートを始めたのは1988年、17歳のときだった。 |
| これは比較的遅いデビューと評価されうるものの、走り始めるとすぐにスペイン自動車連盟のスカラシップ「オフェンシバ・ウノ」の援助を受け、フォーミュラ・フィアット・ウノ・スペイン選手権にステップアップ。 |
| 翌1989年には全7戦のうち2勝に加え3度の表彰台を獲得し、同選手権で総合優勝した。 |
| その後、1990年から1991年のあいだはスペイン、1992年から1994年のあいだはイギリスでキャリアを積んだ。 |
| それぞれ1990年にはスペインのフォーミュラ・フォード1600選手権で総合優勝、1992年にはイギリスのフォーミュラ・ルノー選手権で総合優勝を果たしている。 |
| その後、日本でのレース活動をスタートした。 |
| 1995年の全日本F3選手権にトムスから参戦してシリーズチャンピオンを獲得し、翌1996年にはフォーミュラ・ニッポンと全日本GT選手権にステップアップした。 |
| フォーミュラ・ニッポンでは森脇基恭が率いるチーム・ノバエンジニアリングから参戦し、全日本GT選手権ではカストロール・トムスチームでGT500クラスのスープラをドライブした。 |
| 1997年にはフォーミュラ・ニッポンで全戦表彰台に上がり、シーズン6勝を上げてシリーズチャンピオンを獲得した。 |
| 全日本GT選手権ではミハエル・クルムとのコンビで2勝を挙げ、こちらもシリーズチャンピオンとなった。 |
| このことからついた彼の愛称の一つが「NIPPON-ICHI(日本一)」である。 |
F1での経歴
| (2001年カナダGP)。 |
| 1998年、ジョーダンでテストドライバーを務めた後、1999年にアロウズからF1にデビュー。 |
| チームメイトは高木虎之介だった。 |
| デ・ラ・ロサはデビュー戦となる開幕戦オーストラリアGPで6位入賞し、同年チーム唯一となる1ポイントを獲得した。 |
| 翌2000年もアロウズから出走し、ニュルブルクリンクで開催されたヨーロッパGPとホッケンハイムリンクで開催されたドイツGPのそれぞれで6位入賞し、計2ポイントを獲得した。 |
| 2001年はプロスト・グランプリのテストドライバーとしてシーズンを迎えたが、途中、第5戦スペインGPからルチアーノ・ブルティと交代するかたちでジャガーのシートを得た。 |
| 2002年も引き続きジャガーに在籍したものの、2シーズンのあいだにチームメイトのエディ・アーバインに大きな差をつけられたこともあり、2002年最終戦を最後にレギュラードライバーのシートを失った。 |
| モントーヤの代役として走り、2位を獲得した。 |
| 2003年からマクラーレンのサードドライバーとして契約。 |
| 2004年にマクラーレンはコンストラクターズランキング5位となったために、2005年のレースウィーク金曜日において3台目のマシンを走らせる権利を獲得、そのため主にデ・ラ・ロサが金曜日のフリー走行に参加した。 |
| これは、当初マクラーレンのシャシーが大柄なアレクサンダー・ヴルツのサイズに合わなかった為と言われていたが、シャシーの改良でヴルツがテストに参加できるようになった以降もデ・ラ・ロサが優先されていることから、エースドライバーのキミ・ライコネンとドライビングスタイルが似ていることが大きな理由であると思われる。 |
| なお、第3戦バーレーンGPでは怪我で欠場したファン・パブロ・モントーヤに代わりレースに出場し、5位入賞を果たすとともに、初のファステストラップを記録した。 |
| 2006年モントーヤが来期のNASCAR参戦と共に、シーズン途中でのチーム離脱を発表。 |
| これによりフランスGPより彼が出走する事が決定した。 |
| フランスGPでは7位入賞を果たし、第13戦ハンガリーGPでは、自身初の2位表彰台に上がった。 |
| 2007年は、フェルナンド・アロンソとルイス・ハミルトンが正ドライバーとして加入したので再び同チームのテストドライバーを務めた。 |
| 最終戦のブラジルGPで「私の契約はあと2年ある。 |
| そして、チームにはとても満足している」と本人が言っており、実際に2009年までテストドライバーを務めた。 |
| また、デ・ラ・ロサは2008年度からマクラーレンのカスタマーシャシーで参戦予定だったプロドライブに乗ることは2007年シーズン序盤では「選択肢」であったことを述べている。 |
| (2010年カナダGP)。 |
| 2010年は長く在籍したマクラーレンを離れ、ザウバーのレギュラーシートを獲得。 |
| 小林可夢偉のチームメイトとしてF1に参戦。 |
| 開幕戦からモナコGPまでの6戦はあまりにも低かったマシンの信頼性の為、完走はオーストラリアGPのみのただ1戦であり、マレーシアGPに関しては決勝出走すらできない程の散々たる状況だった。 |
| しかし、チームの懸命な開発もあってトルコGPから復調の兆しをみせ、マシンの安定性と信頼性共に向上し、ハンガリーGPでは予選9位から堅実な走りをみせて7位入賞を果たした。 |
| デ・ラ・ロサの入賞は2006年ブラジルGP以来、実に3年10カ月ぶりの入賞であった。 |
| しかし予選では小林以上の結果を残すも、決勝のスタートで遅れたりマシントラブルやクラッシュなどでポイントを逃したレースも多く、6ポイントに留まり小林可夢偉(21P)に大きく離される形となった。 |
| 9月14日、ザウバーはシンガポールGPより正ドライバーをニック・ハイドフェルドに交代して残り5レースを出場させる事を発表した為、デ・ラ・ロサはレースシートを失った。 |
| この交代劇についてチーム代表は可夢偉の速さを懐疑的に見ており、その可夢偉と予選の勝敗が7勝7敗の互角であったことを解任の理由とした。 |
| またデ・ラ・ロサの「可夢偉を過小評価するな」と言っていた意味がわかったと答え、デ・ラ・ロサは自分の解任を苦笑いをしながら受け入れた |
| 2011年2月ごろには、古巣であるマクラーレンに復帰するのではないかといううわさが流れたが、当初はこれを否定していた。 |
| しかし、3月9日に、マクラーレンのリザーブドドライバーとして復帰したことが発表された。 |
| 6月10日から行われるカナダグランプリに前戦モナコグランプリで負傷し、体調不良を訴えたセルジオ・ペレスに代わり金曜日フリー走行2からザウバーに復帰した。 |
レース以外の経歴
| マクラーレンでのテストドライバーの傍ら、2005年からスペインのテレビ局テレシンコでF1解説者を務めるようになった。 |
| レギュラーシートに復帰した2006年は一時的に離脱したが、2007年から再び解説者としてF1中継を担当した。 |
| 2011年のF1世界選手権からタイヤサプライヤーとなるピレリのタイヤ開発テストドライバーとしてデ・ラ・ロサが起用されていた。 |
外部リンク
| ast:PedrodelaRosa。 |
| simple:PedrodelaRosa。 |
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1971年
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ペドロ・マルティネス・デ・ラ・ロサ(Pedro ... |
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1987年
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かけて1:8オフロードRCカーの世界で活躍し、1... |
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