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フランス国王の公式の愛妾となったポンパドゥール夫人は、湯水のようにお金を使って、あちこちに邸宅を建てさせ(現大統領官邸エリゼ宮は彼女の邸宅のひとつ)、やがて政治に関心の薄いルイ15世に代わって権勢を振るうようになる。
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ポンパドゥール夫人に推されて1758年外務大臣となったリベラル派のショワズールは戦争大臣なども兼務し、およそ10年にわたって事実上の宰相となった。
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フランスの重農学派ケネーも彼女の主治医であった。
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ベッドの上でフランスの政治を牛耳った「影の実力者」といえる。
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ポンパドゥール夫人の有名な言葉は「私の時代が来た」。
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1756年には、オーストリアのマリア・テレジア女帝、ロシア帝国のエリザヴェータ女帝と通じ反プロイセン包囲網を結成した。
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これは「3枚のペチコート作戦」と呼ばれる。
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特に宿敵オーストリアとの和解は外交革命と言われるほど画期的であり、和解のために後年マリー・アントワネットがフランス王室に嫁ぐこととなる。
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ポンパドゥール夫人は美貌ばかりでなく学芸的な才能に恵まれ、サロンを開いてヴォルテールやディドロなどの啓蒙思想家と親交を結んだ。
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また芸術の熱心な愛好家、パトロンでもあり、様々な芸術家とも交流した。
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ポンパドゥール夫人の時代はフランスを中心に優雅なロココ様式の発達した時代になった。
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30歳を越えたころからルイ15世と寝室をともにすることはなくなったが、代わりに自分の息のかかった女性を紹介した。
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ルイ15世はポンパドゥール夫人が42歳で死ぬまで寵愛し続けたという。
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鹿の園を建ててルイ15世好みの女性を住まわせたといわれるが、いわゆるハーレムのようなものではなかったとされている。
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現代では、ポンパドール(pompadour)と呼ばれ、女性の髪形のひとつで、前髪を大きく膨らませて高い位置でまとめ、ピンやバレッタなどで留めたヘアスタイルのこととして、女性版のリーゼントのような形で流行となっている。
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襟足もあげて、後頭部でまとめるのが正式なスタイルとされる。
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当時の貴族の女性はこぞってポンパドール夫人のファッションを真似、その髪型をポンパドールと呼ぶようになった。