| エグゼター大聖堂の少年聖歌隊員として音楽活動に入り、オルガン教育もそこで受けた。 |
| オーランド・ギボンズの兄エドワードに師事。 |
| オーランド・ギボンズの息子クリストファーとも知り合いとなり、その後も2人はしばしば協力関係を結んだ。 |
| エグゼター大聖堂のオルガニストの称号を得る。 |
| イングランド内戦の時期に、皇太子時代のチャールズ2世と知り合ったが、チャールズ2世のオランダにおける亡命宮廷に仕え、その地で声楽曲を作曲していたかどうかは疑わしい。 |
| 王政復古後はチャールズ2世の寵臣となる。 |
| 1653年に、ポルトガル大使の歓迎式典のために、マスク《キューピッドと死神》をクリストファー・ギボンズと共作する。 |
| ジェームズ・シャーリーの台本によるこの作品は現存しているものの、最初の英語オペラと見なされている《ロードス島の攻囲TheSiegeofRhodes》(1656年~)は、あらかた散逸していて現存しない。 |
| 《ロードス島の攻囲》は、ヘンリー・クックら他の数人の作曲家との共作であり、台本作家はウィリアム・デイヴナント卿であった。 |
| 一方、トマス・シャドウェルの台本による《テンペストTheTempest》(1674年~)は現存している。 |
| この作品もまた共作で、アリアのいくつかはジョン・バニスターが、マスクのいくつかはペラム・ハンフリーが担当している。 |
| しかしながら部分ごとの首尾一貫性があり、全体像はいわゆる「劇付随音楽」として、ロックの手でまとめられている。 |
| この作品で記憶に残りやすいのは、「序幕の音楽(カーテン・テューン)」であり、ロックはクレシェンドを(音楽史上で)初めて使って、嵐の模倣を表した。 |
| オリヴァー・クロムウェルが護国卿だった時期は、世俗音楽の作曲家にとってまことに怪しからぬ時期であった。 |
| ロックにとっては、そのうえ危険な時期でもあった。 |
| カトリックに改宗していたからである。 |
| ロックは、ヘンリー・パーセルの父親やおじと親交があり、パーセル少年がロックを身近に知っていたことは間違いない。 |
| 重要な出版人ジョン・プレイフォードとも親交があった。 |
| 1650年代の中ごろに、ヘレフォードシャー出身の1歳年下の女性と結婚した。 |
| ロックの経歴は、1660年の王政復古とともに盛んになった。 |
| チャールズ2世は弦楽器に熱狂したため、ロックを新設された弦楽合奏団の作曲家と、私的な宮廷作曲家に任命した。 |
| 一方のロックは、戴冠式の音楽を作曲しているが、その器楽パートに、伝統的な王宮吹奏楽団(HisMajesty'sSagbuttsandCornetts)を利用している。 |
| 加えてロックは、ジョヴァンニ・バッティスタ・ドラーギと争って、王妃キャサリンの専属オルガニストの地位を手に入れた。 |
| チャールズ2世のカトリック贔屓から、敬意をもって大幅に好意的な態度をロックに示したということもあり得なくない。 |
| しかしながらこれは、非カトリックの作曲家たちの宿怨を買うという弱みにもなった。 |
| おそらく反対陣営の肩入れで、ロックは博士号を取得し損なったと思われる。 |
| ロックの初期作品は、コプラリオやギボンズ、ウィリアム・ローズらが示してきたような、ガンバ・コンソートのためのファンタジアという古い伝統に完全に依拠している。 |
| とはいえチャールズ2世は、この古臭いポリフォニー様式に決して興味があったわけではなく、ヨーロッパ大陸のリズミカルな舞曲にすこぶる熱狂した。 |
| 実際ロックは喜んで国王の需要に応えたが、外国人の宮廷作曲家が増え始めると、決まって次第に怒りっぽくなった。 |
| ロックはイギリス音楽の防御を自分のなすべき使命と見做したのである。 |
| 自分がイギリス最高の音楽家であると十二分に自覚していたが、それに酔ったり溺れたりはしなかった。 |
| その後はライバル叩きを繰り返したが、攻撃された一人のジョン・バーチェンシャーは、毒舌をもって反発した。 |
| 曰く、「(ロックは)明らかにカッとし易い性格だった。 |
| 国王がルイ・グラビュのような人物を重用すると、とりわけ苛々したに違いない」ルイ・グラビュは、ジョン・ドライデンが非常に熱狂した《アルビオンとアルバニウス》の作曲家。 |
| 没個性的で凡庸な人物だったらしい。 |
| ロックはそれでもマスクに多くの影響を与えたが、ロックの作風は、たいてい国王の好みよりも「重厚な」ところがあった。 |
| 器楽曲や劇音楽に加えて、ロックはアンセムの作曲家でもある。 |
| ロックのアンセムは単純明快でわりあい聴きやすく、それでいてしばしば驚くほどの衝撃力を秘めている。 |
| ロックのアンセムはとりわけジョン・ブロウに影響を及ぼした。 |
| 生前ロックは、多くの同僚作曲家から嫉妬の目を向けられたが、非常に人気の人物でありつづけた。 |
| サミュエル・ピープスは、ロックの作品の価値を評価している。 |
| イギリス・バロック音楽の開拓者として、ロックはしかるべき地位に就いていた。 |
| パーセルは宮廷作曲家としてロックの後を継ぎ、ロックのために追悼音楽を作曲した。 |
| 後世になるとロック作品はやや忘れられがちであったが、20世紀になると関心が取り戻された。 |
| かくてイギリスのバロック音楽におけるロックの重要性が、再認識されるようになったのである。 |