| 一日一食の日もあるほど貧しい野菜農家に生まれた。 |
| 六年生の時に父が行方不明となったため、母を助けて路上で花やフィリピンのパン「パン・デ・サル」スペイン語で「塩のパン」。 |
| 、煙草のバラ売りをしていた。 |
| 家計を助けるために12歳からボクシングを始め、14歳の時にマニラへ出て路上で寝泊まりしながらトレーニングを積んだ『ボクシング中量級黄金伝説神々の拳』11ページベースボール・マガジン社。 |
| アマチュアではフィリピンのナショナルチーム入りを果たすなどして、16歳1か月でプロデビューした。 |
| サウスポースタイルからステップインをして放つ左ストレートが必殺技。 |
| また、ハードパンチャーでありながら手数の多さを兼ね備えている。 |
| スーパーフェザー級時代まではパワーと勢いを活かした猛烈なラッシュで勝ち続けていたが、ライト級以上の階級に上げてからは右リードジャブ、右フック、巧みなフットワークにも磨きがかかり、さらなる進化を遂げている。 |
| 2001年6月23日に王座挑戦者候補だった選手二人が故障で出場を辞退した際、トレーナーのフレディ・ローチに挑戦者に抜擢され、KO勝ちでIBF世界ジュニアフェザー級(現スーパーバンタム級)王座を奪取し、2階級制覇を達成したことが、一試合で2,000万ドル以上を稼ぐボクサーへの大きな一歩となった。 |
| また、フィリピン人ボクサーが米国で活躍する契機となり、軽量級のアジア人ボクサーへの注目と評価を高めることにも貢献した。 |
| アジア人として初めてHBOのPPV放送でメインイベントを務めた。 |
| アメリカで名前が売れ始めたばかりだったホルヘ・エリセール・フリオ戦ではマイケル・バッファーに「TheDestroyer(破壊者)」というニックネームでコールされた。 |
| しかし、その後、コンピュータゲームのパックマンにひっかけて「Pacman(パックマン)」というニックネームが定着した。 |
| これは、パッキャオの名前にひっかけていることと、ゲームのキャラクターさながらに大物ボクサー相手に次々と番狂わせの勝利を連発していることから付けられた。 |
| さらにパッキャオ本人がこのゲームのファンであり、TheDestroyerというニックネームを気に入っていたトップランク社やバッファーを説得してパックマンとコールしてもらうように自ら要望した。 |
| また、メキシコの名ボクサー達を次々と倒して名を挙げたことから「MexicanKiller(メキシカン・キラー)」とも呼ばれる。 |
| 本人は「今まで倒してきた多くの強豪がたまたまメキシコ人だっただけで、私はメキシコ人に何も恨みは無いのだからメキシカン・キラーと呼ばないで欲しい」とデラホーヤ戦の前日会見でコメントしている。 |
| パッキャオが4階級制覇を達成した試合のフィリピンでのテレビ視聴率は63.8%を記録『ボクシング・ワールド』2008年8月号より。 |
| さらに「TheDREAMMATCH」と銘打たれた2008年12月6日のオスカー・デ・ラ・ホーヤ戦は、フィリピンでのテレビ視聴率は45.6%を記録し、さらには世界金融危機の真っ只中だったにもかかわらず、HBOのPPV中継の売り上げは125万件を突破して興行収益は7,000万ドル以上となり、KO勝ちしたパッキャオはアジア人史上最高額となる2,000万ドル以上のファイトマネーを獲得。 |
| 2009年5月2日のリッキー・ハットン戦でもフィリピンでの視聴率は43%を記録しhttp://www.pep.ph/news/21656/AGB-Mega-Manila-TV-Ratings-(April-28-May-3):-TV-coverage-of-Pacquiao-Hatton-match-scores-a-knockout!、パッキャオはKO勝ちしてファイトマネーとPPV売り上げにより1,200万ドルから2,000万ドル以上のファイトマネーを獲得した『ボクシング・マガジン』2009年7月号より |
| また、『タイム』誌が選ぶ「TheWorld'sMostInfluentialPeople(世界で最も影響力のある人物100人)」の「Heroes&Icons(英雄と象徴)」部門の2009年版に選ばれ、元世界ヘビー級王者レノックス・ルイスに「パッキャオは世界最高のボクサーで、パウンド・フォー・パウンド最強だ。 |
| マニーはいずれフィリピンの大統領になるだろう。 |
| ボクシングにはマニーのような存在が必要だ」と紹介されるhttp://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1894410_1894289_1894356,00.html。 |
| パウンド・フォー・パウンド最強候補の最大のライバルであるフロイド・メイウェザー・ジュニアとの夢の対決の実現が期待されている。 |
| 2010年3月13日と11月13日にメイウェザー戦実現を目指して2度の期間に渡って交渉が行われてきたが、フライ級出身のパッキャオがウェルター級でも全く無駄な脂肪のない引き締まった肉体で大活躍するという前代未聞の快挙に対して「パッキャオはドーピングを使用しているのではないか?」と疑問を抱いたメイウェザー側がパッキャオとの対戦の際に、オリンピックでも行われているWADA方式のランダムな日程で尿検査と血液検査の両方が行われるドーピング検査を実施することを要求した。 |
| パッキャオは宗教上の理由で血を抜かれることを嫌っていることに加え、ネバダ州アスレチック・コミッションなどが事前に指定した日付に実施している尿検査で陽性反応が出たことが一度も無いのにドーピング疑惑をかけられたことで一時期は名誉毀損による訴訟問題に発展。 |
| 最終的にパッキャオは尿と血液の両方の検査、試合直後の検査は受け入れる姿勢だったが、試合前の早い段階での検査は拒否し、メイウェザーが譲歩しなかったため交渉は決裂した |
| その後、メイウェザーが主張するドーピング検査をパッキャオが受け入れたため試合が実現するかと思われた。 |
| しかし、メイウェザーは突然2度目の引退を発表した。 |
| この不可解な行動により米国の関係者及びボクシングファンは「メイウェザーは逃げた」という見解で一致している。 |