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プロフィール
- マニー・ラミレスとは
- 経歴
- クリーブランド・インディアンス
- ボストン・レッドソックス
- ロサンゼルス・ドジャース
- タンパベイ・レイズ
- 選手としての特徴
- 人物
- 獲得タイトル・表彰・記録
- 年度別打撃成績
マニー・ラミレス(ManuelArístides"Manny"Ramírez,1972年5月30日-)は、MLBの元プロ野球選手(外野手、指名打者)。右投右打。ドミニカ共和国サントドミンゴ出身。現代メジャーリーグ屈指の好打者であり、スラッガーであった。驚異的に打点を稼いだことからアメリカではRBIMachineとも呼ばれた。
経歴
| ドミニカ共和国のサントドミンゴで生まれ、13歳の頃に家族と共にニューヨークへ移り住む水次祥子「マニー・ラミレス |
| ジョージ・ワシントン高校へ入学し、野球部に入部。 |
| 当初、ボールを打つことができず、コーチから投手を勧められ投手として野球を始めた谷口輝世子「NEXTDOMINICANDREAMサーサに続くドミニカの星MannyRamirez」『スラッガー』1999年8月号、日本スポーツ企画出版社、1999年、雑誌05456-8、40-43項。 |
| 当時憧れていた選手は、母国ドミニカ出身でトロント・ブルージェイズの主砲として活躍していたジョージ・ベルだったCallumHughson, |
| バッティングにこだわりのあるラミレスは毎日早朝練習を続け、ボールを打てるようになってコーチに打者転向を直訴し、打者へ転向。 |
| 2・3年のときには打率6割を記録し、3年生の時にはニューヨーク市の最優秀選手に選出された。 |
| 6月のドラフトでクリーブランド・インディアンスに1位(全米13位)指名を受け契約金25万ドルで入団。 |
| プロ1年目のはルーキーリーグで59試合に出場し19本塁打、63打点で2冠王となる。 |
| 他にも打率.326で3位、長打率・塁打数でもリーグ1位、4試合連続本塁打を記録するなどし、ベースボール・アメリカにショートシーズン・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。 |
| には1Aでプレー。 |
| この年はケガによる欠場もあったが、5月1日から6月30日にかけて47試合で47打点を記録するなど活躍した。 |
クリーブランド・インディアンス
| FAの超目玉であるラミレスが示した希望額は8年1億6000万ドルという破格の金額であった。 |
| また、長くプレーしたいと思っていたラミレスは、将来的にDHになることを考えていたためア・リーグのチームを希望していた。 |
| これに対しヤンキースを始め複数の球団が獲得の意思を示したが、最終的には、ラミレス自身がプレーしたいインディアンスと、ラミレスの希望額の満額を唯一提示したレッドソックスに絞られた。 |
| インディアンスは球団の方針として、一人の選手に対してチームの合計サラリーの29%を超える年俸は支払わないことを決めていた為その範囲で支払える満額をオファーしていたが、ラミレスの希望額には及んでいなかった。 |
| 結局、悩みぬいた末にラミレスはレッドソックスを選択、会見でレッドソックスのユニフォームに袖を通すと「ヤンキースが勝つのはもう見飽きた」とコメントし、打倒ヤンキースを誓う。 |
| これ程のラミレスの契約はアレックス・ロドリゲスの10年2億5200万ドルに次ぐ大型契約であった。 |
ボストン・レッドソックス
| 前年に引き続き主に4番打者として出場したが、3番オルティーズが54本塁打、長打率.636という成績だったこと、また5番にそれほどの打者がいなかったことで、彼の打席はオルティーズの一発で走者がいないか、走者がいても一塁が空いていれば四球で歩かされることが多く、彼にしては打点数が伸びず、一方で出塁率はトラビス・ハフナーと並ぶメジャートップの.439、四死球も少ない出場試合数で自己最多の100に上った。 |
| オフにはやはりトレード騒動が持ち上がった。 |
| チームが松坂大輔取得にあたって要する多額の資金を、ラミレス放出で埋め合わせするのではないかとの憶測のもと、ドジャースやジャイアンツなど具体的な球団名とともに盛んに報道されたが、12月に入り、結局残留の方向で落ち着いた。 |
| プレーオフではワールドシリーズ優勝までの全14試合に出場して46打数16安打、打率.348、16打点、4本塁打を記録。 |
| 最終戦を除く全試合に出塁し、出塁率は.508であった。 |
| 地区シリーズ第2戦で劇的なサヨナラ3ラン。 |
| 古巣インディアンスを相手にしたリーグ優勝決定戦では、初戦でオルティーズとあわせて全10打席で出塁。 |
| ワールドシリーズ終盤はやや失速したが、3年ぶりの世界制覇に大きく貢献した。 |
| このシリーズでバーニー・ウィリアムスの持つ22本を超えて単独トップとなる24本塁打、リーグ優勝決定戦第5戦までに記録した15試合連続安打(ピート・ローズと並ぶ歴代最多タイ)、1ポストシーズン最多の3押し出し四球など、多くのポストシーズン記録に名を連ねた。 |
ロサンゼルス・ドジャース
| それまでつけていた背番号24はドジャースではウォルター・オルストンの永久欠番となっており、フェルナンド・バレンズエラ以降着用者がいなかった34で一度合意したが、最終的には99となった。 |
| またレッドソックス時代のトレードマークだったドレッドロックスは監督のジョー・トーリとの会談で切ることになった。 |
| 移籍後は53試合で打率.396本塁打17、打点では出場試合数と同じ53を記録、8月には月間MVPを獲得するなど、ドジャースの地区優勝に貢献した。 |
| プレーオフでも好調を維持し、リーグ優勝決定戦までの8試合で打率.520、4本塁打10打点、出塁率は.667。 |
| 自身の持つポストシーズン最多本塁打を28本に更新、打点も現役選手最多となる74に伸ばした(歴代ではバーニー・ウィリアムスの80に次ぐ2位)。 |
| シーズン終了後FAになったラミレスは代理人のスコット・ボラスと共に6年契約を要求したが、36歳の高齢や、金融危機が影響でラミレスとの高額契約に手を上げる球団は少なく、所属していたドジャースとの交渉が主だった。 |
| 契約交渉は難航し、キャンプイン後も所属球団が決まらなかったが、ドジャースに2年4500万ドルで残留が決まった(2年目の契約にはラミレス側に選択権がある)。 |
タンパベイ・レイズ
| しかし、開幕直後の4月8日に現役引退を発表。 |
| また、この年のスプリングトレーニング中に行われた薬物検査で陽性反応を示し、MLB機構から出場停止処分を命じられていた事が発覚した。 |
| レイズ球団本部は「我々は驚き、そして失望している」とコメント。 |
| レイズの試合に出場したのは僅か5試合で、17打数1安打、打率.059、0本塁打、1打点。 |
選手としての特徴
| メジャーでもトップクラスと言われた打撃能力があった一方、守備や走塁に難があり、度々評論家から批判の的とされた。 |
| 特に守備に関しては、肩は悪くないが打球の追い方と処理に問題があり、レッドソックス時代にStatsInc.が統計として出したPBP(プレイ・バイ・プレイ)のデータによると、仮にグリーン・モンスターの影響を加味したとしても平均左翼手に比べて32ポイントも低い結果が出ている。 |
| マイケル・リットマンが考案し、現在メジャーリーグで高い信頼を受けているアルティメット・ゾーン・レーティングによると、この緩慢な守備のせいでレッドソックスは2006年のシーズンを通してみて平均的な左翼手を置いた場合に比べ、その高い得点能力を差し引いて考えても合計で13得点も損をしている。 |
人物
| 好人物と言われているが気まぐれな発言(「ボストンにいるとプライベートが無いよ!」等)や、あからさまにやる気のないプレー(レフトの定位置で観客と一緒になってウェーブに興じる等)を見せるなど気持ちの波が大きい。 |
| ラミレスの愛称の1つにMannybeingMannyというものがあるが、和訳すると「マニーはマニー」という意味で、ラミレスの自由奔放なプレースタイルや振る舞いから来ている。 |
| これらが原因で、彼のトレードを巡る騒動はシーズン中のトレード期限間際やシーズンオフの風物詩となっていた。 |
| また、メジャーでも指折りの高給取りであったにも関わらず、キャンプ中は自炊をしたりディスカウントショップで買い物をするなど金銭感覚は庶民的という一面も持ち合わせた |
| ボストンの地元マスコミとの間で歪曲された報道が多かったということもあり、2005年から地元のマスコミに対して一切コメントしなくなったが、2007年10月6日のアメリカンリーグディビジョンシリーズ第2戦(対ロサンゼルス・エンゼルス戦)でサヨナラ3ランホームランを打ったときには、その沈黙を破りインタビューで喜びを爆発させた。 |
| その後も、リーグチャンピオンシリーズやワールドシリーズでもインタビューに答え、2008年以後もインタビューに応じている。 |
獲得タイトル・表彰・記録
| 首位打者1回:(.349)。 |
| 本塁打王1回:(43本)。 |
| 打点王1回:(165打点)。 |
| シルバースラッガー賞9回: ※8回はア・リーグ外野手記録(2002年のみ指名打者として受賞している)。 |
| ハンク・アーロン賞2回:1999年、2004年。 |
| ワールドシリーズMVP1回:2004年。 |
| 月間MVP5回:1995年5月、1999年4月、2001年4月、2002年9月、2008年8月。 |
| MLBオールスターゲーム選出12回:1995年、1998年-2008年そのうち1999年-2005年、2008年の8回は先発。 |
| 2006年は外野手最多得票で選出されるも負傷により出場は辞退。 |
| 満塁本塁打数:21本歴代3位。 |
| 歴代1位はルー・ゲーリッグの23本。 |
| All-StarTeams7回:1995年、1999年、2001年、2002年、2004年、2005年、2006年。 |
年度別打撃成績
| 2010年度シーズン終了時。 |
| 各年度の太字はリーグ最高。 |
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1931年
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ルースが49HR・153打点と46HR・163打点、ゲー... |
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1936年
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ハル・トロウスキーが記録したシーズン162打... |
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投票数
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