| この時は地元フランスのセドリック・ピオリーンとの4回戦まで勝ち進んでいる。 |
| この年は全米オープンでも4回戦まで進出し、18歳の早熟な才能を世界にアピールした。 |
| 2000年は彼にとって飛躍の年となった。 |
| 全仏オープンでベスト8に進出し、世界トップ10入りを果たす。 |
| 同年の全米オープン決勝でピート・サンプラスを6-4,6-3,6-3のストレートで破り、20歳の若さで4大大会初優勝を果たした。 |
| 20歳の若者が、ほぼ完璧な試合内容でサンプラスを打ち破って初優勝したことは大きな評判となり、翌年の5月には第2回「ローレウス世界スポーツ賞」の「最優秀新人賞」を授与されている。 |
| 結局2000年は7大会で優勝し、11月20日付けのランキングで世界1位になるなど(年間最終ランキングは僅差で2位)名実共に世界のトッププレーヤーの仲間入りを果たす。 |
| 2001年はウィンブルドン選手権でベスト8に進み、本大会の優勝者となったゴラン・イワニセビッチに6-7,5-7,6-3,6-7で敗れた。 |
| 全米オープンでは、準決勝でサンプラスに敗れて大会連覇を逃した。 |
| 余談だが、この年、フェデラーとダブルスを組んだ、スイスのグシュタードの大会でダブルス初優勝を飾っている。 |
| 2002年の全豪オープンでは4回戦でサンプラスを破り、準決勝でトミー・ハース(ドイツ)をフルセットの末に下して、2度目の4大大会決勝に進出するが、トーマス・ヨハンソン(スウェーデン)に敗れて準優勝に終わる。 |
| 全仏オープンではベスト4に入り、ファン・カルロス・フェレーロ(スペイン)に敗れた。 |
| 2004年の全豪オープンではノーシードからトッド・マーティン、ジェームズ・ブレークといった実力者を下し、準々決勝では当時世界ランク1位のアンディ・ロディックを2-6,6-3,7-5,6-7,6-4で、準決勝ではアンドレ・アガシを7-6,7-6,5-7,1-6,6-3で破り、2年ぶり2度目の全豪決勝に勝ち進んだ。 |
| 決勝ではフェデラーの前に敗れるが、前年のブランクからの完全復活を強く印象づけた。 |
| またATPマスターズシリーズの1つであるパリ・マスターズでラデク・ステパネク(チェコ)を破り、大会最多タイとなる3度目の優勝を飾っている。 |
| 2005年の全豪オープンでは、準決勝で4時間28分の激戦の後にフェデラーを5-7,6-4,5-7,7-6,9-7で倒すと、決勝で地元オーストラリアのレイトン・ヒューイットを1-6,6-3,6-4,6-4で破り、“3度目の正直”で全豪初優勝を果たした。 |
| その後はケガのためツアーを離脱することが多く、また満足いくプレーが出来ずにいたが、2008年のウィンブルドンにて、28歳にして初のベスト4入りを果たす。 |
| サフィンはこの大会の2回戦で、当年度の全豪オープン優勝者ノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破って波に乗り、それまで好成績の少なかったウィンブルドンで自己最高成績を出したが、準決勝では第1シードのロジャー・フェデラーにストレートで敗れた。 |
| 2009年はほとんどの大会で早々の敗退が続き、母国ロシアのサンクトペテルブルクの大会で準決勝に進んだのが最高だった。 |
| パリ・マスターズでの対フアン・マルティン・デル・ポトロ戦が現役最後の試合となり、61位でそのキャリアを終えた。 |
| サフィンはデビスカップのロシア代表選手としても、2002年・2006年と2度ロシア・チームの優勝に貢献した。 |
| 2002年のデ杯決勝でフランス・チームを破った勝利は、ロシアのデビスカップ初優勝であった。 |
| 2000年(2位)、2002年(3位)、2004年(4位)と3度、年末トップ10に入り、テニス・マスターズ・カップにも出場した(うち準決勝進出2度)。 |
| 2000年から2001年にかけて、合計9週間に渡って世界1位に君臨し、ツアー通算15勝には、4大大会2勝とマスターズシリーズ5勝が含まれている。 |