| 彼の超人的な加速力を十分に発揮させるためには、トレインを組む選手も単なるアシスト選手のレベルでは務まらなかった。 |
| 特にチポリーニが飛び出す直前の「発射台」役を務める選手は、他チームならばエースとして自ら勝ちにいけるだけの実力が求められた。 |
| 過去トレインを務めた主な選手には、ヨハン・ムセウ、マリオ・シレア、シルビオ・マルティネッロ、ジョバンニ・ロンバルディ、ジャンマッテォ・ファニーニなどそうそうたる顔ぶれがそろっているマペイ移籍後にムセウは世界選手権優勝やUCIワールドカップランキング1位を達成。 |
| シレアは世界選手権のチームタイムトライアルの優勝者。 |
| ロンバルディはバルセロナオリンピックのポイントレース金メダリスト。 |
| マルティネッロはアトランタオリンピックや世界選手権のポイントレースで優勝経験がある。 |
| ファニーニはチポリーニ自身が移籍にあたって一緒に契約することを要求したほどの実力者で、1998年のジロ・デ・イタリアにおいてはチポリーニがリタイアした後に区間2勝を納めてインテルジロ賞を得る活躍を見せている。 |
| 1995年のジロ・デ・イタリアの第12ステージで、ゴール手前のスプリントで前を塞いだマリオ・マンツォーニのレーサーパンツを摑んで強引に進路を開けさせたために降格処分を受け、ヤン・スヴォラダが繰り上げ優勝となった。 |
| しかし本人はこれを認めず、優勝とみなしている。 |
| ちなみに当時ライバルであったジョバンニ・ロンバルディも第16ステージでマンツォーニに対してラフプレーを行い降格処分となったが、既にリタイアしていたチポリーニは自分の行為をちゃっかり棚に上げて「降格処分だけではなく出場停止にすべき」と語った。 |
| レースのプロローグでは、タイムトライアルで使うスキンスーツに、筋肉、シマウマ、虎などの模様をプリントした特注の全身タイツで現れるのが常だった。 |
| 2004年のツール・ド・フランスではゼブラ模様(チームカラーでもあるのだが)で登場し、腿がきついとばかりに脚の部分だけスタート前にカットしてしまった。 |
| 2005年引退のデモストレーションで現れたジロ・デ・イタリアのプロローグでもマリア・ローザを模したピンク色の全身タイツで登場した。 |
| 1999年のツール・ド・フランスの第9ステージで、その日がユリウス・カエサルの誕生日(7月13日)であるという理由で、月桂樹の王冠とガウン姿で登場。 |
| 馬に荷台を引かせて出走サインに現れ、周囲の度肝を抜いた。 |
| さらにこの時は彼を含めチームメンバー全員が本来の赤いジャージでなく、白と金のジャージを着て走ったうえ、見事ステージ優勝。 |
| 第6ステージから数えて4連勝を挙げるおまけまで付けた(なお、所属していたSAECOチームはチポリーニ退団後も、7月13日は本来のチームジャージではなく白と黒のジャージで走っていた)。 |
| 自転車のフレームにハリウッド女優の下着姿をペイントしてみたり、ステムにポルノ女優の写真を貼り付けていたことがある。 |
| 2002年のジロ・デ・イタリアでは、サドルまで虎の皮模様にした特製TTバイクで出走して見るものを驚愕させた。 |
| こうした数々の行為のほとんどはUCI規定に違反しており、毎回のように罰金を取られていたが、懲りる気配は微塵もみせなかった(毎回罰金第一号となっている)。 |
| ちなみに上記の2001年のジロ・デ・イタリアで着用した筋肉模様のスキンスーツは後にチャリティーオークションに出品され、罰金のほぼ100倍にあたる4万3710ドル(約500万円)の値をつけた。 |
| 数々の豪放な振る舞いから、UCIや各レースの主催者から不興を買うことも多く、特にツール・ド・フランスでは意図的にチポリーニの所属するチームがワイルドカードから外されることがあった。 |
| そのためお互いの関係は良好とはいかず、世界選手権を制してマイヨ・アルカンシエルを着ていたにもかかわらず、ツールを一度も完走してないことを理由に、ドミナ・ヴァカンツェの代わりにジャン・ドゥラトゥールが選出された2003年には、怒りのあまり「責任者(ジャンマリー・ルブラン)につばを吐いてやりたい」と暴言を吐いたこともある。 |
| これは同じくツールを一度も完走していないヤーン・キルシプーを擁するアージェードゥーゼールが数回選出されていた事もチポリーニの怒りに油を注ぐ原因となっていた。 |
| サドルについては非常に保守的で、新素材を使用した軽量サドルが次々に登場する中で、比較的重い鋲打ちの皮サドル「サンマルコ・リーガル」をずっと愛用していた。 |
| アクアサッポーネ時代は、スポンサーとの折り合い上、苦肉の策として、スペシャライズドのロゴ入りの皮を貼り直したリーガルを使用していた。 |
| 2003年オフシーズンのトレーニング中、高速道路で70km/h以上のスピードで走っていたため、取り締まり中の警官に「スピード違反」で捕まったことがある。 |
| その時は、他の車やバイクと同じスピードだったのに自分たちだけ捕まるのはおかしい、と主張したが聞き入れられず、やむなく罰金を支払う羽目になった。 |
| 現役引退した選手の中には途端に体型が崩れる選手も多いが、サイクルロードレースの日本におけるテレビ中継で栗村修とSaschaが、もし彼が三段腹になったら「チャッポリーニ」になってしまうと発言していたことがあった。 |
| ダニエーレ・ベンナーティとは2003年に1年間だけ同じチームだったが、自分のアシスト達が若手の彼をアシストするようになったのを見て引退の時期を考え始めたという。 |