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プロフィール
- マルコ・マルティンとは
- 下積み時代
- ワークス・チームへ移籍
- 突如襲ったアクシデント、そして、引退
- エピソード
マルコ・マルティン(MarkkoMärtin 1975年11月10日-)は エストニア出身の元ラリードライバー。
下積み時代
| 1994年にラリーデビュー。 |
| WRCには1997年に中古のセリカST185で参戦を始め、1999年は序盤から中盤まで、スポンサーから得た資金で購入したフォード・エスコートWRCで走り続けた。 |
| 活動のターニングポイントとなったのは1999年の中盤。 |
| TTEとワークス契約を交わし、ワークススペックのトヨタ・カローラWRCを与えられるが、奇しくもトヨタは1999年一杯でWRCからの撤退を発表したため、翌年から再びプライベート参戦を余儀なくされる。 |
ワークス・チームへ移籍
| 2000年からは、イギリス人コ・ドライバー、マイケル・パークと組み、カローラWRCで引き続きWRC参戦を継続。 |
| そして、その年の8月に、スバルとワークス契約を交わし、当初、同時期に契約を結んだペター・ソルベルグとのジョイントナンバー2扱いとみられた。 |
| だが、2001年シーズンが始まると、開幕戦のモンテカルロ以降、ワークスノミネートされることは一度としてなく、フル参戦のシートだったにもかかわらずシーズン途中には欠場することもあった。 |
| 結果的にソルベルグを優遇した扱いに不満が爆発。 |
| シーズン中にフル参戦を条件にフォードと契約を交わし、2002年から、フォードに移籍。 |
| 念願のフル参戦が叶い、その年のベストリザルトは、ソルベルグとの接戦の末に掴んだ最終戦のグレートブリテンでの2位。 |
| フォードのWRC活動予算の削減で、コリン・マクレー、カルロス・サインツらが去ると、2003年から2004年までフォードのエースを務める。 |
| 前年のフル参戦で、めきめきと頭角を表していたが、ライバルよりもパフォーマンスの劣るマシンが祟り、序盤は低迷。 |
| だが、スバルから移籍してきたクリスチャン・ロリオーが手がけたフォード・フォーカスWRC03を得ると、持てる速さを遺憾なく発揮し、アクロポリスで待望の初優勝を飾ると、フィンランドでは、マーカス・グロンホルムとの死闘の末に勝利を掴み取った。 |
| 2004年は、その年からWRCに加わったメキシコでの勝利以降、コンスタントな結果を挙げていたが、シーズン中盤に入ると、経営不振に陥ったフォード本社の影響で、来シーズン以降の参戦危惧が囁かれ始める。 |
| だが、彼はWRCの中でも特に厳しいラリーといわれるカタルニア、ツールドコルスで見事勝利を挙げ、それによりフォード本社は2005年以降のWRC参戦を決断。 |
| フォードのワークスラリー活動継続に大きく貢献した。 |
突如襲ったアクシデント、そして、引退
| 2005年からは、フランスの大メーカー、プジョーに移籍するが、前年から投入された307WRCの挙動に馴染めず苦戦。 |
| シーズン中盤のフィンランドに投入された、プログレッシブ・ダンパーが彼のドライビングにマッチし、3位に入るものの、それでも、フォード時代の速さは影を潜めてしまう。 |
| その不調のなか、不幸な出来事が襲う。 |
| 2005年9月18日のラリーGBレグ3、序盤のSSの左コーナーでクラッシュ。 |
| 不運なことに、そのコーナー側にあった立ち木が助手席側にめりこむ形でマシンはストップ。 |
| この事故によって、全幅の信頼を置いていたコ・ドライバーのマイケル・パークが亡くなってしまう。 |
| この出来事によって、ラリーGB以降の参戦を見合わせ、その年の終盤、正式にWRC引退を表明した。 |
| ラリーGBでのアクシデントが原因かと囁かれたが、後のインタビューでWRCにおけるドライバーのコスト的負担や、運営がスポンサー寄りになりつつある風潮に嫌気がさし、30歳を区切りとして引退するつもりでいたと明かした。 |
| 引退当初、ラリー界に関わることはないと暗に示唆していたが、2008年にかつて在籍したスバルにテストドライバーとして復帰。 |
| スバルのWRC撤退後はフォードでテストドライバーを務めている。 |
| 一方で個人所有のラリーチームを結成し、エストニア・ラリー選手権に若手を送り込んでいる。 |
| 自身は競技生活からは一切離れる予定であったが、近年ポルトガルやエストニアなどのWRC(およびIRC)以外のラリーイベントにエントリーするようになった。 |
エピソード
| かつてはペター・ソルベルグ、セバスチャン・ローブと並んでWRC若手御三家と称され、将来のチャンピオン候補と言われていた。 |
| 2003年のラリーGB開催地への移動でリチャード・バーンズの愛車に同乗中、バーンズが運転中に失神を起こし、助手席にいたマルティンの咄嗟の判断で事なきを得た。 |
| この時の具体的な状況を、彼は今でも公表することを拒否している。 |
| 現役時代からマシン開発能力の高く、中でもタイヤの扱い方はライバルよりも群を抜いており、SS終了後の均一に磨耗した前後輪のタイヤは、彼の非凡な才能を物語っていた。 |
| 引退後、ラリー界に関わることはないとコメントしていたが、2008年から、再起を狙う古巣スバルに復帰。 |
| テストドライバーとしてインプレッサWRC2008の開発に携わる。 |
| スバルのWRC撤退後はフォードでフォーカスWRCとフィエスタS2000および次期WRC仕様の開発に関与し、また2010年9月にはMINIカントリーマンの次期WRC仕様のテストにも参加した。 |
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1975年
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マルコ・マルティン(Markko Märtin - )は... |
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1994年
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ラリーデビュー |
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