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1979年の総選挙では、イギリス経済の復活と小さな政府の実現を公約として保守党を勝利に導き、女性として初めてイギリス首相に就任。
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そして、市場原理と起業家精神を重視し、政府の経済的介入を抑制する政策を取った。
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こうした政治姿勢は新自由主義(ネオリベラリズム)あるいは新保守主義と呼ばれ、理論的には、ハイエクやフリードマンの経済学を背景としていると言われる。
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新自由主義の立場に基づき、サッチャーは、電話会社(1984年)やガス会社(1986年)、空港(1986年)、航空会社(1987年)、水道事業(1990年)などの各種国有企業の民営化や規制緩和、金融改革などを断行。
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また、改革の障害となっていた労働組合の影響力を取り除く政策を多く打ち出した。
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さらに、所得税は25%~80%の11段階から、25%と40%の2段階へ、法人税は50%から35%へ、それぞれ段階的に大きく引き下げられた。
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一方で、付加価値税(消費税)は、8%から15%まで大胆に引き上げられた(1979年)。
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インフレーションを政府と協調して抑えるために、イングランド銀行が大幅な利上げを行ったため当初の公約であったインフレーションを抑えることに成功した。
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しかし当然の如く、首相在任1期目で失業者数は倍増し、1982年には300万人を数えるまでとなる。
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失業率はその後も1986年半ばまで減少に転じることはなかった。
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このためサッチャー政権の支持率は低下したため、小さな政府の柱の一つであった完全マネタリズムを放棄し、リフレーション政策に転じた。
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その結果、イギリス経済は回復した。
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フリードマンらはサッチャーの変節を攻撃したが、総じてイギリス国民には受け入れられ、総選挙で連勝を重ね、任期を延ばしていく。
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だが、人頭税(community charge)の導入を巡って国民的な反対運動が起こり、最後は辞職に追い込まれた。
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1988年には、教育法の改定を行った。
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イギリスの教育機関は独立性が強く、カリキュラムも学校ごとの独自性が強かった。
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またサッチャーは教科書として使われた『人種差別はどのようにイギリスにやってきたのか』(イギリスの人種差別や、植民地支配の歴史を批判的に扱う内容)を自虐的な内容として使用を止めさせようとしたが、政府に止めさせる法的権限はなかった。
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そこでサッチャーは、教育関係者の反対を押し切り、(1)全国共通のカリキュラムを作り、非キリスト教徒に対してもキリスト教の授業を必修とするなど「自虐的」内容の是正。
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(2)全国共通学力テストの実施。
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(3)学校当局に、地方教育委員会からの離脱を認め、その場合は政府直轄とする(政府と共に、親の発言力を強める)。
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―――という内容の改定案を成立させた。
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ほぼ時を同じくして、1980年に選出されたアメリカ合衆国大統領のロナルド・レーガンも新自由主義的な政策を数多く打ち出した。
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さらに、カナダでも、1984年に選出されたマルルーニー首相は保守派であったため、80年代はアングロサクソン各国において新自由主義が支配する時代となる。
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また、この時期、日本においても、1982年に誕生した中曽根内閣によって、行政改革や国鉄分割民営化(1987年)などが行われた。