| パキスタンカイバル・パクトゥンクワ州のイスラーム神学校(マドラサ)に学び、ソ連のアフガニスタン侵攻でムジャーヒディーンとしてゲリラ戦を行い、ムハンマド・ナジーブッラー政権と戦った。 |
| ウマルは対ソビエト軍の戦いで4度負傷したとされる。 |
| 1986年、カンダハール近郊の戦闘で右目を失い、クエッタのマドラサで過ごした。 |
| 他のムジャーヒディーンとは異なりウマルはアラビア語を解した。 |
| そのため、アブドゥッラー・アッザームの教えに感化されマドラサでその思想を広めた。 |
| ウマルはカラチに移り説教を始めるが、そこでウサーマ・ビン・ラーディンと初めて会った。 |
| 1989年にソビエト軍がアフガニスタンから撤退を開始し、アフガニスタン内戦でナジーブッラー政権が1992年に崩壊すると、ウマルはカンダハールに戻りマドラサを設立した。 |
| 1994年、ウマルの夢に予言者ムハマンドが現れ、武装決起を命じ、味方することを告げた、とされる。 |
| ウマルはその頃から、周りの友人達と治安回復を話し合っていた。 |
| 周囲はウマルを「ムッラー」(物知り)「アミールッムーミニーン」(信者の長)と呼んだ。 |
| ウマルはマドラサでの50人にも満たない教え子たちと「ターリバーン」(アラビア語で「学生」の意)と呼ばれる運動を開始、そこにパキスタンにいるアフガン難民らも合流した。 |
| 1994年の段階でもターリバーンの勢力は30名ほどでライフルも16丁しかなかったと言われる。 |
| 腐敗した軍閥に憤っていたターリバーンは軍閥に誘拐された少女らを救出し、人々の支持を得、ターリバーンには他のイスラーム神学校からも多数が参加するようになった。 |
| 一大勢力と成長したターリバーンは1995年にはヘラートを占領した。 |
| 1996年のカーブル占領でターリバーンの最高指導者としてウマルは新政権「アフガニスタン・イスラーム首長国(''IslamicEmirateofAfghanistan'')」を発足させ、その首長(アミール・アル=ムウミニーン)に就任した。 |
| ターリバーンは宗教的な紐帯を軸に発足した政権であり、首長の称号もかつてのカリフになぞらえたものだったが、オマル自身はマドラサの教育を修了しておらず、宗教的な勧告(ファトワー)を発する権限は持たなかった。 |
| ターリバーン政権はイスラームの価値観に基づいたアフガニスタンの復興を目指したが、イスラームの名のもとに国民に女子教育禁止など極端な人権侵害を行ったため国際的に孤立した。 |
| さらにアメリカ合衆国やサウジアラビア政府に対するテロ行為の黒幕と目されていたビン=ラーディンとアルカーイダを客人として迎え入れて匿ったことから、アメリカと激しく対立する。 |
| アルカーイダはアフガニスタンでテロリストの訓練キャンプを設置したほか、この間にもアメリカ大使館爆破事件や米艦コール襲撃事件などのテロ事件を引き起こした。 |
| このため1999年には国際連合安全保障理事会決議1267 |
| 2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起こり、ビン=ラーディンがその最重要容疑者とみなされ、ターリバーンはアメリカからその身柄の引渡しを要求されるが、オマルはこれも拒否した。 |
| このためターリバーンはNATOの攻撃対象とされ、NATO軍と北部同盟の攻撃により同年12月にターリバーン政権は崩壊した。 |
| オマルは寡黙な性格で、アフガニスタン・イスラーム首長国の首長時代にもメディアへの露出も外交的な活動もなく、公式な写真は一枚もない。 |
| しばしば身長が極めて高い(2mと言われる)とされる。 |
| 12月、カンダハールのオマルの自宅はアメリカ軍に爆撃されオマルの息子は死亡した。 |
| ターリバーン政権崩壊でオマルは残余の兵士とともに逃亡し、その後は消息不明となっている。 |
| 一説には、アフガニスタンとパキスタンのパシュトゥーン人居住地帯を転々としながらアフガニスタンの親米政権に対する敵対行動を指揮しているという。 |
| 2004年4月、パキスタンのメディアがオマルとのインタビューに成功した。 |
| そこでオマルはビン=ラーディンとは連絡を取っていると語った。 |
| 2006年初頭にアフガニスタン国軍により拘束されたターリバーンのムハマド・ハニーフ報道官の供述に拠れば、オマルは現在パキスタン軍統合情報局(ISI)の保護下にあり、クエッタの安全な場所に滞在しているという。 |
| ハーミド・カルザイはオマルの背後にはISIがいる、とパキスタンを非難している。 |
| 同年6月、アブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーがアメリカ軍の爆撃で死亡するとザルカーウィーを殉教者と讃える声明を発表した。 |
| 2009年、ワシントンポスト紙はオマルの潜伏先がISIによってカラチに移された、と報じた。 |
| その後もカラチで心臓病を患っているなどパキスタン潜伏説が報じられている。 |