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つながりの強いひと
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木曽三川
濃尾平野を流れる木曽川、揖斐川、長良川の総称である。 |
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水沢アキ
日本の女優、タレント、モデル、元歌手である。本名、スィーヒ昭子(スィーヒあきこ、旧姓・溜井)。東京都目黒区出身。オスカープロモーション所属。過去に... |
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満島ひかり
日本のタレント、女優。沖縄県出身。ユマニテ所属。世田谷区立駒沢中学校、八雲学園高等学校卒。夫は映画監督の石井裕也。弟は俳優の満島真之介。フランス系... |
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ジョージ・アーノルド・エッセル
明治期に来日したお雇い外国人である。または、エスヘル、エッシャー、エッシェルとも呼ぶ。フリースラント州レーワルデン出身。 |
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アンティ・アールネ
フィンランドの民俗学者。ポリ市生まれ。1893年から1898年までモスクワ大学に学び、ソコロフに師事。その後、国民学校や高等学校で教えながら、文学博士号を... |
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藤原義江
日本のオペラ歌手、声楽家(テノール(テナー))。日本を代表する歌手の一人とされ、「我等のテナー」の愛称で有名だった。藤原歌劇団の創設者。 |
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平田靱負
江戸時代中期の薩摩藩家老。宝暦3年(1753年)の木曽三川分流工事(宝暦治水事件)の責任者。父は平田正房、母は島津準3男家の島津助之丞忠守の娘。諱は宗武... |
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ファン・ドールン
大きな成果を上げた安積疏水や、全面的な失敗に終わった野蒜築港などさまざまな事例がある。 |
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砂防ダム
小さな渓流などに設置される土砂災害防止のための設備(砂防設備)のひとつ。砂防法に基づき整備され、いわゆる一般のダムとは異なり、土砂災害の防止に特化... |
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ヨハネス・デ・レイケ
日本の土木工学者。( )や日本初の水力発電所の建設、関門海底トンネルの提言を行った。 Q:ロバート・マニングに関する記述で、( )に入る最も適切なものを選... |
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フランチェスコ・ジェミニアーニ
表情豊かなリズムのために、「熱血漢IlFuribondo」と呼ばれていたという。こんにちでは、全部で42曲の協奏曲のうち、作品3や作品7の《合奏協奏曲集》が最も有... |
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足利義昭
室町幕府第15代将軍。(在職:永禄11年(1568年)-天正16年(1588年))。父は室町幕府第12代将軍・足利義晴。母は近衛尚通の娘・慶寿院。第13代将軍・足利義... |
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伊藤左千夫
子規の写生文の影響を受けた小説「野菊の墓」を『ホトトギス』に発表。夏目漱石に評価される。代表作に『隣の嫁』『春の潮』など。この頃、東京帝国大学学生... |
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林董
林董(はやしただす、1850年4月11日(嘉永3年2月29日)-1913年(大正2年)7月20日)は幕末の幕臣。明治期の外交官、政治家。伯爵。初代陸軍軍医総監・男爵の... |
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フェルディナン・ド・ソシュール
スイスの言語学者。言語哲学者。記号論を基礎付け、後の構造主義思想に影響を与えた。「近代言語学の父」といわれ、言語学者のルイス・イェルムスレウ、ロマ... |
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ジュール・マスネ
発表以来、世紀以上にわたって途切れることなく上演され続けてきている。 |
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内海忠勝
日本の武士、官僚、政治家。内務大臣(第20代)、長崎県令、三重県令、兵庫県知事、長野県知事(第2代)、神奈川県知事(第3代)、大阪府知事(第8代)、京都... |
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徳川綱吉
徳川徳松、鶴姫。俗に、柳沢吉里が綱吉の落胤であるといわれるが、実際には疑わしい。 |
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プロフィール
- ヨハニス・デ・レーケとは
- 幼少時代
- 内務省お雇い技師
- 勅任官技術顧問~内務省退官
- 中国河川改修技師長以後
- その他
- デ・レーケが関係した土木構造物
- デ・レーケに関する著作物
ヨハニス・デ・レーケ(JohannisdeRijke、1842年12月5日-1913年1月20日)は、オランダ人で、日本の砂防や治山の工事を体系づけ、「砂防の父」とも言われるお雇い外国人である。彼の名前は、日本語では、 ヨハネス・デ・レイケなどと表記されることもある。日本の土木事業(河川改修や砂防)における功績を評価すると、「お雇い外国人」ではなく「内務省技術顧問」や「河川技術者」などといった呼び名の方が相応しいとも言える。
幼少時代
| レーケは7人兄弟の3人目としてオランダに生まれる。 |
| 兼業農家である築堤職人の息子として育ち、オランダ内務省技官出の水理学者であるJ・レブレットに出会うことから土木の技術者としての道を歩み始めることになる。 |
| 子供のいなかったレブレットは数学や力学や水理学など、土木工学に関する学問をデ・レーケに教えた。 |
| デ・レーケの勤勉な姿勢に、大変、可愛がったとされる。 |
| レブレットにとってデ・レーケは最初の教え子でもあった。 |
内務省お雇い技師
| 1873年に明治政府による海外の学問や技術の国内導入制度において、内務省土木局に招かれ、G.A.エッセル(エッセルは大学でもエリート)らと共に来日し(エッセルは1等工師でデ・レーケは4等工師)、淀川の改修や三国港の改修などに関わり、エッセルは主に設計を、デ・レーケは施工や監理を中心に担当した。 |
| 後に、ファン・ドールンやエッセルの後任として、内務省の土木技術の助言者や技術指導者として現場を指揮することになる。 |
| 氾濫を繰り返す河川を治めるため、放水路や分流の工事を行うだけでなく、根本的に重要であった水源の山地における砂防や治山の工事を体系づけ、また全国の港湾の建築計画を立てた。 |
| 特に木曽川の下流三川分流計画には10年にわたり心血を注ぎ成功させた。 |
| 日本中の現場にも広く足を伸ばし技術指導や助言を行ってもいる。 |
| これらの業績は高く評価され、1891年、内務省勅任官技術顧問(内務省事務次官に相当する)の扱いになる。 |
| ちなみに、奏任官は本省の局長級までの扱いとなる。 |
| 建設事業の竣工時において、事業関係者は招待されたり記念碑に連名されるのが慣例とされているが、デ・レーケが関連した全土木工事において、一度も招待を受けたことがなく、また彼の名も記されていない。 |
| あくまで内務省にとって彼はお雇い外国人(=裏方)であり、彼の任務は調査と報告書提出のみであってそれを決定し遂行するのは日本側である、という事情が根本的な背景にあった。 |
| 技術者としての誇りは相当に高かったはずだが、デ・レーケはそれを割り切っていたようである。 |
勅任官技術顧問~内務省退官
| 後に、工科大学校(現・東京大学工学部)を始め、欧米諸国の大学で水文学をはじめとする高等教育を受けた内務省土木局の日本人技術者が台頭したことにより、徐々に活躍の場を失うも、内務省勅任官技術顧問としての責務を全うした。 |
| 都合30年以上日本に滞在し、1903年、離日。 |
| 在日中に提出した報告書は57編に上り、2度受勲され、帰国に当たって日本の土木の基礎を築いたとして勲二等瑞宝章を授与される。 |
| 退職金は、現在の価格にして4億円に相当したとされ、当時の上官で内務省土木局長だった古市公威ら高級官僚らの労いもあったとされる。 |
中国河川改修技師長以後
| 内務省退官後、数年間はオランダに帰郷し英気を養った。 |
| まもなく、オランダ政府代表として、中国の上海の黄浦江の改修事業の技師長として現地に赴く。 |
| 辣腕を振るうことになるが、建設系事業者(建設コンサルタントと称していたが実際は浚渫系専門業者などの詐称)の、いい加減さ・中国政府の未曾有の混迷による事業費問題・ドイツやイギリスの政府および報道機関への対応の苦慮…などによる心労が重なり、命を縮めることになる。 |
| 1911年、技師長職を辞職。 |
| 同年1月17日に勲爵位(ライデル)が送られ名実ともに、貴族の仲間入りを果たすことになった。 |
| オランダ政府代表として黄浦江改修事業の技師長としての功績によるものとされる。 |
| 2年後の1913年、母国オランダのアムステルダムにて死去する。 |
その他
| デ・レーケが指導や建設した砂防ダムや防波堤は、100年以上経過した現在でも日本各所に現存している。 |
| 粗朶沈床の手法を日本に伝えた。 |
| 1998年にはデ・レーケの孫が来日し、木曽川などを視察し話題になった。 |
| 2000年は日蘭交流400周年にあたり、その記念事業として「『デ・レイケ記念シンポジウム』文明を支えるもの~日蘭の厳しい国土条件と社会基盤」が開催され、デ・レーケとエッセルの子孫がともにゲストとして参加した |
| 日本の川を見て、「これは川ではない。 |
| 滝だ」とおどろいた、というエピソードが有名。 |
デ・レーケが関係した土木構造物
| 四日市港の潮吹き防波堤(三重県四日市市、重要文化財)。 |
| エッセル堤(福井県坂井市、設計:G.A.エッセル)。 |
| デレーケ堰堤(群馬県榛東村)。 |
| オランダ堰堤(滋賀県大津市、設計:田辺義三郎)。 |
| 松尾池(岐阜県岐阜市)。 |
| 巨石積み堰堤(岐阜県中津川市)。 |
| 羽根谷巨石堰堤(岐阜県海津市)。 |
| デレーケの石積み堰堤(岐阜県中津川市)。 |
| 木曽三川分流工事(愛知県・岐阜県・三重県)。 |
| 常願寺川の河川改修(富山県)。 |
| デレーケ堰堤(京都府山城町)。 |
| 淀川の河川改修(大阪府大阪市)。 |
| 大阪港の築港(大阪府大阪市)。 |
| 鳥取港の築港(鳥取県鳥取市)。 |
| デレーケ堰堤(徳島県美馬市)。 |
| 筑後川の導流堤(福岡県大川市)。 |
| 細島港の築港(宮崎県日向市)。 |
| 神田下水(東京都千代田区)。 |
| 田川カルバート(滋賀県長浜市)。 |
デ・レーケに関する著作物
| 『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』(著者:上林好之元・建設省近畿地方建設局河川部長、平成15年度土木学会出版文化賞受賞)。 |
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1873年
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明治政府による海外の学問や技術の国内導入制... |
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1903年
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