| 高等学校では成績優等で1949年に金メダルを授与されている。 |
| 1950年、モスクワ大学哲学部に入学した。 |
| 同大学在学中に未来の夫となるミハイル・ゴルバチョフ(ゴルバチョフはモスクワ大学法学部に在籍)と出会い、1953年に学生結婚する。 |
| 大学卒業後、大学院に進むが、ゴルバチョフが郷里スタヴロポリ地方でコムソモール活動に従事することになり、夫に従い、スタヴロポリに移る。 |
| 夫はスタヴロポリで共産党官僚としての階梯を歩むことになり、ライサのスタヴロポリでの生活は23年間に及んだ。 |
| 夫妻の間には1957年に一子(イリーナ・ヴィルガンスカヤ、現在、ゴルバチョフ財団副総裁)が生まれている。 |
| スタヴロポリでは学校の教師の傍ら、社会学の研究に打ち込み、1962年、『集団農場農民の日常生活における新しい特性の出現―スタヴロポリ地方における社会学的調査』と題した博士論文を執筆し、モスクワ国立教育学研究所()に提出した(指導教官は、ゲンナジー・ワシリエヴィッチ・オシポフ)。 |
| ライサは論文執筆に当たり、参考資料として共産党地方委員会や地方自治体の公式統計や報告、公文書や逐次刊行物の使用に加えて、調査方法としてコルホーズにおける体験的参加、観察、農民に対するインタビュー、アンケート、古老からの聞き取りなどの手法を採用した。 |
| この論文によってスタヴロポリ地方のような当時のソ連にあって比較的、開発が進んでいる地方でも都市部との賃金や教育、公共サービスには大きな格差が存在することを実証した。 |
| また、農村における女性の地位の低さについても言及している。 |
| ちなみにソ連においては、社会学が学問分野として認知が遅れ、1960年にやっとソ連科学アカデミー哲学研究所内に社会学部門が創設された。 |
| 数年後に国立大学や研究所を中心に社会学・社会心理学研究室が設置され、1968年に科学アカデミーに独立した研究所が設置された。 |
| ライサは1967年に「哲学」博士候補の学位を得るが、それはこうした事情による。 |
| また、1960年代におけるソ連の社会調査の大部分はライサの例に見られるように地方で実施された。 |
| これは共産党地方委員会が社会問題の情報と分析を職務遂行上必要としたからである。 |
| ライサの実証的研究は、ゴルバチョフにとって彼自身の党務に関する見解を補完した上、ソ連政府の中央集権的官僚主義よりも地方の実態を優先する姿勢を育んだ点で大きな影響を与えたことになる。 |
| 1978年(1976年説もある)、ゴルバチョフ夫妻はモスクワに移り、ゴルバチョフがソ連共産党中央委員会の書記(農業担当)に就任するまで、ライサはモスクワ大学で教鞭を執り、「知識」協会に所属した。 |
| 1985年、ゴルバチョフはソ連共産党書記長に選出される。 |
| このときライサはソ連文化基金副議長であった。 |
| 書記長夫人となったライサは、それまでのソ連の歴代指導者の夫人が、家庭にあって表立った活動を控えがちであったのに対し、ライサは、知的であり洗練された物腰と振る舞いで、国内外のメディアによって「ファーストレディー」として取り上げられることとなる。 |
| ファーストレディーとしてのライサは、ゴルバチョフの側にあって、ソ連およびゴルバチョフのイメージに人間らしさを付け加え、ロナルド・レーガンによって「悪の帝国」視されたソ連のイメージを改善することに貢献した。 |
| その一方で、ロシア国内では家庭を守る主婦を越えたライサに対して「女帝」と誹謗する向きが存在した。 |
| また、東西両陣営のファーストレディーとしてナンシー・レーガン夫人との間もメディアによって興味本位に取りざたされるなどした。 |
| 1989年、小児白血病治療のため、10万ドルの寄付をしている。 |
| この寄付を元に病院の設備や医師の研修が行われ、以前よりもロシア国内における小児白血病による死亡数は減少している。 |
| モスクワ大学卒の才媛ではあるが諸外国とりわけ非欧米諸国の文化や風習には明るくないらしく、1991年4月に来日した際、空港に出迎えてくれた人々に挨拶する際に、両手を合わせて拝む(タイ式の)礼で応えていた。 |
| 1991年のソ連8月クーデターでは、ライサはゴルバチョフとともにクリミア半島フォロスの大統領別荘に監禁された。 |
| 生命の安全すら脅かされたこの事件により、ライサは大きな衝撃を受け、精神的に大きな傷を負うこととなった。 |
| 1997年、ライサ・マクシーモヴナ・クラブを設立し、ロシアにおける女性の政治参加に対して啓発活動を推進する計画を立てていた。 |
| 1999年、急性白血病を発症する。 |
| ドイツのミュンスター大学病院で治療が行われたが、9月20日に死去。 |
| 9月22日、ロシア文化基金会館で告別式が行われ、ボリス・エリツィン大統領のナイーナ夫人やウラジーミル・プーチン首相が参列した。 |
| 翌23日、ライサの遺体はノヴォデヴィチ女子修道院の墓地に埋葬された。 |
| ゴルバチョフは憔悴して、その姿はロシア国民の同情を集めた。 |
| ライサの死後、小児癌の治療法発見に関する支援、病気の子供や家族の支援のため、ライサ・ゴルバチョフ基金が設立された。 |