| 1934年、バイエルン州警察の執務室で。 |
| ファイル:BundesarchivBild152-50-05,ReinhardHeydrich.jpg|thumb|right|200px|同上。 |
| 書類を渡されている人物は部下のアルフレート・ナウヨックス。 |
| 海軍除隊後、ハイドリヒは親衛隊上級大佐フリードリヒ・カール・フォン・エーベルシュタイン男爵(ラインハルトの代父エルンスト・フォン・エーベルシュタイン男爵の息子)の推薦をうけて、1931年6月14日に親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーの面接を受ける機会を得た。 |
| しかしヒムラーとハイドリヒの出会いは偶然のものであった。 |
| この頃のヒムラーは親衛隊内に情報部を設置することを考えており、そのため「情報将校(Nachrichtendienst-offizier)」の経歴のある者を求めていたのだが、ヒムラーとエーベルシュタインは、ハイドリヒの「通信将校(Nachrichtenoffizier)」の経歴をこれと混同したのであったハインツ・ヘーネ著『髑髏の結社SSの歴史』(フジ出版社)175ページルパート・バトラー著『ヒトラーの秘密警察 ゲシュタポ 恐怖と狂気の物語』(原書房)34ページ。 |
| ヒムラーは面接の際に20分の時間を与えてハイドリヒに親衛隊情報部の組織の構想を書かせ、その出来に満足した。 |
| またハイドリヒが金髪碧眼の長身という北欧人種の容姿であったこともヒムラーを満足させた。 |
| ヒムラーはハイドリヒの採用を即決し、ハンブルクからナチ党の本部があるミュンヘンへ移住の準備をするよう求めたグイド・クノップ著『ヒトラーの親衛隊』(原書房)155ページルパート・バトラー著『ヒトラーの秘密警察 ゲシュタポ 恐怖と狂気の物語』(原書房)35ページ。 |
| ハイドリヒは、海軍の解任が法的に有効になった1931年5月31日の翌日6月1日付けで国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党し(党員番号544,916)、さらに7月14日にハンブルクの親衛隊(SS)に配属された(親衛隊隊員番号10,120)。 |
| 親衛隊内にIC課(SDの前身)が設置され、1931年8月末のミュンヘンのナチス党本部「褐色の家」(BraunesHaus)で行われた親衛隊幹部の会議にはIC課の将来の指導者の資格ですでに参加している。 |
| 10月5日にハンブルクの党本部にミュンヘンの「褐色の家」から「党員ラインハルト・ハイドリヒ、党員番号544,916。 |
| 右の者は本年10月より親衛隊全国指導者の高級幕僚として独自の資格で行政事務を担当する。 |
| 」との辞令が下りた。 |
| IC課の課長は名目上ヒムラーの兼務であったが、実質的運営はすでにハイドリヒに委ねられていた。 |
| しかし発足当時のIC課は弱小組織であり(親衛隊自体も大した規模ではなかった)、「褐色の家」の4階の狭い部屋を事務所として、ハイドリヒの妻リナが長官秘書をつとめ、部下は3人だけという状態だったルパート・バトラー著『ヒトラーの秘密警察 ゲシュタポ 恐怖と狂気の物語』(原書房)36ページ。 |
| 当時のハイドリヒに党から支払われていた給料も180ライヒスマルク程度だった{{#tag:ref|ルパート・バトラー著『ヒトラーの秘密警察 ゲシュタポ 恐怖と狂気の物語』(原書房)36ページによる。 |
| なお1ライヒスマルクは2004年の換算で大体2100円ぐらいの金銭価値であるという山下栄一郎著『ナチ・ドイツ軍装読本』(彩流社)150ページ。 |
| ナチ党のライバルであるドイツ共産党、ドイツ社会民主党、中央党、ドイツ国家人民党などを執拗に調査し、また党内でも突撃隊の過激派など党首アドルフ・ヒトラーの邪魔になりうる者に対しては徹底的な調査を行い、党内外の政敵を索引カードにする作業に没頭したハインツ・ヘーネ著『髑髏の結社SSの歴史』(フジ出版社)176ページ。 |
| ハイドリヒの索引カードには政敵の様々な情報が記載されており、ヒムラーも彼のことを「生まれながらの諜報家」「生きた索引カードで、すべての糸を集め、それを編み直すことができる頭脳」と評したというハインツ・ヘーネ著『髑髏の結社SSの歴史』(フジ出版社)177ページ。 |
| 1932年7月19日、親衛隊大尉の時に正式にSDの長官に任じられたMarioR.Dederichs著『HEYDRICHTHEFACEOFEVIL』(CASEMATE)12-13ページ。 |
| 1933年1月30日にヒトラーは、パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領より首相に任命され、ナチ党政権が誕生した。 |
| 3月9日にバイエルン州政府がナチス党の突撃隊と親衛隊に制圧されるとようやくヒムラーがミュンヘン警察長官に任命されたハインツ・ヘーネ著『髑髏の結社SSの歴史』(フジ出版社)84ページ。 |
| これに伴ってハイドリヒも3月21日にミュンヘン警察政治局長に任命された大野英二著『ナチ親衛隊知識人の肖像』(未來社)22-23ページ。 |
| バイエルン州法相ハンス・フランクの肝いりでミュンヘン郊外に最初の強制収容所ダッハウ強制収容所を設立させた。 |
| また同年春にはプロイセン州内相ヘルマン・ゲーリングと接近してヒムラーから独立的な動きを取るようになっていたベルリンの親衛隊指導者クルト・ダリューゲを鎮撫するためにベルリンへ派遣されている。 |
| ベルリンまで同行していたハイドリヒの妻リナによると、この時、ゲーリングはハイドリヒの逮捕状を用意したというハインツ・ヘーネ著『髑髏の結社SSの歴史』(フジ出版社)85ページゲリー・S・グレーバー著『ナチス親衛隊』(東洋書林)68-69ページ。 |
| 1933年半ば頃までのヒムラーとハイドリヒの権力はバイエルン州に限定されたものでしかなかったルパート・バトラー著『ヒトラーの秘密警察 ゲシュタポ 恐怖と狂気の物語』(原書房)42‐43ページゲリー・S・グレーバー著『ナチス親衛隊』(東洋書林)72‐73ページ。 |
| 1933年9月末にはヒンデンブルク大統領に讒言して一時ディールスをゲシュタポ局長の座から失脚させることに成功したルパート・バトラー著『ヒトラーの秘密警察 ゲシュタポ 恐怖と狂気の物語』(原書房)46-47ページジャック・ドラリュ著『ゲシュタポ・狂気の歴史』(講談社学術文庫)79ページ。 |
| 度重なる親衛隊からの圧力に加え、ゲーリング自身もエルンスト・レーム以下突撃隊幹部への対抗のため親衛隊と共同戦線を必要としていたことなどから、1934年4月20日、ゲーリングはヒムラーを「ゲシュタポ監査官及び長官代理(InspekteurundstellvertretenderChefderGeheimenStaatspolizeiamts)」に任じて実質的な指揮権を引き渡すこととなった阿部良男著『ヒトラー全記録』(柏書房)268‐269ページハインツ・ヘーネ著『髑髏の結社SSの歴史』(フジ出版社)99ページ。 |
| 1934年6月9日の法令により、SDはナチス党内で唯一の諜報機関と認められ、同年同月末の長いナイフの夜の粛清の際には主導的地位を果たすこととなった(詳しくは後述)ジャック・ドラリュ著『ゲシュタポ・狂気の歴史』(講談社学術文庫)208-209ページ。 |
| ヒムラーは、この権限に基づいて6月25日に刑事警察(クリポ)とゲシュタポを統合させて保安警察(ジポ)を新設し、ラインハルトをその長官に任じたジャック・ドラリュ著『ゲシュタポ・狂気の歴史』(講談社学術文庫)224-225ページ。 |
| 1938年、アンシュルス(オーストリア併合)後、オーストリアにあった国際刑事警察委員会(ICPC、インターポール)の本部をベルリンに移動させ、1940年8月からはハイドリヒがICPC総裁に就任している。 |
| ポーランド侵攻の前夜の1939年8月31日、ハイドリヒはポーランドを攻撃する理由を作るためにグライヴィッツ事件を策動した(詳しくは後述)阿部良男著『ヒトラー全記録』(柏書房)428-429ページ。 |
| 1941年7月31日、ゲーリングから「ユダヤ人問題の最終的解決」(ユダヤ人の絶滅政策)の委任を受け、この権限に基づき、1942年1月20日に各省次官を招集してヴァンゼー会議を主宰し、絶滅作戦を策定した(詳しくは後述)阿部良男著『ヒトラー全記録』(柏書房)506-507ページ阿部良男著『ヒトラー全記録』(柏書房)534-535ページ。 |