| パールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 |
| “裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、国際法上、日本を有罪であるとする根拠自体が成立しない”という判断によるものである。 |
| “パール判事は親日家故に日本に有利な主張をした” “反白人のため、欧米に不利な主張をした”という説は事実誤認であり、自身も強くこれを否定している。 |
| 事実、パールは意見書の中で、残虐行為などについても、敗戦国の日本やドイツ、戦勝国のアメリカに分け隔てなく批判的見解を述べ、一方の政策への個人的見解を前提とした恣意を強く戒めている。 |
| 南京事件については「すでに本官が指摘したようにこの物語の全部を受け入れる事は、いささか困難である」と、検察の提示した十数万から数十万もの大虐殺とする証言や証拠に強い疑問を呈し「宣伝と誇張をできるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は日本軍がその占領したある地域の一般民衆、はたまた戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は、圧倒的である」(パル判決書下566頁)と、犯罪行為その物は存在したと判断を下し「弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。 |
| 彼らはたんに誇張されていることを言っているのであり、かつ退却中の中国兵が、相当数残虐を犯したことを暗示したのである」という弁護側の主張を述べる。 |
| しかし、それを行った人間は直接の上司と共に既に処罰されている事、「犯罪行為の指示」「故意の無視」といった事実は見受けられないことなどから、被告に繋がる問題ではないとして残虐事件の責任を問われた松井石根に対しても無罪を宣告している。 |
| そして米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであると痛烈に批判した。 |
| バターン死の行進については「実に極悪な残虐である。 |
| 輸送機関もなく、また食糧も入手しえなかったために止むをえなかったという理由でこれを弁護しようと試みられたのである」(講談社版パル判決書下671ページ)として、その弁護が事実であったとしても正当化できる物ではないとし、「灼熱の太陽下、120キロメートルにわたる9日間の行軍の全期中、約65,000名の米国人およびフィリピン人俘虜は、その警備員によって蹴られ殴打された。 |
| 病気あるいは疲労のために行進から落後した者は、射殺され、あるいは銃剣で刺されたのであった |
| 同時に、本官は、これにたいしてどのようにして現在の被告のうちのだれかに責任を負わすことができるか、理解することができない。 |
| これは残虐行為の孤立した一事例である。 |
| その責任者は、その生命をもって、償いをさせられたのである。 |
| 本官は現在の被告のうちのだれも、この事件に関係を持たせることはできない。 |
| 」(同672頁)とした。 |
| アジア太平洋各地で、戦争の全期間を通じて、異なった地域において日本軍により、非戦闘員にたいして行われた残虐行為の事例を示し、「主張された残虐行為の鬼畜のような性格は否定しえない |
| 」(同590頁)とした後に「現在われわれが考慮しているのは、これらの残虐行為の遂行に、なんら明らかな参加を示していない人々に関する事件である。 |
| 」(同590頁)として、これらの事例が「ヨーロッパ枢軸の重大な戦争犯罪人の裁判において、証拠によりて立証されたと判決されたところのそれとは、まったく異なった立脚点に立っているのである。 |
| 」(同590頁)と、戦争犯罪人がそれぞれの司令を下したとニュルンベルク裁判で認定されたナチス・ドイツの事例との重要な違いを指摘し、前出の「(米国の)原爆使用を決定した政策こそがホロコーストに唯一比例する行為」に続いた。 |
| パール判決書は、裁判官として「東京裁判において、日本を裁く法的地位は存在しない」他、日本を裁く法的根拠は無いという判断であり、パールの主観的な道義的判断や政治的、宗教的思想を主題とした物ではない。 |
| パールの「公平さ」を訴える考え方にオランダからのベルト・レーリンク判事も共感し、その影響を受けるようになっていった2007年8月14日NHKスペシャル |
| また自らの個別意見書の発表も、パールが「反対意見」を公表すると主張した副産物であったとした「当初からパルは、自分の意見を公表しようと決めていました。 |
| 思うに、パルは裁判に加わった時から、全被告がどの訴因についても無罪であると自分が判定することになろう、とわかっていたのでしょう。 |
| そこで、他の十名の判事の決定には拘束されはしない、と言ったのです。 |
| この理由で「反対意見」を認めないとする当初の合意は崩れました。 |
| というのも、多数派に与しない判事は、多数派に賛成していると思われるのを避けるため、今や自らの考えを明らかにせざるを得なくなったからです。 |
| 」(「東京裁判とその後」訳文・牛村圭『「勝者の裁き」に向きあって』、244~245p、ちくま新書)より。 |