| 1970年代、エリソンはアンペックスで働いた。 |
| 彼の関わったプロジェクトのひとつにCIA向けデータベース開発があり、彼はそれに「オラクル(Oracle)」と名づけた。 |
| エリソンはエドガー・F・コッドのリレーショナルデータベースシステムに関する論文''ARelationalModelofDataforLargeSharedDataBanks''に触発され、1977年、自己資金1400ドルでオラクルを設立した。 |
| 当初の名称は''SoftwareDevelopmentLaboratories''(SDL)である。 |
| 1979年、''RelationalSoftwareInc.''に改称し、主要製品OracleDatabaseを出荷後は''Oracle''に改称した。 |
| 彼はIBMのSystemRデータベースがコッドの理論に基づいたものであると聞き、Oracleもこれと互換性のある製品にしたかったのだが、IBMはエラーコードを秘密にすることによって互換製品が出てくるのを防いでいた。 |
| オラクルの最初の製品はOracle2であり、Oracle1は存在しない。 |
| このリリース番号は、それ以前のバージョンのバグが全て解決されていることを暗示しようとして付けられた。 |
| 1990年、オラクルは資金繰り悪化のため全従業員の10%(400人)を解雇した。 |
| オラクルの倒産の危機は販売部門の最前線の戦略に起因するものだった。 |
| 潜在的な顧客について将来の販売も見越して一度に大量のソフトウェア製品を購入したことにし、セールスマンが売り上げノルマを達成しようとしたことが原因である。 |
| しかし、実際には入金が遅れて問題が発覚した。 |
| オラクルはこの戦略のせいで二回に及ぶ収支報告の再提示をすることとなり、財務諸表の不備によって起こされた集団訴訟を解決しなければならなくなった。 |
| ラリー・エリソンは後に、彼の会社は「信じられないビジネス上の誤り」を犯したと述べている。 |
| 当時メインフレームの関係データベース市場はIBMのDB2とSQL/DSが独占していたが、同社はUNIXやWindows向けのデータベース市場では出遅れていた。 |
| その隙間を埋めたのが、オラクル、サイベース、インフォミックス(そしてマイクロソフト)である。 |
| そのころ、オラクルは技術的にサイベースに後れを取った。 |
| 1990年から1993年、サイベースはデータベース業界で最も成長が著しく、最も信頼されていた。 |
| しかし、サイベースは1993年、データベース技術とは無関係のPowerSoftと合併してしまう。 |
| この合併によってデータベースは数ある製品のひとつとなってしまい、競争力を失っていった。 |
| 1993年、サイベースはWindows上で動作するデータベースソフトウェアの権利をマイクロソフトに売却した。 |
| これが"SQLServer"として販売されることになる。 |
| 1994年、サイベースに代わってインフォミックスがオラクルのライバルとして台頭してきた。 |
| インフォミックスのCEOであるフィル・ホワイトとラリー・エリソンの熾烈な争いは3年間もシリコンバレーのトップニュースとなった。 |
| 最終的にオラクルがインフォミックスを打ち破ったのは1997年である。 |
| また、同じ年にアップルにスティーブ・ジョブズが戻ると、エリソンも同社の取締役会に呼ばれるようになった。 |
| エリソンは2002年にアップルの取締役会に出席する時間がないとして取締役を辞任している。 |
| インフォミックスとサイベースを打ち破ったことで、オラクルは市場での優位を謳歌した。 |
| しかし1990年代終盤になるとマイクロソフトのMicrosoftSQLServerが台頭して来た。 |
| また、IBMは2000年にインフォミックスを買収し、DB2の補助製品を得ることとなった。 |
| 現在、オラクルの主なライバルは、IBMのDB2、オープンソースのMySQL、マイクロソフトのSQLServerである。 |
| メインフレーム市場は相変わらずIBMのDB2が独占している。 |
| 2009年4月、オラクルはIBMやヒューレット・パッカードとの綱引きの後、サン・マイクロシステムズを買収する意図があることを発表した。 |
| 欧州連合は2010年1月21日、オラクルによるサン・マイクロシステムズ買収を承認し、「オラクルによるサンの獲得は、重要な資産を活性化し、新たな革新的製品を生み出す可能性を持っている」と評価した。 |