| 同国人のレイ・エルナンデスを最終・12回TKOに降し、王座獲得。 |
| 1990年3月15日には初防衛に成功。 |
| 1990年10月25日、無敗のまま27戦目で世界王座初挑戦。 |
| 後楽園ホールでWBC世界ストロー級王者大橋秀行に挑む。 |
| 4回に1度ダウンを奪うと、迎えた5回、王者に更なる追撃を浴びせ、2度のダウンを追加。 |
| 王者が通算3度目のダウンから立ち上がろうとしたところでレフェリーストップとなり、新王者となった。 |
| 翌1991年5月19日、静岡での初防衛戦では地元出身・平野公夫の挑戦を受け8回TKO勝ち。 |
| 1992年10月11日、5度目の防衛戦では王座獲得を果たした後楽園ホールに再登場。 |
| 台湾出身のロッキー・リンと指名試合を行い、2回KO勝ち。 |
| 日本での試合はこれが最後となったが、以降も日本での世界戦に出場する同国人選手の応援や韓国やタイでの遠征試合の調整などでたびたび来日。 |
| 1995年4月1日、「タバナス大塚」のリングネームで日本でも活躍しているアンディ・タバナス(フィリピン)を最終12回KOに降し、14度目の防衛に成功した後は負傷の影響で1年弱試合から遠ざかる。 |
| 負傷から復帰した後も防衛を重ね続け、1997年8月23日、20度目の防衛戦を迎える。 |
| WBO世界同級王者アレックス・サンチェス(プエルトリコ)との統一戦となったこの試合も5回TKO勝ちを収め、遂にWBC王座防衛回数を20の大台に乗せるのと同時にWBO王座も獲得した。 |
| その後、WBO王座は防衛することなく返上。 |
| 1998年3月7日に行われたWBC王座21度目の防衛戦はWBA王者ロセンド・アルバレス(ニカラグア)との王座統一戦。 |
| 前評判ではロペスが圧倒的に有利とされたが、2回にWBA王者の強打を受けてしまい、アマ・プロ通じて初のダウン。 |
| 辛くも立ち上がり、試合続行に応じたものの、本来の調子とは程遠かった。 |
| そして、無方7回、偶然のバッティングでまぶたをカットし大量出血。 |
| ここでドクターストップがかかり、規定により負傷判定が適用されることになった。 |
| お互いに王座防衛には成功したものの、ロペスにとっては完璧な全勝レコードに傷をつける形になってしまった。 |
| 同年11月13日、アルバレスと再戦。 |
| アルバレスが体重超過により計量で失格となり、WBA王座を剥奪された中での試合となった。 |
| ここでもロペスは苦戦を強いられたが地力で優り、最後は2-1の12回判定勝ち。 |
| WBC王座22度目の防衛に成功すると同時にWBA王座も獲得した。 |
| その後、WBA王座は返上。 |
| 1999年、IBFライトフライ級王者ウィル・グリッグスビー(米国)への挑戦が決定したのに伴い、9月29日付で正式にWBC世界ミニマム級王座剥奪。 |
| 9年弱保持し続けてきた王座に別れを告げた。 |
| 1999年10月2日、グリッスビーに挑戦し、12回判定勝ち。 |
| プロちょうど50戦目にして2階級制覇を達成したが、その後は負傷の影響で1年以上試合から遠ざかる。 |
| 2000年12月2日、1年2か月ぶりの初防衛戦。 |
| 元IBF世界ミニマム級王者でもあるラタナポン・ダッチボーイジム(タイ)と対戦し、3回TKO勝ち。 |
| 翌2001年9月29日、2度目の防衛戦ではラタナポンと同じ元IBF世界ミニマム級王者ゾラニ・ペテロ(南アフリカ)と対戦し、8回TKO勝ち。 |
| この試合を最後に2002年、王座在位のまま現役を引退。 |
| 1つの引き分けこそあったものの、アマ・プロ通じ、1度の敗戦も経験することなくリングを去った。 |