| ポルトガルの強豪スポルティング・リスボンでキャリアをスタート。 |
| 1991年にはポルトガルU-20代表としてFIFAワールドユース選手権優勝に貢献。 |
| ルイ・コスタ、パウロ・ソウザ、フェルナンド・コウト、ジョアン・ピント等と共にポルトガルの将来を担う「ゴールデン・ジェネレーション(黄金の世代)」と呼ばれた。 |
| 1995年にスペインのバルセロナへ移籍。 |
| その破壊力抜群の突破力とチャンスメイクで右サイドを支配、FWのクライファート、左サイドのリバウドと共に3トップを形成し、国内外の数々のタイトルを獲得する原動力となり、ドリーム・チーム以降のバルセロナのシンボルとして絶大な支持を得た。 |
| 2000年には欧州年間最優秀選手を受賞したフィーゴであったが、2000-2001シーズンにレアル・マドリードの銀河系政策第1号として、バルセロナからライバルのレアル・マドリードへ電撃移籍。 |
| これに反発したバルセロナ・サポーターが、フィーゴ自身が経営するバルセロナ市内の日本料理店を破壊するという大変な騒動にまで発展した過去にもミカエル・ラウドルップやベルント・シュスターなどバルセロナからレアル・マドリードに移籍した選手はいた。 |
| しかしフィーゴは移籍の2日前に会見でファンに向けて「移籍は無い」と嘘の発言をし、また、移籍の理由が年俸が多いという理由のみであり、バルセロナのソシオの信頼を踏みにじった裏切り行為といえる移籍であった。 |
| また、バルセロナのホームスタジアム、カンプ・ノウに初めて乗り込んだ試合ではフィーゴがボールに触れれば即ブーイングが起き、「守銭奴」フィーゴの顔を印刷した100億ペセタ(移籍金)のニセ札が作られ投げられ、フィーゴがコーナーキックを蹴ろうとすればスタンドからビンやゴミやペットボトル、さらには豚の顔の皮まで投げ入れられるなどして、約10分間試合が中断されるなど荒れに荒れた無観客試合などの制裁は科されなかった。 |
| 結果は2-0でバルセロナが勝利し、試合後には宿敵レアル・マドリードと裏切り者のフィーゴを倒したということもあり、ほとんどのバルセロナの選手がフィーゴに声をかけに行くシーンが印象的であった。 |
| またEURO2004、ポルトガルとギリシャの決勝戦でも、試合途中にFCバルセロナの旗を持ったバルサ・サポーターの男がピッチに走りこみ抗議を行い取り押さえられる場面もあり、うな垂れるフィーゴの映像も印象深く、いまだに過去の確執を根にもたれている様子である。 |
| このような騒動があったにもかかわらず、フィーゴにとってバルセロナ時代は思い出深いものらしく、「僕の経験上、(バルセロナでの)2年目(1996-97シーズン)は本当に素晴らしいシーズンだった」 |
| 伝統的なライバル間の移籍という大きなプレッシャーの中、ラウール・ゴンサレス、ロベルト・カルロス、翌2001年に加入したジネディーヌ・ジダンらと共に豪華な攻撃陣を形成し、銀河系軍団と称されるレアル・マドリードの黄金期の中心選手となり、自身も2001年にはFIFA最優秀選手賞を受賞したフィーゴ以降のレアル・マドリードは、スター獲得でのクラブ強化に重点を置いている。 |
| 2004-05シーズンは、レギュラーとして序盤は右サイドで、2005年1月にバランサーとしてトーマス・グラベセンが加入してからはスポルティング・リスボン在籍時以来のトップ下でプレーし、まずまずのパフォマーンスを見せていたフィーゴだったが、終盤に突如ルシェンブルゴ監督との確執それまでレギュラーとしてスタメン出場していたフィーゴは、ルシェンブルゴから何の忠告もなくエル・クラシコでスタメンを外され、その後右サイドでプレーしていたデビッド・ベッカムの欠場時にもスタメン起用されることはなくなった。 |
| プライベートでは「おはよう」や「さようなら」という挨拶すら交わさなかった。 |
| が生じ、それ以後、先発出場がなくなり全て後半途中出場となった。 |
| 半ば喧嘩別れに近い形で2005-06シーズンからはインテルへ移籍し、活躍の場をイタリアへ移した。 |
| レアル・マドリード時代は限界説が囁かれたがその能力はいまだ健在で、セリエAでもUEFAチャンピオンズリーグでも中盤の右サイドで活躍している。 |
| 2006年12月にサウジ・プレミアリーグの強豪アル・イテハドへのレンタル移籍が取り沙汰され、シーズン終了後の移籍が正式に発表されたが、クラブ側の契約内容不履行(具体的にどのようなことであったかは不明)を理由に移籍は立ち消え。 |
| プレー続行を希望するインテル側の要望に応え、2007-08シーズンもインテルで戦うこと決定した。 |
| しかし、起用法などから徐々にロベルト・マンチーニ監督との確執が表面化し、「来シーズンもマンチーニが残るなら移籍する」という旨の発言をした。 |
| その後、2008-09シーズンからは同胞のジョゼ・モウリーニョがインテルの監督に就任、「経験を生かし、若手の指南役になってほしい」との意見を聞き、フィーゴはインテルに残ることとなった。 |
| 2009年5月30日に、31日開催のアタランタ戦を最後に現役引退を自身の公式サイトで表明した。 |
| そして、5月31日のアタランタ戦、フィーゴは前半45分だけ出場。 |
| これが現役最後の試合でもあった。 |
| 引退後はインテルの幹部に就任することになった。 |
| ポルトガルカップ優勝 1回(1994/95)。 |
| UEFAカップウィナーズカップ優勝 1回(1996-1997)。 |
| UEFAスーパーカップ優勝 1回(1997)。 |
| スペインリーグ1部優勝 2回(1997-1998,1998-1999)。 |
| コパ・デル・レイ優勝 2回(1996-1997,1997-1998)。 |
| スペインスーパーカップ 2回(1995,1997)。 |
| レアル・マドリード時代。 |
| UEFAチャンピオンズリーグ優勝 1回(2001-2002)。 |
| UEFAスーパーカップ優勝 1回(2002)。 |
| トヨタカップ優勝 1回(2002)。 |
| スペインリーグ1部優勝 2回(2000-2001,2002-2003)。 |
| スペインスーパーカップ 2回(2001,2003)。 |
| セリエA優勝 4回(2005-2006,2006-2007,2007-2008,2008-2009)。 |
| コッパイタリア 1回(2005-2006)。 |
| スーペルコッパ・イタリアーナ 3回(2005-2006,2006-2007,2008-2009)。 |