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プロフィール
- ルドルフ・シュタイナーとは
- 概略
- 文芸
- 哲学
- 霊的な知識(精神科学)
- 社会改革
- 学校教育
- 幼児教育
- 治療教育
- 七年周期による教育
- 四つの気質
- 芸術
- 建築
- 芸術観念
- 医学
- 農業
- 宗教刷新
- 幼少時代 ウィーン以南のオーストリア各地 1861-1872
- 実業学校時代 ヴィーナー・ノイシュタット 1872-1879
- 学業時代 ウィーン 1879-1890
- ヴァイマール時代 1890-1896
- アントロポゾフィー発展の第二段階 1910-1916
ルドルフ・シュタイナー( 1861年2月27日-)は、オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家。アントロポゾフィー(人智学)の 創始者。哲学博士。
概略
| シュタイナーは20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びたフランス・カルルグレン(著)、高橋明男(訳)『ルドルフ・シュタイナーと人智学』(「水声社 1992年12月1日」。 |
| 1900年代からは神秘的な結社神智学協会に所属し、ドイツ支部を任され、一転して物質世界を超えた“超感覚的”(霊的)世界に関する深遠な事柄を語るようになった。 |
| 「神智学協会」幹部との方向性の違いにより1912年に同協会を脱退し、自ら「アントロポゾフィー協会(人智学協会)」を設立した。 |
| 「アントロポゾフィー(人智学)」という独自の世界観に基づいてヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回にも及び、多くの人々に影響を与えた。 |
| また教育、芸術、医学、農業、建築など、多方面に渡って語った内容は、弟子や賛同者たちにより様々に展開され、実践された。 |
| 中でも教育の分野において、ヴァルドルフ教育学およびヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)が特に世界で展開され、日本でも、世界のヴァルドルフ学校の教員養成で学んだ者を中心にして、彼の教育思想を広める活動を行っている。 |
文芸
| 当時22歳の学生であったシュタイナーはゲーテの自然科学に関する著作を校訂し、序文を書く仕事を依頼され、13年間かけて完成させた。 |
| その成果は1897年に『ドイツ国民文学』という叢書の第一巻として出版された。 |
| このシュタイナーの業績は識者たちから大いに評価された。 |
哲学
| ロストック大学()で哲学の博士号を取得し、その学位論文を編集して『真理と科学』GA3として出版した。 |
| 1894年には哲学的主著『自由の哲学』GA4を出版し、その5年後には自身のゲーテ研究の集大成として『ゲーテの世界観』GA6を出版したが、哲学の研究者たちからはほとんど評価を得ることができなかった。 |
| 「自由の哲学」ではあるゆる哲学の試みを検討しつつも、複眼的視点においてその欠陥を確定し、別の観点を試みている。 |
| シュタイナーは伝記の中で、霊的な物の見方の準備をした試みを哲学において行ったと言い、その当時の自分の哲学を「客観的観念論」と名づけた。 |
| 霊的なものを受け入れる土台つくりに若い頃は励んでいた。 |
| 自由とは結局、一つの物の見方より、より多くの物の見方を得た時のみ、得る事が出来るというような事を指示しているが、これがシュタイナーの言いたかった霊的なものへの暗示とも言える。 |
霊的な知識(精神科学)
| シュタイナーによれば、人間の持っている通常の五感では事物の表面しか捉えることはできず、人間の死後に五感を越えたより高次の7つの超感覚(霊的感覚/器官・チャクラ)によって初めて、事物の本質を把握することができるという。 |
| そして、その超感覚は誰しもが潜在的に持っているものであり、生きている間は瞑想や思考の訓練によって引き出すことができるとした。 |
| ゆえに自分が語っている霊的な事柄も万人が確かめることができるものだとして具体的な修行法を本で公開した。 |
| しかし、霊媒や降霊術等の、理性的な思考から離れて感情に没入する“神秘主義”については、科学的でなく、間違った道であると警鐘を鳴らしていた。 |
| シュタイナーは「精神“科学”」という言葉にも表れているように、霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った自然科学的な態度で探求するということを、最も重要視していた。 |
| この姿勢が降霊術などを用いたり、東洋の神秘主義に傾いて行った神智学協会と袂を分かつことになった原因の一つでもあった。 |
| 自著『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』では具体的な霊的体験を得るための修行法を描いているが、二部を作る前に世を去った。 |
| また自身が40歳になるまでは霊的な指導を引き受けなかったのは、40歳までに霊的な指導を引き受けると誤謬に陥り易くなるためだとも言う(発明は40歳までのは人類の道徳を退行させ、40歳以後は人類の道徳に貢献するものにもなる、と主張されている)。 |
社会改革
| 人類史上初めての世界的戦争である第一次世界大戦後の最中にあって、戦争を初めとした社会問題の解決策として、「社会有機体三層化運動」を提唱した。 |
| 社会という有機体を精神生活(文化)、法生活(政治)、経済生活の三つの部分が独立しながらも、精神生活においては「自由」を、法生活(政治)においては「平等」を、経済生活においては「友愛」を原則として、この3つが有機的に結びつくことが健全な社会のあり方であると説いた。 |
| 当時のドイツの外務大臣を初めとする国家の指導者たちにこの提案を知らせたが、政治的に採用されるには至らず、長い間顧みられなかったが。 |
| 1970年代後半ころ再び検討され出し、1980年代の西ドイツの緑の党(DieGrünen)の創立理念に影響を与えた。 |
学校教育
| シュタイナーの人間観に基づき、独自の教育を行う「自由ヴァルドルフ学校」は、1919年にシュトゥットガルトの煙草工場に付属する社営学校として開校された。 |
| この工場に働く労働者の子弟が生徒であったため、初等・中等教育および職業教育を行う総合学校の形態をとった。 |
| このタイプの学校がドイツ内外で次々に設立された。 |
| 現在ドイツのそれらは自由ヴァルドルフ連盟に属している。 |
| ヨーロッパ地区では「ヴァルドルフ学校」または「ルドルフ・シュタイナー学校」と総称され、600校(うちドイツに200校)ほどが各国連盟ごとに存在している。 |
| 日本およびアジア各国においては「シュタイナー教育」という呼称が一般的である。 |
| 日本およびアジアには正規の連盟がなく、したがって認証の基準もないまま、各フリースクールが勝手に名乗っている現状である。 |
| シュタイナー学園(神奈川県相模原市藤野町)や東京賢治の学校自由ヴァルドルフシューレ(鳥山敏子代表)など数校が交流を試みている。 |
| ヴァルドルフ学校は自称のそれまでを含めると世界中に900校以上あるといわれる。 |
幼児教育
| シュタイナーは、1920年6月の、さきの学校での教員会議で「ほんとうは、幼稚園の頃から子どもを預かることができるとよいのです。 |
| 子どもたちを受け持つ時間が長ければ長いほどよいのです。 |
| 就学以前の子どもたちを受け入れることができるはずです。 |
| (中略)幼い子どもたちの教育の方が重要なのです」と発言するなど、幼児教育の重要性を説き、彼の指導のもと、E.M.グルネリウスによってシュタイナー幼稚園を設立する意向であった。 |
| しかし、彼の存命中に叶わず、亡くなった翌年の1926年にグルネリウスらによって、シュタイナー教育の理念に基づく幼稚園が始まった。 |
| 高橋弘子 『日本のシュタイナー幼稚園』水声社1995年12月)ISBN978-4891763206。 |
治療教育
| 障害を持つ子供達を受け持っていた学生たちがシュタイナーから受けた助言をもとに、ドイツのイェーナ近郊に治療教育施設「ラウエンシュタイン治療教育院」を作った。 |
| ちょうど同じころスイス・アーレスハイムの臨床治療院(現在はイタ・ヴェークマンクリニックと呼ばれている)では、心身に何らかの障害を持つ子どもたちが入院し、その入院施設が後に発展して、1924年に治療教育施設「ゾンネンホーフ」が成立した。 |
| シュタイナーは治療のために薬以外にも、音楽、絵画、彫塑、オイリュトミーなどの芸術や宗教による特別の教育を示した。 |
| イギリスにおいては治療教育は、シュタイナー教育の代名詞と言われるほど評価が高い。 |
七年周期による教育
| シュタイナーによれば人間は7年毎に体を完成させてゆき、63歳で成長の頂点を迎えるとしている。 |
| 7歳までを肉体、14歳までをエーテル体、21歳までをアストラル体の完成とし、それ以降は自我が独立して発達するとし、それ以前の期間を教育が必要な時期とした。 |
四つの気質
| シュタイナーは四体液説の粘液の分類を取り入れており、自我が優勢な胆汁質、アストラル体が優勢な多血質、エーテル体が優勢な粘液質、肉体が優勢な憂鬱質があり、それぞれの気質の中心によって、子供を分類して対応を変えている。 |
| この気質は誰もが四つ持っているが、優勢なものが一つあるが、個人における四気質を調和へと導くことが教育の課題であるとしている。 |
芸術
| 超感覚的世界というテーマを含んだ新しい劇である「神秘劇」を四作創作した。 |
| 現在でも毎年、スイスのドルナッハで上演されている。 |
| 音や言葉の質を身体の動きによって表現する独自の芸術を考案した。 |
| これはシュタイナー教育のカリキュラムや障害児に対する治療教育にも用いられている。 |
建築
| 自分達が内部で行うにふさわしい建物の形が必要だとの考えから、シュタイナーがゲーテアヌムと呼ばれる独特の形姿を持つ建物の設計を行った。 |
| 最初に建設されたゲーテアヌムは、2つの天蓋が有機的に交わる木製の建築物だったが、火事により消失。 |
| 現在はミュンヘンのピナコテーク・デア・モデルネに模型が置かれている。 |
| 第二ゲーテアヌムについては、彼自身が粘土で模型を制作、現場で建築作業を直接指導し、小ドームの絵の大半を自ら描いた。 |
| 普遍アントロポゾフィー協会(一般人智学協会)があり、人智学運動の中心地となっている。 |
芸術観念
| シュタイナーは芸術を感覚界における超感覚界の表現だとしており、美は理念(イデア)の表現ではなく、表現によるイデアそのものだとしている。 |
| 美的な体験はアストラル体(感情、感受的心魂の表現)を通じるものだとし、芸術によるいくつかの療法も行っている。 |
医学
| シュタイナーは医師や薬剤師、医学生などを前に自らの霊学に基づく医学に関する講演を多く行った。 |
| また医師たちの診療に同行し、助言を与えたりした。 |
| その結果、オランダの女医イタ・ヴェーグマン博士の主導で、「臨床医療研究所」や製薬施設が作られた。 |
| シュタイナーが示した治療法や薬剤に関する示唆は多くの医師の関心を呼び、研究がなされ、様々な国で薬剤が生産されるようになった。 |
| その一つが現在、シュタイナーの理念に基づいて、自然の原料のみを使った化粧品や食品を製造している会社「Weleda」(ヴェレダ)である。 |
農業
| シュタイナーは有機農業のような地球次元だけでなく、天体の動きなど宇宙との関係に基づいた「農業暦」にしたがって、種まきや収穫などを行うという自然と調和した農業、「バイオダイナミック農法」(ビオダイナミック、ビオディナミとも、BIO-DYNAMIC)を提唱した。 |
| ヨーロッパを初め世界各国で研究・実践されている。 |
| シュタイナーの農業理念に基づいて設立されたドイツ最古の認証機関であるデメター(demeter)は有機農法の連盟の中でも代表的な団体であり、厳格な検査によって、バイオダイナミック農法の商標の認証を行っている。 |
| 日本では1985年に千葉県(現在は熊本県)の農場で「ぽっこわぱ耕文舎」が日本で初めて「バイオダイナミック農法」を始めた。 |
宗教刷新
| 神学者たちや宗教に関心を持つ学生たちのキリスト教改革の求めに応じて、神学についての講義を行い、新しいキリスト教の秘跡の儀式を伝授した。 |
| それらを元に司祭たちが宗教革新運動を始め、キリスト者共同体が設立された。 |
| 運動の中心は司祭の養成学校のあるドイツのシュトゥットガルトで、イギリス、オランダ、スカンディナヴィアにもある。 |
| 全ての人種、民族、宗教、国籍、性別、階級、信念などから独立しているアントロポゾフィーの創始者である彼が、特定の宗教団体(つまりここではキリスト教)の設立に助力をするという行動は、例外的なものである。 |
| この団体は普遍アントロポゾフィー協会(一般人智学協会)から独立したれっきとした宗教組織で、シュタイナーはこの組織に属さないで外部から司祭達に助言を与え続けた。 |
幼少時代 ウィーン以南のオーストリア各地 1861-1872
| 1861年2月27日オーストリア=ハンガリー帝国の国境近くの町クラリエヴェク(現在のクロアチア)にてオーストリア帝国南部鉄道の鉄道員(公務員)である、ヨーゼフ・シュタイナーの第一子として誕生(両親は前年5月16日に結婚)。 |
| 1862年(1歳)ミュードリングへ転居。 |
| 1863年(2歳)年頭 僅か半年でミュードリングを去り、ポッチャッハ(何れも現在のオーストリア領)へ転居。 |
| 彼は8歳までそこで生活する、また妹(レオポルディーネ)と弟(グスタフ)が生まれたのもこの土地である(家族は合計五人で、これ以降家族が増えることはなかった)。 |
| 1868年(7歳)この頃、物質世界を超えた超感覚的(霊的)世界を感知するようになったという。 |
| 1869年(8歳)父親の転勤のため、ノイドゥルフルへ転居する。 |
| 1870年(9歳)学校の代用教員に幾何学に関する本を借り、幾何学に魅了される。 |
| 1871年(10歳)、カトリック教会のミサに出席し、大きな感銘を受け、また教区のリベラルなカトリック神父を通して地動説を知る。 |
| 隣町ウィーナー・ノイシュタットの医師カール・ヒッケルを通してドイツ文学を知る。 |
実業学校時代 ヴィーナー・ノイシュタット 1872-1879
| 1872年(11歳)ノイドゥルフルから5km離れた隣町ウィーナー・ノイシュタットにある実業学校に徒歩で通学する。 |
| 1873年(12歳)学校の年報の中あった原子と分子に関する論文に触発され、自然科学の文献を読みあさる。 |
| 1876年(15歳)、ヒッケル医師を通して哲学者テーオドール・レッシングを知る。 |
| 1877年(16歳)小遣いを貯めてカントの『純粋理性批判』を購入し、一人で読みふける。 |
学業時代 ウィーン 1879-1890
| インツァースドルフ(ウィーンから南東南へ約5km離れた近郊都市)への転勤のため、そこから2km離れたオーベルラーに住む。 |
| 入学までの夏休みには(新学期は秋に始まるので)、フィヒテの知識学に没頭する。 |
| 10月、ウィーン工業高等専門学校(現ウィーン工科大学)の実業学校教職コース(専門学校)に入学し、主に数学、生物学、物理学、化学を学ぶ。 |
| 1881年(20歳)通学の電車の中でフェリックス・コグッツキー(1833-1909)に出会い交友を深め、後にトゥルーマウの自宅を度々訪問するようになる。 |
| 1883年(22歳)3月当時の著名な出版家、ヨーゼフ・キルシュナーは無名の学生であった22歳のシュタイナーの才能に注目し、ゲーテの自然科学に関する著作を校訂し、序文を書く仕事を依頼する。 |
| ライトリンガーの実験室にて、物理学講座を選択し、特に光学に関する知識を得、後の『ゲーテの色彩論』の編集の際に、光の本質を理解する為の基礎を築く。 |
| キュルシュナー編集の辞典の縁もあり、美学に関する研究を進め、特にアレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテンとエドゥアルト・フォン・ハルトマンの美学史に専念し、その研究内容はヴァイマールの「ゲーテ協会」にて『新たな美学の父としてのゲーテ』という題名の講義によって公開される。 |
ヴァイマール時代 1890-1896
| 1891年(30歳)ロストック大学のハインリッヒ・フォン・シュタイン教授に学生資格のない社会人として自費で論文指導(ExternePromotin)を受けることを許され、『認識論の根本問題――特にフィヒテの知識学を考慮して』と題する論文で哲学博士の学位を取得する。 |
アントロポゾフィー発展の第二段階 1910-1916
| 1911年(50歳)1月 アニー・ベサントの養子ジッドゥ・クリシュナムルティ(1895-1986)を救世主とする「東方の星教団」がインドで設立され、まだ若かったジッドゥ・クリシュナムルティ(が、チャールズ・W・リードビターを初め、何人かの神智学協会の代表者らにより、“来るべき世界教師”、“キリストの再来”として宣伝されるようになる。 |
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1861年
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オーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロ... |
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