| 1999年に男子テニス国別対抗戦・デビスカップのオーストラリア代表選手に選ばれ、マーク・フィリプーシスらと共にオーストラリアを13年ぶりの優勝に貢献。 |
| 2000年には世界ランキングでトップ10入りすると、同年の全米オープンではベスト4に進出。 |
| 準決勝でピート・サンプラスに敗れたが、男子ダブルス部門ではマックス・ミールヌイと組んで優勝に輝いた。 |
| 2001年、全米オープンの決勝でピート・サンプラスを7-6,6-1,6-1で破って4大大会初優勝を果たすと、ジャパン・オープン・テニス選手権でも初来日を優勝で飾った。 |
| 11月19日付で史上最年少の20歳8ヶ月で世界ランキング1位に登り詰め、その後の年間最終戦テニス・マスターズ・カップを制し、2001年度を世界ランキング1位で終え、戦績80勝18敗、勝率0.8163を数える好成績を挙げた。 |
| 2002年、SAPオープン決勝ではアンドレ・アガシを、インディアンウェルズ・マスターズとロンドン大会の決勝ではティム・ヘンマンを下して優勝。 |
| さらにウィンブルドン選手権では決勝でダビド・ナルバンディアンを6-1,6-3,6-2で破って初優勝を果たした。 |
| 続く全米オープンでは準決勝でアンドレ・アガシに敗れたが、シンシナティ・マスターズとパリ・マスターズで準優勝。 |
| その後の年間最終戦では2連覇を果たし、2002年度も世界ランキング1位で終えた。 |
| 2003年、インディアンウェルズ・マスターズ決勝でグスタボ・クエルテンを下して優勝。 |
| その後は不調に陥り、80週かけて守った世界ランキング1位から陥落。 |
| ウィンブルドン選手権では、オープニング・マッチ(前年優勝者が初戦でセンター・コートの第1試合に出る慣例の事)でイボ・カルロビッチの時速210km/hを超える高速サーブの前に敗れてしまい、同選手権の男子部門で1967年のマニュエル・サンタナ(スペイン)以来36年ぶりの前年王者の初戦敗退という屈辱を舐めた。 |
| 2003年度は17位で終えた。 |
| 2004年は不調から脱し、メディバンク国際、ロッテルダム、ワシントンとロングアイランドで優勝。 |
| シンシナティ・マスターズと全米オープン、年間最終戦で準優勝する好成績を残し、ランキング3位で年を終えた。 |
| この年は4大大会などの大舞台でロジャー・フェデラーにことごとく敗れている。 |
| まず全豪オープン4回戦で6-4,3-6,0-6,4-6、続いてウィンブルドン選手権準々決勝で1-6,7-6,0-6,4-6、更に全米オープン決勝で 0-6,6-7,0-6、そして年間最終戦のラウンドロビンでは3-6,4-6、決勝では3-6,2-6で敗れていた。 |
| 2005年、全豪オープンでは地元選手としてパット・キャッシュ以来17年ぶりの決勝進出を果たしたが、マラト・サフィンに6-1,3-6,4-6,4-6で敗れて地元優勝を逃した。 |
| ウィンブルドン選手権と全米オープンでは、ロジャー・フェデラーに準決勝で、それぞれ3-6,4-6,6-7と3-6,6-7,6-4,3-6で敗れている。 |
| フェデラーには、2003年までは7勝2敗と勝ち越していたが、2004年以後は2010年全豪オープンまで15連敗とまったく歯が立たなくなった。 |
| ランキング4位で年を終えている。 |
| その後は怪我などに苦しめられ、1998年から2007年まで毎年記録していたツアー優勝も2008年に途絶えた(その後、2009年・2010年にはツアー優勝している)。 |
| 2009年ウィンブルドン選手権では3年ぶりに準々決勝に進出したが、アンディ・ロディックに3-6,7-6,6-7,6-4,4-6で敗れている。 |
| 2010年のゲリー・ウェバー・オープン決勝では、ロジャー・フェデラーから7年ぶりの勝利を挙げて優勝した。 |