| 学生時代から全米オールスターのアメリカンフットボール選手として鳴らし、ジャパンボウルで来日。 |
| コロラド大学卒業後の1978年、NFLのロサンゼルズ・ラムズにドラフト3位で入団 |
| 1980年1月にはスーパーボウルにも出場した(対戦相手は当時最強のスティーラーズ)。 |
| ゆえに、本人の右手薬指には常に、その証となるスーパーボウルリングがはめられている。 |
| 膝の怪我で引退後、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンマイク・ウィーバーのスパーリングパートナーなどをしていたが、1985年にプロレス入りしベイビー・ブル(Baby Bull)のリングネームでAWAからデビュー。 |
| ブル・パワーのリングネームでヨーロッパCWAに転戦、オットー・ワンツを破りCWA世界ヘビー級王座を獲得。 |
| その後マサ斎藤にスカウトされ、1987年12月にTPG(たけしプロレス軍団)の刺客、ビッグバン・ベイダーキャラクターデザインは獣神ライガーの作者でもある漫画家の永井豪として新日本プロレスに登場。 |
| アントニオ猪木対長州力のIWGPヘビー級王座選手権が予定されていたところにTPGが割り込んだため観衆の不満が爆発し、最終的に暴動にまでなるが、ベイダー自身はその騒ぎの中、猪木から3分弱でフォールを奪う(混乱の末に猪木があっけなく負けたことが観衆の怒りに拍車をかけ、新日本はこの件で会場の両国国技館を管理する日本相撲協会から国技館の使用停止処分を受けている)。 |
| 翌1988年から新日本の常連外人として定着、IWGPヘビー級王座、IWGPタッグ王座を獲得したほか、1991年より並行して当時新日本と提携していたWCWにも登場。 |
| WCW世界ヘビー級王座を獲得している。 |
| 1993年5月、UWFインターナショナルに移籍。 |
| スーパー・ベイダーに改名し、1994年8月には高田延彦を破ってプロレスリング世界ヘビー級ベルトを奪取した。 |
| 1996年1月に新日本プロレスに参戦し、正月恒例の東京ドーム大会でアントニオ猪木と対戦するも敗北。 |
| 翌2月にはWWFに移籍。 |
| 1997年9月には、ケン・シャムロックとの試合貸し出しの形でFMW川崎球場大会に参戦。 |
| 1998年5月、全日本プロレスに初登場する(リングネームは「ベイダー」を使用)。 |
| そしてWWFとの契約解除後の同年11月より本格的に全日本プロレスに参戦。 |
| 年末恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場し、準優勝(パートナーはスタン・ハンセン、公式戦は全勝)。 |
| 1999年3月、ジャイアント馬場没後初の三冠戦(王座決定戦)で田上明を破り三冠ヘビー級王座を獲得、4月にはチャンピオン・カーニバル優勝。 |
| 5月の東京ドーム大会(馬場の追悼興行)で三沢光晴に敗れて三冠王座を陥落したものの10月に奪還。 |
| 2000年2月にはスティーブ・ウィリアムスとコンビ結成し世界タッグ王座を奪取。 |
| 全日本プロレス分裂後の2000年10月からは、外国人勢では珍しくプロレスリング・ノアに参加。 |
| 2001年10月にはスコーピオと組んで初代GHCタッグ王座を獲得。 |
| ノア離脱後はWJプロレスを経て、ハッスル、全日本プロレス、MAKEHEN、WWE、「レッスルランド」に登場。 |
| なお、新日本プロレス離脱後、日本国内では「スーパー・ベイダー」「ビッグ・ベイダー」、海外では「Vader」などとリングネームを変更した上、マスクやリングコスチュームも違うデザインのものを使用していたが、2005年頃から再びビッグバン・ベイダーのリングネームを使用している。 |
| 2008年現在はコロラドでプロレスリングスクールの準備やプロレス以外のビジネスなど幅広く活動している。 |
| 2009年2月に元WWEのテストとともに来日し、ベイダータイム1,2を開催。 |
| 7月にはトレバー・マードック、ヘイリー・ヘイトレッド、ランス・ケイドらを伴い、ベイダータイム3,4を開催した。 |
| 2010年4月29日、ベイダータイム5において、自らの復帰戦を息子ジェシー・ホワイトの日本デビュー戦とともに開催し、往年のライバル藤波と18年ぶりに対戦した。 |
| 近年は、リングネームの商法登録を持つ新日本プロレスが他の複数団体との交流があるため、他団体でもビッグバン・ベイダーのリングネームを用いることが多い。 |