| "ザ・ガスボード"などのバンドでの活動を経て、女子校の美術講師をしながら、陶芸の創作活動していたブライアン・フェリーは、キング・クリムゾンのヴォーカリスト・オーディションをエルトン・ジョン等と共に受けているが落選(この時合格したのはボズ・バレル)しかしその際に、EG(当時のクリムゾンの所属事務所)に知られたことが後の活動に大きな意味を持っている。 |
| "ロキシー・ミュージック#1"というべきバンドはこの時期既に存在していたらしく、メンバーはブライアン・フェリーとシンプソン(彼らは大学時代からの友人だった)に、ロジャー・バーン(g)、デイヴィー・オリスト(g元ナイス)、デクスター・ロイド(d)らがいたことが知られている。 |
| その後、シンセ奏者として参加してきたアンディ・マッケイと、彼が連れてきた友人ブライアン・イーノを加え、シンセにはイーノ、マッケイは木管奏者にコンバートされる。 |
| 同時期にフィル・マンザネラがイーノの助手のような形で参加(当初の肩書きはサウンドミキサーである)、ロイドの脱退によってトンプソンが参加。 |
| オリストの脱退を機にマンザネラがギタリストになって、デビュー時のラインナップが揃う。 |
| ここまでが1971年までに進行した。 |
| いわゆるメジャーデビュー前の「ハコ回り」の類がないというのは異例。 |
| 1971年12月24日のファーストライヴで、見に来ていたであろう、以前クリムゾンのオーディションで自分を落としたEG関係者を打ちのめし、翌年2月14日にマネジメント契約を勝ち取る。 |
| 6月には1st.アルバム"ROXYMUSIC"、7月には1st.シングル"VirginiaPlain"を発表。 |
| 当時グラムロックシーン全盛(彼らのメジャー・デビューはデヴィッド・ボウイの"ジギー・スターダスト"発売直後だった)のロンドンで、グラムロック一派と見なされ、後世もそう分類しているが、彼らは他のグラムロッカー達と、サウンドの特徴において全く共通点がなく、その異質ぶりはシーンで大きく注目されたことは、NMEによる各部門賞で新人賞を受賞したことからも伺える。 |
| 1st.アルバム"ROXYMUSIC"の特徴は、1990年代のピチカート・ファイヴが得意だった本歌取り、そして今日のDJが行っている「リミックス」「マッシュアップ」を先取りしていたことである。 |
| 古典的なロックンロールの典型パターンをループさせ、当時としては非常に斬新であるシンセサイザーノイズを被せた「Re-make/Re-model」は、今で言うリミックスに他ならない。 |
| また、1950年代のアメリカ〜イギリス映画のサントラを継ぎ接ぎしたような「TheBOB(Medley)」は、現在のマッシュアップが別々の曲を並列でリミックスするのに対し、異なった曲を直列で演奏するという技巧的な違いはあるが、「異なった曲を並べて趣の違いを堪能する」と言うコンセプト面でマッシュアップの萌芽とも解釈できる。 |
| 注:翌1973年のNME誌の"MostPromisingNewBritishName"部門でロキシーは1位,、"BestUKsingle"に"VirginiaPlain"が2位、"BestUKMalesinger"部門ではフェリーが17位にランク。 |
| その後彼らはデヴィッド・ボウイの"ジギー・スターダスト"英国ツアーのサポート・アクトの傍ら精力的にレコーディングなどを行い、1973年3月には早くも2nd.アルバム"ForYourPleasure"を発表。 |
| 「男装の麗人」アマンダ・レアが登場したジャケットが話題となるとともに、"Gramnoir"と形容された、よりダークかつ先鋭化した内容が注目を集め、英チャート上位に食い込む成功を収める。 |
| しかしこの頃既に、フェリーとともにバンドの創設からのメンバーだったシンプソンが脱退(1st.録音の段階で脱退していたという説もある。 |
| "VirginiaPlain"のベースはリック・ケントン)しており、このアルバムでは後にTheSmithsを手がけるジョン・ポーターがベースを担当している。 |
| なおこの後ロキシーは解散までレギュラーのベーシストを加入させておらず、ジョン・ガフタフスン(1973~1975年)、ジョン・ウェットン(1975年頃)、リック・ウイリス(1975年ツアー)、サル・メイダ(1975年ツアー)、ゲイリー・ティッブス(1978~1980年)、アラン・スピナー(1979~1983年)、ニール・ジェイソン(1980~1983年)が出入りしている。 |
| そして、このアルバムをリリースした後、ロキシーの音楽を考える上で転機とも言えるメンバー・チェンジが発表される。 |
| ブライアン・イーノの脱退である。 |
| 元々イーノは効果音・エフェクト担当という非常にファジーなポジションであったが、当時の彼の人気は絶大で、フロントであるべきフェリーが「バンドに二人もブライアンは要らない」と言ってイーノをクビにしたとの説まであるが、真相がどのようなものであるにせよ、メンバー間の音楽・非音楽両面における軋轢はかなり大きかったことが予想される。 |
| バンドは元カーヴド・エアのマルチプレイヤーである(キーボードとヴァイオリン)エディ・ジョブソンを加え、1973年11月に3rd.アルバム"Stranded"を発表。 |
| 前2作の喧騒に溢れた未来派的なサウンドを薄める代わりに、ヨーロッパ浪漫主義的方向を指向しはじめる。 |
| 実際「ノンプレイヤーのバンド」であったロキシーにあって確かな楽器の演奏技術を持つジョブソンの加入は大きな意味を持ち、この時期のロキシーはファンに非常に根強い人気を持っている。 |
| 同時期にフェリーが発表した1st.ソロアルバム"TheseFoolishThings"(邦題「愚かなり、我が恋」)で、ロック以上に濃厚に感じさせたスタンダード・ナンバーへの愛着といったノスタルジックかつアダルト向きな音楽嗜好が、イーノというある種の異物を排除した結果、ロキシーに反映されるようになったもので、同時に最初のロキシーに色濃く感じられたプログレッシブ・ロック的と言える前衛性は薄れていく。 |
| 1974年11月、4th.アルバム"CountryLife"発表。 |
| 更に耽美・叙情性を増した音楽性もさることながら、シースルーの下着を着けた女性2人というジャケットが物議を醸す。 |
| カナダでは女性2人が消され、ドイツでは1人の顔だけをアップにし、アメリカでは袋入りで発売される等、国ごとに様々な措置が取られた。 |
| 右側の黒い下着の女性は、もとは男性である「ロキシー・ミュージック&ブライアン・フェリー・アルバム・ガイド」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p9上段)より。 |
| 1975年10月、5th.アルバム"Siren"発表。 |
| ジャケットに写っている女性モデル、ジェリー・ホールは、当時ブライアン・フェリーの恋人だったが、後年ミック・ジャガーと結婚。 |
| 本作からの先行シングル「LoveIsTheDrug」は、全英2位・全米30位のヒットを記録し、一躍ロキシーの名を広めた。 |
| しかし、ツアー終了後にロキシーは一度解散。 |
| 1976年発表のライヴ盤"Viva!RoxyMusic"が、初期ロキシー最後のアルバムとなった。 |