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プロフィール
- ロジャー・クレメンスとは
- プロ入りまで
- ボストン時代(1983年 - 1996年)
- トロント時代(1997年 - 1998年)
- ニューヨーク時代(1999年 - 2003年)
- ヒューストン時代(2004年 - 2006年)
- 2度目のニューヨーク時代(2007年 - )
- ポストシーズンでの活躍
- 引退宣言 そして撤回
- 人物
- 選手としての特徴
- 薬物疑惑
- 獲得タイトル・記録
- 関連サイト
ウィリアム・ロジャー・クレメンス(WilliamRogerClemens,1962年8月4日-)は、アメリカ・メジャーリーグのプロ野球選手(投手)。160km/前後の球速とその力強い弾道、育った場所が NASAの連絡基地のあるヒューストン近郊ということからロケットと呼ばれる。メジャーを代表する投手の1人。歴代最多7度の サイ・ヤング賞受賞をはじめ、数々の記録、獲得タイトルにより、多くの野球解説者から大リーグ史上5本の指に入る投手といわれている。また、2006年、ESPN解説者達の投票により、生存する最も偉大なピッチャーに選ばれた。しかし、ミッチェル報告書で薬物疑惑が指摘されている。
プロ入りまで
| クレメンスが3歳の時に両親は離婚。 |
| 母親はすぐにウッディー・ボウワーと再婚し、今でもクレメンス本人は彼を父親として敬っているが、9歳の頃に死去。 |
| 1977年までオハイオ州デイトンに住んだ後、高校時代をテキサス州で過ごした。 |
| 同州ヒューストンのスプリング・ウッズ高校ではアメリカン・フットボール、バスケットボール、そして野球の3種目でスターとして活躍した。 |
| 野球では一塁手と投手でテキサス州選抜に選ばれ、3年次にはフィラデルフィア・フィリーズとミネソタ・ツインズから誘いを受けるが、断り大学に進学。 |
| 大学ではアメリカン・フットボールのディフェンシブとして1つ、バスケットボールのセンターとして2つの推薦を受けるものの、大学では野球を続けることを選択した。 |
| 1981年にはサン・ヤシント・ジュニアカレッジで9勝2敗の成績を挙げ、全米選抜に選ばれた。 |
| 同年ニューヨーク・メッツにドラフト12巡(全米288位)で指名されるがこれを拒否し、テキサス大学へ進学した。 |
| 1982年から2年間で25勝7敗、275イニングを投げ、奪三振241を記録。 |
| 1983年に全米大学野球選手権で優勝し、当時付けていた背番号21は同大最初の永久欠番となっている。 |
| それまで全米一の大学野球選手に与えられていたロータリー・スミス賞は2004年よりクレメンスの功績を称えてロジャー・クレメンス賞と改名された。 |
ボストン時代(1983年 - 1996年)
| 4月29日にフェンウェイ・パークで行われたシアトル・マリナーズ戦で、クレメンスは史上初の9回20奪三振を記録。 |
| この記録はケリー・ウッドとランディ・ジョンソンに並ばれてはいるものの、破られてはいない(トム・チェイニーが16回21奪三振を記録している)。 |
| クレメンスは20奪三振試合を2度達成しており、これは史上唯一の記録である。 |
| 2回目は9月18日にタイガー・スタジアムのデトロイト・タイガース戦であり、これは彼の最後から2回目のレッドソックスでの試合であった。 |
| 最初の20奪三振試合の時と同様、四球は出さなかった。 |
ニューヨーク時代(1999年 - 2003年)
| 2000年のシーズンにはニューヨーク・メッツの捕手マイク・ピアッツァとの不仲が伝えられた。 |
| 2000年7月8日のメッツ戦で、クレメンスはピアッツァの頭に死球を与えてしまう。 |
| 以前からピアッツァはクレメンスとの対戦成績が非常によく、1か月前にも満塁本塁打を彼から打ったばかりなのでその恨みであったのだろうとの推測を受けた。 |
| この出来事とその後はメディアで大きく報じられ、ピアッツァはクレメンスを大きく批判。 |
| その一方で、自軍の正捕手に死球が与えられても報復死球を行わなかったメッツにも矛先が向かった。 |
| そしてそのシーズンでヤンキースとメッツがワールドシリーズで対戦することになると、この2人の因縁に注目する人は多かった。 |
| クレメンスが先発登板した第2戦のピアッツァの第1打席ではバットが折れ、その部分がクレメンスに向かって飛んできた。 |
| 彼はそれを拾い、ピアッツァが走っていた一塁線に向かって投げつけた。 |
| バットの破片はピアッツァには当たらなかったものの、両軍のベンチが飛び出し大乱闘になった。 |
| クレメンスは後に、彼は破片をボールと間違えて投げたと述べたが、普通一塁にボールを転送する際とは投げる方向が全く異なっていたため、これを信じる人は少なかった。 |
| メッツの投手アル・ライターは、「もし彼が本当に間違えたのだったら、ティノ(・マルティネス、ヤンキースの一塁手)に破片を投げつけるべきではなかったのかい?」と皮肉った。 |
| この様な頻繁な因縁のぶつかり合いにも関わらず、両者は特に積極的に争いを展開させる気は薄かった。 |
| ボストン・グローブ紙の記者はこの両者の争いを2人の学校の番長に例え、喧嘩を怖がっているもののやらざるをえなくなって困惑している、と述べた。 |
| この試合でクレメンスに退場は告げられなかったものの、罰金5万ドルが課せられた。 |
| この試合、彼はメッツを8回2安打無失点9奪三振に抑えた。 |
| クレメンスの2003年シーズン終盤は幾度と無く引退に関連付けたイベントが開催され、ホーム・アウェイ問わず盛大な歓声で迎えられていた。 |
| 特に長年ホームとしていたフェンウェイ・パークでの最終登板では中々歓声が鳴り止むことは無かった(ヤンキースはこの年レッドソックスとア・リーグリーグ優勝決定シリーズで再戦することになったため、2回の“最終登板”があった)。 |
| また、レギュラーシーズン最終戦ではヤンキースの代理監督としても采配を振った。 |
| フロリダ・マーリンズと対戦したワールドシリーズでは1度先発登板し、降板時は1-3で負けていた。 |
| 降板する際にはマーリンズ側もベンチから全員フィールド上に出てスタンディング・オベーションでクレメンスを見送っていた。 |
ヒューストン時代(2004年 - 2006年)
| クレメンスは結局引退を撤回し、故郷テキサスのヒューストン・アストロズと1年契約を1月12日に結んだ。 |
| これは、地元の家族とそばにいるためと、同じくヤンキースから移籍したアンディ・ペティットともう一度野球をやりたかったからと本人は言っている。 |
| 同年5月5日には4137個目の三振を奪い、カールトンを抜き去り歴代最多奪三振でライアンに次ぐ2位につく。 |
| この年18勝4敗をマークし、通算成績も328勝164敗に伸ばした。 |
| また、歴代最多(7度目)、最年長(42歳)、最多球団(4球団)でのサイ・ヤング賞受賞を達成した。 |
| 両リーグでサイ・ヤング賞を受賞したのはゲイロード・ペリー、ペドロ・マルティネス、ジョンソンに並ぶ歴代4人目である。 |
| 家族との時間を望んで居住地のアストロズと契約した経緯があり、契約内容には「登板しないホームゲーム時には、チームに帯同しなくてよい。 |
| 」、「登板しない遠征には同行しなくてよい。 |
| 息子の少年野球を見に行って、観客席から審判にクレームをつけて、審判から退場を宣告されたこともあった(試合後にクレメンスが審判に謝罪している)。 |
| 1月21日に両者は1800万22ドルの契約に合意、年俸調停を避けることに成功した。 |
| この契約によりペドロ・マルティネスの1,750万ドル(2004年)を上回る1年ごとの契約金額でメジャー史上最高額の投手になった。 |
| 2005年は13勝8敗だったが、彼の挙げた防御率1.87はこの年のメジャー全体で一番低く、また彼の現役生活でも一番低く、そしてナ・リーグ投手が挙げたものとしてはライバルと言われている名投手グレッグ・マダックスが1995年に挙げて以来のものであった。 |
| にも関わらず、13勝止まりだったのは、打線の援護がなかったからだと言われている。 |
| アストロズ打線はクレメンス登板試合で平均3.5点しか打てず、その上32回の先発登板中9回も相手投手に完封されていた。 |
| アストロズはこのシーズン5試合ものクレメンス登板試合を0-1で落としており、4月には3連続も喫している。 |
| 4月8日にはシンシナティ・レッズに勝ったことにより近代野球の勝ち星数でスティーブ・カールトンに並び、また第二次世界大戦以降にキャリアが始まった投手としては最多となった。 |
| 近代野球でクレメンスより多くの勝ち星を挙げているのは左投手のウォーレン・スパーンのみである。 |
| また、カールトンを抜いたことにより生存している野球選手の中でも最多の勝利を挙げていることになった。 |
| なお、9月28日にグレッグ・マダックスがジャイアンツ戦において通算355勝目を挙げ、戦後生まれの通算勝利数において2位へと後退している。 |
| ナ・リーグ優勝決定シリーズで勝った後、アストロズはワールドシリーズに進出した。 |
| 同大会に集中するためとしてしばらく進退の公表を控えていたが、WBC2次ラウンド・メキシコ戦敗退後には「個人的には、現段階で『さようなら』だ」との発言をしていたため、引退が噂された。 |
| 結局、5月31日にアストロズで現役を続行することが決まり、1年契約で2,200万22ドル(約24億8,000万円)もの巨額の契約を結んだ(ただし、シーズン途中からの入団となるため、実質的に受け取った額は約1,200万ドルほど)。 |
| 2006年6月22日のツインズ戦で復帰を果たしたが、ルーキーのフランシスコ・リリアーノに敗北を喫してしまう。 |
2度目のニューヨーク時代(2007年 - )
| 2007年6月9日のパイレーツ戦にて復帰登板し、6回を7奪三振3失点で勝利。 |
| シーズン終了後FAとなり以降は所属球団がない状態となっているが、現役を続行するか引退するかは未だ表明していない。 |
ポストシーズンでの活躍
| 1986年のア・リーグ優勝決定シリーズでは、第1戦に打ち込まれ、第4戦では自身が守り抜いた3-0のリードを救援陣が打ち込まれ、そして第7戦では好投してレッドソックスをワールドシリーズに導いた。 |
| クレメンスのポストシーズンにおける最も大きな敗北は1990年ア・リーグ優勝決定シリーズ第4戦対オークランド・アスレチックスであり、その試合でクレメンスは審判と抗議した末退場処分をくらい、レッドソックスもその試合に負け4連敗で敗退してしまった。 |
引退宣言 そして撤回
| しかし、その後FAを宣言したり、年俸調停で球団側に2200万ドル(約22億6000万円)を提示するなど現役続行への動きを見せ、2005年1月22日に投手としては史上最高額となる1800万ドル(約18億5000万円)の1年契約を結んだ。 |
| その後も2005年のシーズンオフにアストロズを自由契約となった後、WBC2次リーグ敗退の際「現時点では『さよなら』だ」という引退表明とも取れるコメントを残したが、2006年5月31日に2200万0022ドル(約24億8000万円)でアストロズと1年契約ながら再契約を結び、6月22日に再契約後初登板を行った。 |
人物
| 同様に2006年の春季キャンプ、ワールド・ベースボール・クラシックのための調整でマイナーリーグに登板した際に息子のコービー・クレメンス(当時1Aの選手、2005年ヒューストン・アストロズに8位(全米254位)で指名され入団した)に本塁打をされると、やはり次の打席での彼に対する初球はビーンボールであった。 |
| 2006年4月4日に熱狂的だったWBCでの日本と韓国の応援についてのコメントを求められると、「みんな日韓戦を見に行ったんだろうね。 |
選手としての特徴
| 90mph中頃の速球とよく落ちるスプリッターを武器とし、カーブと90mph前後のカット・ファストボールに近い軌道のスライダー、カット・ファストボールも投げるスカウティング・レポート『月刊スラッガー』2003年5月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-5、66-69頁。 |
| 日頃からの節制・鍛錬("hardwork")の結果、39歳を超えてなお速球で100mph(約161km/h)、スプリッターで93mph(約150km/h)を計時するなど進化し続ける39歳の秘密『月刊スラッガー』2001年12月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-11、18-23頁十分な球威を保った。 |
| 過去に伊良部秀輝がテレビで、デービッド・ウェルズ、デービッド・コーンとともに腕のフリが見えにくく、キャッチボールの段階から凄かったと証言した。 |
薬物疑惑
| 2007年12月13日付けで公表された前上院議員のジョージ・J・ミッチェルによる報告書(通称ミッチェル・レポート)に複数のステロイドホルモン剤、および人成長ホルモン剤などの投与を受けていたとして、トレーナーのブライアン・マクナミーの証言を基に実名で克明にその使用経緯が記載されている。 |
| この報告書によると、クレメンスは1997年のトロント・ブルージェイズ時代にトレーナーのマクナミーと出会い、マーリンズ戦を含む遠征の後半か遠征から戻った直後に最初のステロイドホルモン剤、ウィンストロール(Winstrol)を自身から用意してマクナミーに臀部に注射するように依頼した。 |
獲得タイトル・記録
| アメリカンリーグ・MVP1回:1986年。 |
| アメリカンリーグ・サイ・ヤング賞6回:1986年、1987年、1991年、1997年、1998年、2001年。 |
| 最優秀防御率7回:1986年(2.48)、1990年(1.93)、1991年(2.62)、1992年(2.41)、1997年(2.05)、1998年(2.65)、2005年(1.87)。 |
| 最多奪三振5回:1988年(291)、1991年(241)、1996年(257)、1997年(292)、1998年(271)。 |
| MLBオールスターゲーム選出11回:1986年、1988年、1990年-1992年、1997年、1998年、2001年、2003年-2005年。 |
| 1試合20奪三振2回:1986年4月29日(シアトル・マリナーズ戦)、1996年9月18日(デトロイト・タイガース戦)。 |
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1962年
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ウィリアム・ロジャー・クレメンス(William ... |
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ヴァイダ・ブルーが受賞して以来2人目で、そ... |
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