| ピッツバーグ・パイレーツスカウトは投手補強のため、モントリオール・ロイヤルズのジョー・ブラック獲得を狙っていたが、クレメンテを目のあたりにし佐山48頁、1954年11月22日にピッツバーグ・パイレーツから、現在のルール5ドラフトにあたる制度で指名を受けて移籍。 |
| 1955年4月17日にメジャーデビュー。 |
| 同年、124試合の出場で打率.255・5本塁打・47打点でメジャー1年目を終え、チームはリーグ最下位だったが、スポーティング・ニュース(1955年7月)によるとパイレーツのファンはクレメンテの守備と強肩にほれ込んだという佐山49頁。 |
| 1956年にはリーグ3位となる打率.311を記録。 |
| 1957年から3年間、持病である背中の痛みや、相手投手の研究もあり低迷佐山50頁。 |
| 1960年、打率.314・16本塁打・94打点と自己ベストを更新し、オールスター初選出を果たした。 |
| チームは33年ぶりにリーグ優勝を果たし、ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは4勝3敗で35年ぶりの世界一に。 |
| クレメンテは全7試合に出場し、チーム最多の9安打を記録。 |
| 1961年、打率.351で初の首位打者に。 |
| そして、201安打・30二塁打・23本塁打・100得点と自己記録を更新。 |
| オールスターでは初の先発出場を果たし、オールスター初安打を記録。 |
| 1964年、自己最多の155試合に出場し、打率.339で二度目の首位打者となり、翌1965年も打率.329で3度目の首位打者に。 |
| 1964年シーズン終了後、クレメンテはベラ・ザバラと結婚佐山51頁。 |
| ハリー・ウォーカー監督から1966年開幕前に25本塁打・115打点を希望されていたが佐山69頁、クレメンテはそれを上回る自己最高の29本塁打・119打点を記録。 |
| ナショナルリーグのMVPを27勝・防御率1.73・奪三振317の成績で投球三冠となったサンディー・コーファックスと争うことになったが、投票の結果はクレメンテが218ポイントに対して、コーファックスは208ポイント。 |
| 10ポイント差でナショナルリーグMVPに選出された。 |
| 1967年、自己最高の打率.357で4度目の首位打者を獲得。 |
| 同年5月15日、クロスリー・フィールドで行われた対レッズ戦でクレメンテは、5打数4安打(3本塁打、1二塁打)を放ち、打点はチームの全得点である7打点を記録。 |
| 守備では本塁打性の打球を好捕する活躍。 |
| しかし、チームは7対8で敗れた。 |
| この試合は1968年版のパイレーツのメディアガイドでクレメンテの最も輝かしい試合の1つと評された。 |
| また、このメディアガイドはクレメンテがパイレーツ史上最高の選手となったと評している佐山74頁。 |
| パイレーツはクレメンテの活躍をファンと共に祝うため、1970年7月24日に「ロベルト・クレメンテ・ナイト」(RobertoClementeNight)が催された佐山85-86頁。 |
| 球団などから様々な記念品を贈られる予定だったが、クレメンテは記念品ではなくピッツバーグの小児科医のためのお金を希望。 |
| それに賛同してお金は小児科医に寄付された佐山87頁。 |
| 同年8月22日から23日にかけて1901年以降のメジャーリーグで初となる2試合で10安打を記録。 |
| チームは地区優勝を果たし、クレメンテは打率.352を記録。 |
| レッズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは3連敗でシーズンを終えた。 |
| 1971年、チームは11年ぶりにワールドシリーズへ進出。 |
| 下馬評では対戦相手のボルチモア・オリオールズが優勢だったが佐山93頁、4勝3敗でパイレーツがワールドチャンピオンとなった。 |
| クレメンテは打率.414を記録し、ワールドシリーズMVPに選出された。 |
| 第7戦ではソロ本塁打を放ち、チームは2対1で勝利。 |
| クレメンテはワールドシリーズに出場した全14試合で安打を記録しており、当時、ハンク・バウアーの17試合連続安打に次ぐ連続安打記録だった。 |
| 3000本安打達成に残り118安打で1972年シーズンを迎えた。 |
| クレメンテの実力から達成は容易と思われたが、足首の故障で試合を欠場することもあったため、一時は絶望視された佐山95頁。 |
| しかし、9月2日に2971安打を記録し、ホーナス・ワグナーの球団通算安打記録を更新。 |
| 9月28日にベテランズ・スタジアムで行われたフィリーズ戦の2打席目で2999安打を放ち、その次の打席では代打を送られた。 |
| 翌日から閉幕までの5戦はすべて本拠地スリー・リバース・スタジアムで行われた。 |
| 9月29日のメッツ戦の最初の打席でトム・シーバーから大きくバウンドする打球を放ち、ケン・ボスウェル二塁手はグラブの先でボールをはじいため、公式記録員はボスウェルの失策としたが、電光掲示板では「H」が表示されてしまったため、観客は騒然となった佐山96頁。 |
| 結局この試合は4打数0安打に終わった。 |
| クレメンテは試合後に「あれがヒットに判定されなくてよかった。 |
| 私は文句のつけようのないヒットがほしいんだ」と語った佐山97頁。 |
| 9月30日のメッツ戦の2打席目にジョン・マトラックから二塁打を放ち、3000本安打を達成。 |