| ロベールは空想好きの少年だったようである。 |
| 父親のアンジェロ・ジュゼッペは家の近くのコルソ通りとバルベリーニ通りの映画館の出入りを子供たちに自由にさせ、ロベルトはサイレント時代の人気映画スター、パール・ホワイトの連続物に夢中になった。 |
| また、サイレント時代の大作史劇『カビリア』(1914)を見て、弟や妹、従兄弟のレンツォ・アヴァンツォ(彼は後に『戦火のかなた』に出演することになる)たちとごっこ遊びをしてあそんだ。 |
| しかし、子供時代のロベルトが一番熱中したのは機械いじりだった。 |
| 彼は邸の一室を実験室にしてもらい、機械を組み立て、実験をした。 |
| ロベルトは第一次世界大戦中にヨーロッパで猛威を振るったスペイン風邪に罹患し、冬の間中ベッドで過ごした。 |
| そのため、後期中学では弟のレンツォのクラスへ編入した。 |
| 『無防備都市』の出演者マルチェロ・パリエーロはこの時の学友である。 |
| ロベルトは読書家でピエール・ロティ、ジュール・ベルヌ、レマルクの小説、そしてダンテの神曲(特に地獄篇)が彼の愛読書だった。 |
| また、彼は速度に魅せられ、早くも9歳で車の運転をさせてもらう。 |
| 驚いたことに当時は車の運転に法的な年齢制限がなかった。 |
| ロベルトは虚弱だった上に肋膜炎を患っており、兵役不合格者とされて軍隊は免除となった。 |
| 1932年にロベルトの父アンジェロ・ジュゼッペが死去。 |
| 当時のロッセリーニ家の財政状態は1929年の経済恐慌の打撃を受け、極度に悪化した。 |
| その結果、ロッセリーニ家は多くの地所を売却せざるを得なかった。 |
| しかし、ロベルトはこれまでと変わらず同じような生活を送る。 |
| 1936年にロベルトはローマの宝石商の娘マルチェッラ・デ・マルキスと結婚。 |
| 彼女との間には後に2人の男子ができる。 |
| 結婚前にはロベルトは人気女優のアッシャ・ノリスが恋人で、彼は彼女を通じ映画に興味を抱き、スカレラ・フィルムのスタジオに通い詰めた。 |
| そして、ようやく脚本家としての仕事を始める。 |
| ただし、脚本に彼の名前は掲載されず、脚本料は1本3000リラにしかならなかった。 |
| 後にロッセリーニの名が正式に載るのは、ゴッドフレード・アレッサンドリーニ監督の『空征かば』(1938)からである。 |
| 1936年に自主制作で2本のアマチュア短編映画『ダフネ』、『牧神の午後への前奏曲』を撮る。 |
| 後者は当時ドビュッシーに心酔していた弟のレンツォのアイディアに基づいたもので、タイツ姿で着衣のないように見せた男女が神話風に田園を彷徨うというもの。 |
| 1939年には『海底の幻想』『横柄な七面鳥』『元気なテレーザ』の3本の短編を発表。 |
| 『海底の幻想』は冷凍食品会社のジュネペスカから委託された魚類の短編ドキュメンタリー映画。 |
| 『横柄な七面鳥』と『元気なテレーザ』の2本の短編のキャメラマンは、後に『血ぬられた墓標』(1960)や『白い肌に狂う鞭』(1963)などのホラー映画で知られるマリオ・バーヴァである。 |
| ロッセリーニが脚本と助監督として参加した『空征かば』は政治家ムッソリーニの息子ヴィットリオ・ムッソリーニが監修。 |
| 彼は後にネオレアリズモの母体となる映画批評誌「チネマ」の編集部を訪れることもあったが、映画批評には興味がなかったようである。 |
| 1941年、海軍省の映画センターの責任者で海軍司令官のフランチェスコ・デ・ロベルティスはロッセリーニに病院船の活動を描いたドキュメンタリーを委託した。 |
| こうして生まれたのがロッセリーニの長編第1作『白い船』(1941)である。 |
| 『白い船』は、ヴェネツィア国際映画祭に出品され、ファシスト党杯を授与され、大成功をおさめた。 |
| 続く第2作は、ギリシャ戦線でのイタリア空軍パイロットの活躍を描いた『パイロット帰還ス』(1942)。 |
| この作品では「チネマ」の同人、ミケランジェロ・アントニオーニとマッシモ・ミーダ(後に彼は『戦火のかなた』の助監督になる)が脚本に参加し、ヴィスコンティのネオリアリズモ映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のマッシモ・ジロッティが主役のパイロットを演じた。 |
| 『パイロット帰還ス』は1942年4月、ファシスト指導者、閣僚、次官たちが出席してローマのスペルチネマで盛大なプレミア上映会が行われた。 |
| 1942年6月、チネチッタ撮影所で『十字架の男』(1943)がクランク・イン。 |
| この作品は、ロシア戦線で英雄的な死を遂げた従軍司祭、レジナルド・ジュリアーニの姿を描いたものである。 |
| 主演のアルヴェルト・タヴァッツィはプロの俳優でなく装置家で、ロシア娘役のドイツ人女優ロスヴィタ・シュミットはロッセリーニの愛人であった。 |