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つながりの強いひと
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ローマ皇帝
紀元前27年に元老院よりアウグストゥス(Augustus)の尊称を授与されたアウグストゥス本人と、この尊称を帯びた彼の後継者をさす。ローマ皇帝というひとつの職... |
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コンスタンティノス7世
父
東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位:913年-920年、944年-959年 共同皇帝:920年-944年)。「ポルフュロゲネトス」は「緋色の産室生まれ(皇帝の嫡子)... |
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バシレイオス2世
東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位:976年-1025年)。禁欲的な軍人皇帝として活躍し、第一次ブルガリア帝国などの周辺地域を征服。東ローマ帝国の最盛... |
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コンスタンティノス8世
東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位:1025年-1028年)。中世ギリシア語読みでは「コンスタンディノス」となる。コンスタンティノスはロマノス2世の次男... |
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ロマノス1世レカペノス
父
東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位:920年-944年)。マケドニア王朝開祖のバシレイオス1世同様、アルメニア人農民の子として生まれ、海軍の士官として... |
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ニケフォロス2世フォカス
東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位:963年-969年)。中世ギリシア語読みでは「ニキフォロス」となる。 |
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ヨハネス1世ツィミスケス
東ローマ帝国中期、マケドニア王朝の皇帝(在位:969年-976年)。軍人皇帝として活躍し、東ローマ帝国領を東方へ拡大させた。「ヨハネス」は慣用読みで、中世... |
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バシレイオス1世
東ローマ帝国マケドニア王朝の初代皇帝(在位:867年-886年)。アルメニア系農民の子から皇帝にまで上り詰めた。彼に始まるマケドニア王朝は10世紀から11世紀... |
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コンスタンティノポリス
第四の十字軍 コンスタンティノポリス略奪の真実 INSIDE HISTORIES ジョナサン・フィリップス/著 野中邦子/訳 中島由華/訳 出版社名 : ... |
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レオーン6世
東ローマ帝国マケドニア王朝の第2代皇帝(在位:886年-912年)。中世ギリシア語読みでは「レオン」となる。“ソフォス”は「賢者」を、“フィロソフォス”は「哲... |
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テオドラ
東ローマ帝国マケドニア王朝の女帝(在位:1055年-1056年)。コンスタンティノス8世の三女で、ゾエの妹に当たる。ミカエル5世の追放後、姉のゾエと共に女帝と... |
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藤原高光
平安時代中期の歌人。藤原北家、右大臣・藤原師輔の八男。官位は従五位上・右近衛少将。法名は如覚(にょかく)。多武峰少将入道と号す。三十六歌仙の一人。 |
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呉越
中国の俳優。中国には同姓同名の男優と女優が存在するが、この項目では男優の呉越について述べる。 |
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ロマノス3世アルギュロス
東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位:1028年-1034年)。先帝コンスタンティノス8世には男児がおらず、三人の娘しかいなかったが、享楽的で怠惰なコンス... |
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ミカエル3世
東ローマ帝国アモリア王朝の第3代(最後)の皇帝(在位:842年-867年)。同王朝第2代皇帝テオフィロスの子。中世ギリシア語読みでは「ミハイル」となる。“メ... |
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賀茂光栄
平安時代の陰陽師、陰陽家。丹波権介・賀茂忠行の孫で、陰陽頭・賀茂保憲の長男。官位は従四位上・右京権大夫。父・保憲は後に家学であった陰陽道のうち暦道... |
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アゼルスタン
アゼルスタン(英語Athelstan,古英語Æðelstan,895年-939年10月27日)はイングランドのサクソン系の王(在位:924年8月2日-939年10月27日)。エドワード長兄王... |
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アンティオキア
セレウコス朝のセレウコス1世が父アンティオコスを記念して建設し、各地に存続したギリシア語の都市名。シリアのアンティオキアが有名。新改訳聖書ではアンテ... |
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サクソン
イギリスの代表的なヘヴィメタルバンド。NWOBHM(NewWaveOfBritishHeavyMetal)ムーヴメントの代表格バンドの一つ。 |
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ユスティニアヌス1世
東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝の第2代皇帝(在位:527年-565年)。正式名は、フラウィウス・ペトルス・サッバティウス・ユスティニアヌス()。後世「大... |
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プロフィール
- ロマノス2世とは
- 人物・略歴
- 死後の政争
- 参考文献
人物・略歴
| 959年、父コンスタンティノス7世の死により後を継いで即位する。 |
| 美男であったが政治にも軍事にも関心がなく、曽祖父バシレイオス1世のような勇敢さも、祖父のレオーン6世や父コンスタンティノス7世のような学問への興味も持っていなかった。 |
| 宴会が大好きで狩りとポロに明け暮れていたため、自ら国事を司ることはなく、すべて臣下に任せきりであった井上(2009)P159。 |
| 行政面においては父時代からの重臣である宦官のヨセフ・ブリンガスやテオドロス・デカポロティスを重用して帝国政治の整備を行なった。 |
| 軍事面においては名将ニケフォロス・フォカスに軍を預けて、イスラム勢力からクレタ島を奪回し、帝国領を東方に大きく拡大することに成功した。 |
| ところが、ロマノス2世は狩猟に出かけて事故にあい、在位わずか4年で死去。 |
| 復活祭の最中だというのに道もない山奥へ出かけ、落馬して命を落としたと伝えられている井上(2009)P161。 |
死後の政争
| 後には絶世の美女として知られた皇后のテオファノ、5歳のバシレイオス(後の皇帝バシレイオス2世)と3歳のコンスタンティノス(後の皇帝コンスタンティノス8世)の二人の皇子、皇女アンナ(後のキエフ大公ウラジーミル1世妃)が残された。 |
| ロマノスを支えてきた宦官のブリンガスと将軍のニケフォロスは、どちらが幼い皇帝の摂政として実権を握るかをめぐって争ったが、結局軍と首都市民の支持を受けたニケフォロス・フォカスがブリンガス派との首都市街戦に勝利し、テオファノを皇后と結婚して帝位に就いた井上(2009)P1161-165。 |
参考文献
| 井上浩一 『ビザンツ皇妃列伝 憧れ-の都に咲いた花』2009年白水社からの再版ISBN978-4-560-72109-4元は筑摩書房、1996年(絶版)。 |
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