| サリーのドーキングに生まれる。 |
| 父は英国国教会牧師であったジェラルド・カー・オリヴィエ師。 |
| のちにオリヴィエは自伝において「上品だが貧しく、野心を抱くには最も適した環境に育った」と記してある。 |
| 3歳の時にロンドンへ移り、母の希望で9歳でオール・セインツ教会聖歌隊に所属し、音楽を学ぶかたわら演技の勉強もした。 |
| 12歳で母を病気で亡くす。 |
| 1921年にオックスフォードのセント・エドワーズ・スクールに学び、1922年にはオリヴィエの最初のシェイクスピア劇出演となる聖歌隊の公演である『じゃじゃ馬ならし』でケイト役に扮し、続いて1923年に学校劇で『夏の夜の夢』のパック役を演じて大成功を収める。 |
| この頃から俳優になることを決心し、また貧しい家庭環境で息子が世に出るには演劇の道しかないと判断した父親から風呂の中で「お前は俳優になるのだろう?」と言われたこともあり、1924年に17歳でロンドンのセントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマに入学した。 |
| 1925年にプロとしてスタートを切り、同年の秋にブライトンのヒポドローム劇場での『幽霊列車』で初舞台。 |
| 1926年にバーミンガムのバーミンガム・レパートリー・シアターの『農夫の妻』の巡業に参加し、そのまま同劇団と契約する。 |
| 最初は端役しか貰えなかったが、後に『ハムレット』や『マクベス』の古典劇から新作劇まで数々の舞台をこなし、舞台俳優として着実に実績を重ねていく。 |
| この頃には生涯の友となるラルフ・リチャードソンと出会う。 |
| 1928年にフリーに戻り、1929年に『三階の殺人』のニューヨーク公演にも参加する。 |
| 1930年にドイツ・ウーファ社の『TheTemporaryWidow』にて映画デビュー、また同年には女優のジル・エズモンドと2年間の交際が実って結婚する。 |
| 結婚後出演したノエル・カワードの舞台劇『私生活』がヒットし、ブロードウェイに進出。 |
| 1931年、ブロードウェイ公演終了後にハリウッドへ呼ばれ、『FredandLovers』など3作品に映画出演、2年近く滞在することになった。 |
| 1933年に帰国し、ロンドンの舞台に復帰する。 |
| 1937年には映画『無敵艦隊』で共演したヴィヴィアン・リーと恋に落ち、人目を忍ぶ仲がしばらく続いた。 |
| 同年にシェイクスピア劇の本拠オールド・ヴィック・シアターに加わり、『ハムレット』や『十二夜』の舞台が成功したのを機にスター俳優としての声価も確立するようになる。 |
| 1938年に『嵐が丘』の撮影のため渡米。 |
| 撮影の合間に『風と共に去りぬ』の映画化が決定したことから、スカーレット・オハラ役を熱望していたリーを呼び寄せて製作者のデヴィッド・O・セルズニックに紹介する。 |
| 1940年8月に『美女ありき』の撮影中にエズモンドとの離婚が成立、撮影終了後に晴れてリーと再婚し、帰国する。 |
| 帰国後は海軍に志願、航空隊のパイロットとして海軍に在籍中の1943年に、命じられて国威発揚映画『TheDemi-Paradise』と『ヘンリィ五世』を監督・主演。 |
| 特に『ヘンリィ五世』はシェイクスピア劇の完璧な映画化と絶賛される。 |
| 1944年にはラルフ・リチャードソンとともに、ドイツ空軍のロンドン爆撃で劇場が破壊されて以来、停止していたオールド・ヴィク座の再建に尽力。 |
| 終戦後はヨーロッパ各地やニューヨークに巡業し、批評家から絶賛される。 |
| これらの功績により、1947年にナイト位を授けられる。 |
| この年に製作・監督・脚色・主演した映画『ハムレット』が1948年度のアカデミー作品賞、主演男優賞を受賞。 |
| 名実共にイギリスを代表する名優にまでのし上がる。 |
| しかし、私生活ではリーのニンフォマニアの症状と躁鬱病の発作に悩まされ続け、1957年に舞台や映画『TheEntertainer』で共演した新進女優ジョーン・プロウライトとの生活に安らぎを見出して、ついに1960年にリーと離婚、プロウライトと再婚する(3度目にして最後)。 |
| 1962年から1963年までナショナル・シアターのディレクターを務め、1970年には俳優として初めて貴族(ロード)の爵位が与えられ、男爵となる。 |
| 子供はエドモンズの間に一男、プロウライトとの間に一男二女を儲ける。 |
| アカデミー賞にはスペンサー・トレイシーと並んで最多である9回ノミネートされ、1947年と1979年にはアカデミー特別賞を受賞。 |
| 一方、『インチョン!』という迷作に関わってしまったために1982年にはゴールデンラズベリー賞の最悪主演男優賞を受賞することとなった。 |
| 1984年に自伝『一俳優の告白』を発表した。 |
| 本人が最も気に入っている作品は、意外にも残忍なナチスの残党を演じた1976年の映画『マラソンマン』だという。 |
| オリヴィエの死後に出版された伝記等には、オリヴィエがバイセクシュアルであった可能性が示唆されている{{citebook。 |