| アーヴィングの最初の著書は、『世界の始まりからオランダ王朝の終焉までのニューヨークの歴史、ディートリヒ・ニッカーボッカー著''AHistoryofNew-YorkfromtheBeginningoftheWorldtotheEndoftheDutchDynasty,byDietrichKnickerbocker''』(1809年)である。 |
| これは自惚れにまみれた地方史を対象にした陰険な諷刺文で、この作品によってニッカーボッカーという言葉が辞書に載るようになり、英語でより広く使われるようになった。 |
| アーヴィングは1815年にヨーロッパへの旅に出た。 |
| 1819年~1820年、彼は最も有名な作品『スリーピー・ホローの伝説』と『リップ・ヴァン・ウィンクル』を含む文集『スケッチ・ブック』を刊行した。 |
| ヨーロッパ滞在中、彼はアメリカのイギリス使節団のメンバーであったが、ひまな時に彼は大陸部へ旅行に出かけ、オランダやドイツの民間伝承を幅広く読んだ。 |
| 『スケッチ・ブック』に収録されている物語はヨーロッパでアーヴィングが書き、ニューヨークにある出版社へ送られて、アメリカの雑誌に掲載された。 |
| 一方イギリスでは、彼の短編が彼に無断でイギリスの出版社によって製本されてしまった。 |
| そのため彼は、ヨーロッパとアメリカで同時に出版することで著作権を保護することにした。 |
| 『リップ・ヴァン・ウィンクル』は、彼が妹のサラとその夫ヘンリー・ヴァン・ウォルト(HenryvanWart)と共にイングランド・バーミンガムに滞在していた時に、一晩で書き上げられた。 |
| この場所は彼に他にもいくつかの作品の着想を与えた。 |
| 『ブレイスブリッジ・ホール''BracebridgeHall''』または『ユーモリスト:寄せ集め''TheHumorists,AMedley''』は、この地にあるアストン・ホール(AstonHall)という建物が基になっている。 |
| アーヴィングは4年間のスペイン滞在中、1828年に『クリストファー・コロンブスの生涯と航海''TheLifeandVoyagesofChristopherColumbus''』、翌年に『グラナダの占領''ConquestofGranada''』、1831年に『コロンブスの仲間達の航海''VoyagesoftheCompanionsofColumbus''』を執筆している。 |
| アメリカへ帰国する直前、彼はイギリスとアメリカで同時に刊行される作品『アルハンブラ物語''TalesoftheAlhambra''』(1832年)を執筆した。 |
| この作品の本来の題名は、収録された短編の名を全て合わせた冗長なものであったが、1851年にアーヴィングは「作者改訂版」を執筆し、この時に『アルハンブラ物語』と題した。 |
| アーヴィングは1832年にアメリカに帰国し、1835年に『スペインの征服者達の伝説''LegendsoftheConquestofSpain''』を出版している。 |
| しかしこの時期の彼の主要な作品は3作の「西部」の本で、これらはアーヴィングがイギリスやスペインで過ごした時間が、彼をアメリカ人よりもヨーロッパ人に近づけてしまったことを忘れさせるために作られた。 |
| 彼の最初の西部作品は1835年の『プレーリーの旅』である。 |
| この本の第10章の始まりは以下のような文章を含み、一部の文芸評論家から、彼の外面的様相に関する懸念の言葉であると解釈されている:。 |
| 私たちは自国の若者を外国に送り出し、ヨーロッパで贅沢に柔弱に育てている;私にはこう思える。 |
| 以前のプレーリーの旅こそが寧ろ、人間らしさ、素朴さ、自力本願、など我が国の政治慣習と調和する多くの物を生み出してくれた、と。 |
| 彼の二番目の西部の本は『アストリア''Astoria''』である。 |
| 彼はこの作品を、当時すでに引退していた大商人ジョン・ジェイコブ・アスターのもとに滞在していた6ヶ月の間に執筆した。 |
| この作品はアスターの、毛皮貿易植民地(現在のオレゴン州アストリア)を作ろうとした試みに対する尊敬に満ちた物語である。 |
| アーヴィングがアスターのもとに滞在している間に、軍人で探検家のベンジャミン・ボンヌヴィルが訪れた。 |
| 彼が3年間にわたってオレゴン・カントリーで過ごしたという物語はアーヴィングを魅了した。 |
| 1-2ヶ月後、アーヴィングがワシントンD.C.でボンヌヴィルと再会したとき、自分の旅について書こうと苦労していたボンヌヴィルは、その代わりに自分の地図とノートをアーヴィングに1000ドルで売ることを決意した。 |
| アーヴィングはこの資料をもとにして、3つの西部の本の中でしばしば最高傑作と見なされる『キャプテン・ボンヌヴィルの冒険''TheAdventuresofCaptainBonneville''』(1837年)を執筆した。 |
| アーヴィングはニューヨーク市に対する愛称「ゴッサム」(この愛称は後にバットマンの漫画や映画で用いられている)を普及させ、また「万能のドル」(Almightydollar)という表現を生み出したのも彼だとされる。 |
| アーヴィングはまた、ジョーゼフ・ヘラーの小説『キャッチ=22』の作中で、偽造屋の用いる偽名としてジョン・ミルトンと共に登場する。 |