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つながりの強いひと
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霊元天皇
江戸時代前期の第112代天皇(在位:寛文3年1月26日(1663年3月5日)-貞享4年3月21日(1687年5月6日))。幼名は高貴宮(あてのみや)、諱は識仁(さとひと)... |
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近衛基熙
近衞基熙(このえもとひろ)は江戸時代前・中期の公卿。主に東山天皇(113代)と中御門天皇(114代)治世の朝廷においてその中枢となり、江戸幕府との関係改... |
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鷹司房輔
鷹司房輔(たかつかさふさすけ、寛永14年4月30日(1637年6月22日)-元禄13年1月11日(1700年3月1日))は江戸時代の公卿。父は鷹司教平。母は冷泉為満女。側... |
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一条教輔
父
一条教輔(いちじょうのりすけ、寛永10年5月2日(1633年6月8日)-宝永4年1月6日(1707年2月8日))は江戸時代前期の公卿。名は始め伊実、次いで教良。父は一... |
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一条冬良
一条冬良(いちじょうふゆよし、寛正5年6月25日(1464年7月29日)-永正11年3月27日(1514年4月21日))は戦国時代の公卿、関白。名はふゆらとも呼ぶ。号は後... |
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徳川光貞
親
江戸時代の大名で、紀州藩第2代藩主である。8代将軍吉宗の父。初代藩主徳川頼宣の長男。初代将軍・徳川家康は祖父に当たる。正室は伏見宮貞清親王の娘、ほか... |
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一条兼良
室町時代の公卿・古典学者。名は一般にはかねらと読まれることが多い。関白左大臣・一条経嗣の六男。官位は従一位・摂政関白太政大臣、准三宮。桃華叟、三関... |
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一条内経
鎌倉時代後期の公卿・歌人。父は内大臣一条内実、母は内実の父である一条家経の異母妹(すなわち内実の叔母)。正安元年(1301年)に元服して翌年に公卿に列... |
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左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
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一条昭良
江戸時代前期の公卿。妻は織田頼長の娘。子に一条教輔(長男)、醍醐冬基(次男)。後陽成天皇の第九皇子として生まれる。幼称は九宮。母は中和門院近衛前子... |
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森長継
親
美作津山藩の第2代藩主。後に備中西江原藩の初代藩主。赤穂藩森家2代および6代。 |
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一条実経
鎌倉時代の公卿。摂政、関白。五摂家の一つ、一条家の祖。別称は円明寺殿、後一条入道関白。法名、行雅(行雄)、行祚など。九条道家の四男に生まれる。母は... |
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鷹司兼平
鎌倉時代の公卿。鷹司家の祖。近衛家実の四男。子に鷹司基忠、鷹司兼忠。暦仁元年(1238年)に従二位権大納言、右近衛大将となる。その後右大臣、左大臣を歴... |
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二条良基
南北朝時代の公卿、歌人であり連歌の大成者である。従一位。摂政、関白、太政大臣。最初の関白は在任13年間の長期にわたり、死の間際まで通算5度(数え方によ... |
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徳川吉宗
江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は紀州藩第5代藩主をつとめ、さらにそれ以前は越前国葛野藩主であった。 |
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一条経嗣
室町時代前期の公卿(関白)。関白二条良基の三男で、一条経通の猶子として一条家を継いだ。子に一条兼良・僧雲章一慶がいる。一条経通は正平20年/貞治4年(1... |
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伊藤若冲
近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事があ... |
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近衛家実
近衛家実(このえいえざね、治承3年(1179年)-仁治3年12月27日(1243年1月19日))は鎌倉時代前期の公卿。摂政・関白近衛基通の子。准三后・従一位・摂政・... |
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山科言行
親
江戸時代前期の公家。藤谷為賢の三男、山科言総の養子。山科持言、四条隆安の父。娘を鷹司房輔・一条兼輝の2人の摂関家当主に嫁がせるなど政略結婚に力を入れ... |
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プロフィール
一条冬経(いちじょうふゆつね、慶安5年4月13日(1652年5月20日)-宝永2年9月10日(1705年10月27日))は、江戸時代中期の公卿。 霊元天皇の第一の側近であり、 近衛基熙と権勢を争った。初名は内房(うちさき)、晩年には兼輝(かねてる)と称する。官位は従一位関白及び摂政。円成寺と号した。父は、 一条教輔。正室は 紀州藩主 徳川光貞( 権大納言)の娘。他に津山藩主 森長継の娘。参議 山科言行の娘。
人物
| 慶安5年(1652年)4月13日、右大臣一条教輔の子として生まれる。 |
| 母は備前国岡山藩主池田光政(左近衛権少将)の娘。 |
| 万治3年(1660年)3月22日に正五位下に叙爵し、23日に元服した。 |
| 27日にはじめて昇殿して後西天皇に拝謁。 |
| このときに左近衛少将に任命され、禁色を許された。 |
| 12月24日には従四位上に昇進。 |
| 寛文元年(1661年)1月11日に左近衛中将に就任し、さらに12月24日には権中納言となる。 |
| 寛文3年(1663年)1月12日には正三位権大納言。 |
| 寛文7年(1667年)12月22日に勅授帯剣を許された。 |
| 寛文8年(1668年)12月22日、従二位。 |
| 寛文9年(1669年)11月9日に右大将を兼務。 |
| 12月25日には右馬寮御監に就任した。 |
| 寛文11年(1671年)1月30日、徳大寺実維が内大臣を辞職したため、閏6月29日に代わって内大臣に就任(時に21歳)。 |
| 延宝元年(1673年)4月17日、正二位に昇進し、延宝3年(1675年)9月19日、右近衛大将から左近衛大将に転じた。 |
| 延宝4年(1676年)8月23日、左近衛大将を辞職。 |
| さらに延宝5年(1677年)12月24日には右大臣となった(26歳)。 |
| 延宝8年(1680年)、冬経と改名。 |
| 天和2年(1682年)2月18日、鷹司房輔が関白を辞職した。 |
| 朝廷序列の順序を考えれば、左大臣である近衛基熙を関白に任命すべきであったが、霊元天皇は基熙を疎み、慣例を無視して2月24日に右大臣の冬経を従一位関白・藤氏長者に任命するという異例の人事を強行した。 |
| 以降、霊元朝は冬経対基熙という構図となり、宮廷内での暗闘が始まった。 |
| 貞享4年(1687年)1月23日には皇太子朝仁親王(後の東山天皇)の元服に際して加冠役を務めた。 |
| 3月21日、幼少の東山天皇の即位により関白から摂政に転じた。 |
| だが、霊元上皇が院政を開始した事によりこれに反対する幕府との確執が生まれ、上皇と幕府の対立が始まる。 |
| 元禄2年(1689年)3月27日に天皇の成長に伴い再び摂政から関白に転じたが、元禄3年(1690年)1月13日幕府と結んだ基熙に関白の座を追われた。 |
| その後、元禄7年(1694年)に従一位、元禄11年(1698年)に兼輝(かねてる)と改名するが、この頃より中風に悩まされるようになる。 |
| 宝永2年(1705年)に死去。 |
| 家督は養子の兼香(鷹司房輔の子)に譲った。 |
| 蔵書家、神道の研究家としても知られた。 |
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1652年
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右大臣一条教輔の子として生まれる |
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1680年
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冬経と改名 |
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一条冬経さんについてのひとこと紹介
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