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金丸信
金丸信(かねまるしん、1914年9月17日-1996年3月28日)。日本の政治家。衆議院議員(12期)、国務大臣・副総理、防衛庁長官(第35代)、国土庁長官(第3代)... |
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永井道雄
日本の教育社会学者。元文部大臣(第95代)。戦前に立憲民政党幹事長や拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣を務めた永井柳太郎の次男。 |
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三原朝彦
日本の政治家。自由民主党所属の前衆議院議員(通算5期)。福岡県遠賀郡遠賀町出身。父親は、元自由民主党衆議院議員の三原朝雄。 |
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奥野誠亮
日本の内務官僚、政治家。「おくのせいりょう」と呼ばれることもある(有職読み)。奈良県御所市出身。平城遷都1300年記念事業協会特別顧問、奈良大学理事。兄... |
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村上勇
日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。元参議院議員の村上春蔵は実弟。息子は元フジテレビスポーツ部長の村上宏。 |
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坂田道太
日本の政治家。衆議院議員(17期)、衆議院議長(64代)などを歴任。ハト派政治家として知られた。父は政友会衆議院議員・八代市長を歴任した坂田道男。 |
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小渕恵三
日本の政治家。位階勲等は正二位大勲位。学位は政治学修士(早稲田大学)。衆議院議員(12期)、総理府総務長官(第29代)、沖縄開発庁長官(第10代)、内閣... |
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水田三喜男
水田三喜男(みずたみきお、1905年4月13日-1976年12月22日)は日本の政治家。城西大学創立者。大蔵大臣を数度に渡って務め、戦後日本の代表的な財政家である。 |
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大野伴睦
大野伴睦(おおのばんぼく、9月20日-5月29日)は日本の政治家。東京市会議員を経て衆議院議員となり、衆議院議長、北海道開発庁長官、日本自由党幹事長、自民... |
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甘粕正彦
日本の陸軍軍人。陸軍憲兵大尉時代に甘粕事件を起こしたことで有名(無政府主義者大杉栄らの殺害)。短期の服役後、日本を離れて満州に渡り、関東軍の特務工... |
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頭山満
明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭。玄洋社の総帥。号は立雲。玄洋社は、日本における民間の国家主義運動の草分け的存在であり、後の愛国... |
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石原莞爾
昭和の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。栄典は勲一等・功三級。「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織... |
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蒋介石
蒋介石(しょうかいせき、、1887年10月31日-1975年4月5日)は中華民国の政治家、軍人。第3代・第5代国民政府主席、初代中華民国総統。孫文の後継者として北伐... |
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有田喜一
兵庫県氷上郡氷上町(現在の丹波市)出身の政治家。衆議院議員選挙に通算9回当選した。柏原中学、八高を経て、東京帝國大学経済学部出身。 |
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安倍晋太郎
日本の政治家。衆議院議員(11期)。第56、57代内閣総理大臣岸信介の女婿、第90代内閣総理大臣安倍晋三の父。竹下登、宮沢喜一と共に「ニューリーダー」、「... |
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宇野宗佑
日本の政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。滋賀県議会議員(2期)、滋賀県議会副議長(第45代)、衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第32代)、科学技術庁長... |
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小杉隆
日本の政治家、自由民主党所属の前衆議院議員(8期)、元東京都議会議員(4期)。東京都目黒区出身。 |
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細田吉蔵
日本の運輸官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(10回当選)。正三位勲一等。松江市名誉市民。長男は自民党衆議院議員の細田博之。 |
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田沢吉郎
日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。早稲田大学政治経済学部卒。青森県田舎館村出身。姓のうち「沢」の戸籍上の表記は「澤」。 |
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プロフィール
- 三原朝雄とは
- 略歴
- 生い立ち
- 衆議院議員時代
- 人物像
- 信条
- 参考文献
- 関連サイト
三原朝雄(みはらあさお、8月20日-3月7日)は日本の政治家。元衆議院議員。文部大臣、防衛庁長官、総理府総務長官を歴任。勲一等旭日大綬章(1986年)。北九州市議会議員の 三原征彦は長男、衆議院議員の 三原朝彦は次男にあたる。
略歴
| 1909年-福岡県遠賀郡遠賀町に生まれる。 |
| 1927年-福岡県東筑中学校(現福岡県立東筑高等学校)卒業。 |
| 1932年-明治大学法律学科卒業。 |
| 1933年-満洲国大同学院卒業。 |
| 1950年-福岡県議会議員選挙に当選(以後、計5回当選)。 |
| 1963年-衆議院選挙(旧・福岡2区)に当選(以後、計8回当選)。 |
| 1974年-文部大臣(第2次田中角榮内閣第2次改造内閣、世に言う「二十八日内閣」)。 |
| 1976年-防衛庁長官(福田赳夫内閣)。 |
| 1978年-総理府総務長官(第1次大平内閣)。 |
| 1986年-政界を引退。 |
| 2001年-多臓器不全のため福岡県行橋市の病院で死去 享年91。 |
生い立ち
| 生家は貧しい農家だった。 |
| 1927年旧制東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)卒業後、上京して明治大学に入学。 |
| 明治大学在学中に愛国学生連盟を組織して学生運動を展開する傍ら、当時の著名人を訪問し教えを請うた。 |
| この頃から「貧乏からの解放」を終生の政治理念とし、この理念を共有する学生運動関係者、二・二六事件の青年将校、右翼関係者と最後まで付き合いがあった(三原は「右翼・保守思想とは、一言でいえば“優しさと度量”」と考えていた)。 |
| 1932年、満洲国政府に奉職するため渡満、新京にあった大同学院(満洲国政府の官吏養成機関)に入学。 |
| 1944年、召集を受けて陸軍久留米第12師団に入隊、中支戦線に出動。 |
| 1945年初め大本営に異動、敗戦後処理の研究に従事し、戦後は満洲国時代から面識のあった石原莞爾を隠棲していた山形県飽海郡高瀬村に訪ねて東久邇宮内閣への入閣を依頼した(その後、石原は羽織袴姿で首相官邸に現れ、入閣を辞退した)。 |
| 三原は若い頃に多くの著名人に会い、教えを受けた。 |
| 福岡県の先輩頭山満から、「三原君、天下国家のために己を空しゅうして御奉公すれば、必ず御天道様と米の飯はついて回るもんだよ」。 |
| 召集を受けた後に甘粕正彦(満州国協和会の上司)から送られた手紙、「三原君、日満の空は暗い。 |
| あとの事はよろしく頼みます」。 |
| 蒋介石から、「皆さんは、僕が日本のためにうんぬんしたというけど、僕も随分日本のお世話になったんですよ」。 |
衆議院議員時代
| はじめは自由民主党・大野伴睦派に属していた。 |
| 大野の死後に大野派は分裂、三原は村上勇派に参加し、水田三喜男がその後を継いだ水田派に属した。 |
| 1976年に水田が急死、翌年に派閥が解散してからは無派閥となった。 |
| 以後三原は引退まで無派閥で通したが、実質的には隠れ田中派だった。 |
| 防衛庁長官時代に、それまで非公式に行われてきた有事法制の研究を公式に開始した(その後、長い議論を経て有事法案が国会を通過したのは2003年)。 |
| 「防衛族のドン」というニックネームで呼ばれたことがある。 |
| 総理府総務長官時代に、それまでの内閣で手つかずであった元号問題に取り組んだ。 |
| 在任中に元号法案が国会で可決された。 |
人物像
| 敗戦少し前に軍務で静岡県に駐屯した際、近くにあった満洲国協和会の友人の郷里を留守中に訪問し、その時一人で家にいた友人の弟に初対面であったにも関わらず大金を託したというエピソードがある(潮文社編 『心に残るとっておきの話』、潮文社)。 |
| 同文献によると、この三原の行為を受けた友人の弟(著者)は、かつて日本には貧しいながらも温かい何かがあった、と感じている。 |
信条
| 「天下国家のために己を空しくして御奉公すれば、必ず御天道様と米の飯はついて回る」。 |
| 「下座にて仏心を行ずる」。 |
| 「相手の腹中に信を置く」。 |
参考文献
| 三原朝雄 『わが激動の八十八年』、西日本新聞社、1996年11月。 |
| 北澤和郎 「数十秒の記憶」 『心に残るとっておきの話』、潮文社、1993年12月10日。 |
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1932年
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満洲国政府に奉職するため渡満、新京にあった... |
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1976年
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水田が急死、翌年に派閥が解散してからは無派... |
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