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宗祇
室町時代の連歌師。号は自然斎、種玉庵。姓は飯尾(いのお/いいお)というが定かではない。生国は、紀伊とも近江とも言われている。 |
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細川幽斎
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名、歌人。号は幽斎玄旨。一般に俗名の藤孝(ふじたか)で知られる。また一時期、領地の長岡を名字としてい... |
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後柏原天皇
室町時代、戦国時代の第104代天皇(在位:明応9年10月25日(1500年11月16日)-大永6年4月7日(1526年5月19日)。諱は勝仁(かつひと)。諡たる「後柏原」は、... |
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土佐光信
室町時代中期から戦国時代にかけての大和絵の絵師。土佐広周の嗣子で、実際は土佐光弘の子。子に土佐光茂がいる。土佐(常盤)光長、土佐光起とともに土佐派... |
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東常縁
室町時代から戦国時代の武将であり、歌人でもある。美濃篠脇城主。父は東益之。官職が下野守だったため東野州と一般には称される。生年については、応永12年... |
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大内義隆
友達
戦国時代の武将。周防の守護大名・戦国大名。周防国の在庁官人・大内氏の第16代当主。父は大内義興、母は正室の内藤弘矩の女。 |
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足利義政
友達
室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年-1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟... |
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一条兼良
室町時代の公卿・古典学者。名は一般にはかねらと読まれることが多い。関白左大臣・一条経嗣の六男。官位は従一位・摂政関白太政大臣、准三宮。桃華叟、三関... |
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藤原定家
鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と有職読みされることが多い。藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。最終官位は正二位権中納言。京極殿または京極中... |
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三条西公保
親 父
三条西公保 (歴史上の人物 日本史) 人物検索 アダルトフィルタ:オン JavaScriptの設定を有効にしていただくと、さらに情報をご覧いただけます。 ※Java... |
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宮川葉子
日本古典文学者、淑徳大学教授。1971年青山学院大学文学部日本文学科卒業、1983年同大学院博士課程単位取得満期退学。1984-1988年青山学院高等部教諭、大学非... |
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後土御門天皇
室町時代の第103代天皇(在位寛正5年7月19日(1464年8月21日)-明応9年9月28日(1500年10月21日))。諱は成仁(ふさひと)。 |
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後奈良天皇
室町時代・戦国時代の第105代天皇(在位:大永6年4月29日(1526年6月9日)-弘治3年9月5日(1557年9月27日))。諱は知仁(ともひと)。 |
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甘露寺親長
室町時代中期から戦国時代にかけての公家である。実務家公卿を輩出した藤原北家勧修寺流甘露寺家の当主。出家後は蓮空。一字名は鬼。官位は正二位・権大納言。 |
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千利休
戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。わび茶(草庵の茶)の完成者として知られる。茶聖とも称せられる。また、今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天... |
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村田珠光
村田珠光(むらたじゅこう、応永29年(1422年)または30年(1423年)-文亀2年5月15日(1502年6月19日)または7月18日(8月20日))は室町時代中期の茶人であ... |
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正元
三国時代、魏の高貴郷公曹髦の治世に行われた最初の元号。254年-256年。正元3年は6月に改元されて甘露元年となった。 |
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肖柏
室町時代中期の連歌師、歌人。准大臣中院通淳の子。号は、夢庵・牡丹花(ぼたんか)・弄花軒(ろうかけん)など。宗祇から伝授された「古今和歌集」、「源氏... |
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正徹
室町時代中期の臨済宗の歌僧。道号は清巌(岩)、庵号は招(松)月庵。石清水八幡宮に仕える祀官一族の出身で、父は小松(または小田)康清といわれ、備中国... |
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プロフィール
三条西実隆(さんじょうにしさねたか、康正元年4月25日(1455年5月11日)-天文6年10月3日(1537年11月5日))は、室町時代の公家。内大臣 三条西公保の次男。官位は正二位・内大臣。名はもと公世、公延。号は逍遙院。
経歴
| 京都武者小路の邸で生まれる。 |
| 長禄2年(1458年)に兄の三条西実連が死去し、寛正元年(1460年)には父の公保が死去する。 |
| このため、母方の叔父である甘露寺親長の後見を受けて家督を相続する。 |
| 応仁元年(1467年)には京都で応仁の乱が発生し、鞍馬寺へ疎開、乱により三条西邸も焼失している。 |
| 文明元年(1469年)に元服。 |
| 永正3年(1506年)に内大臣となる。 |
| 永正13年(1516年)に出家。 |
| 後土御門天皇・後柏原天皇・後奈良天皇の3代に仕えたが、後土御門天皇の寵妃や、後柏原天皇女御で後奈良天皇生母の勧修寺藤子は実隆の義姉妹に当たり、天皇家とは濃い縁戚関係にあった。 |
| 室町幕府将軍の足利義政や足利義澄、若狭守護の武田元信等と親交があったほか、文化人としての交流関係も多岐に亘り、一条兼良と共に和歌・古典の貴族文化を保持・発展させ、宗祇から古今伝授を受けている。 |
| また、武野紹鴎に茶道を教え、大和国人の十市遠忠に和歌を教えている。 |
| また、周防の大内義隆とも親交が深かった。 |
| なお、実隆には当時としては珍しく側室がいなかった。 |
| 漢文日記『実隆公記』は、史料的価値もある。 |
| 歌集に『雪玉集』『聞雪集』、著作に『詠歌大概抄』『高野山参詣記』など。 |
| 浄土宗を信仰していた。 |
| 墓所は京都市の二尊院境内にあり、ほかの三条西家の人たちの墓と並んでいる。 |
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1458年
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兄の三条西実連が死去し、寛正元年1460年には... |
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三条西実隆さんについてのひとこと紹介
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