| 国家が権力により活字と放送を管理した時代に、大衆、その中でも特に子供たちはレコードの中で分かりやすく面白い噺をするおじさんとして金馬の名を知った。 |
| 日本を覆っていた暗い時代が過ぎた時、成長した子供たちにより「金馬でなければ落語は聞かない」とする言葉まで生まれていた。 |
| 戦後、ラジオからは、美空ひばりの歌声と共に金馬の十八番である「居酒屋」が流れ、庶民の生活に笑いを取り戻す一助になった。 |
| 「楷書で書いたような落語」と評され、すべての演目は老若男女、誰にでも分かり易い。 |
| しかも、過剰な演出はしない。 |
| ラジオの寄席番組に度々出演し、その芸風から親しまれた。 |
| 若年の頃、旅の空で知った朝寝坊むらく(後の3代目三遊亭圓馬)に度肝を抜かれファンとなり、マンツーマンの稽古をつけてもらった。 |
| 同じ頃に若き日の8代目桂文楽も圓馬に稽古を付けてもらっている。 |
| 金馬は圓馬の豪快な面を、文楽は繊細な面を継承したと評される。 |
| 容姿は出っ歯で頭髪が少ないが、勉強熱心で故事に通じ「やかんの先生」とも呼ばれていた(このネーミングはダブルミーニングで、まず見た目(禿頭=やかんに似ている)というのが1つ。 |
| そして、やかんは、同名の落語演目より、落語の隠語では「知識をひけらかす人」の蔑称である)その蘊蓄を盛り込んだ著書『浮世断語(浮世だんご)』は、芸界を描いた本の中で傑作の一つといわれている。 |
| 性格面については世話好きで情に厚かったとされる。 |
| その一方、落語評論家等よりは、その蘊蓄により煙たがられた一面をも持つ。 |
| 東宝名人会が設立されたときに、実質的な専属となった。 |
| つまり協会から脱退して寄席から離れたこの理由については矢野誠一の『女興行師吉本せい』を参照。 |
| 寄席に復帰の誘いがあっても心中に期するところがあったのか、書き手の推測が強いのでコメントアウト。 |
| -->のせもの(客演)として寄席に出たことはあるが、正式な形では最後まで戻ることはなかった。 |
| しかし、このままでは弟子たちの修行の場がない。 |
| このため主な弟子は自分のもとから離し、歌笑は落語協会に所属する弟弟子2代目三遊亭圓歌に、2代目小南は日本芸術協会に所属する初代桂小文治に預けるなど、協会に所属する落語家に預けた。 |
| 当代(4代目)はテレビ番組(NHK「お笑い三人組」)の収録でスケジュールのほぼ全てが埋まっている多忙さで、寄席には出たくても出ることがままならない状態であった。 |
| そのため師・3代目存命時は師と同じ東宝名人会所属であり続けた。 |
| 趣味は釣りで、「江戸前つり師」(徳間文庫)「江戸前の釣り」など、釣りに関する著書もある。 |
| スケジュールを本業の落語より優先させ、例えば禁漁解禁日などの釣りにおける重要な日には欠かさず釣り場に現れた。 |
| その日は高座を抜いたことは言うまでもない。 |
| 晩年、鉄道衝突事故に会って片足を切断する。 |
| それもきっかけは釣りであった。 |
| 千葉県に釣りに行った帰り、線路の上をトボトボと歩いていて、列車にはねられたのであるある意味で不注意の誹りは免れ得ぬが、当時は線路の侵入対策も現在ほど厳重には取られていなかった。 |
| また、農村部・漁村部では現在の様な道路が整備されている場所はまだ少なく、線路敷のある場所が数少ない開けたショートカットのルートである場合も珍しくなかった。 |
| これは自分の足が無くなったのを、大好きな釣りのせいにしたくない、という金馬の意地である。 |
| しかし、そのおかげでファンは事故後も変わらぬ金馬節を楽しむことができた。 |
| 金馬は存命中ラジオを通じて国民的な人気があったにも関わらず、好事家と言われる久保田万太郎や安藤鶴夫などの評論家によって不当に低く評価されていた。 |
| そのためにいまだに金馬を一段低く見る評論家もおり、その批評をもとに金馬を軽視する人もいる。 |
| 作家の久保田万太郎は三田文学の主流であり高名かつ優れた俳人であり浅草の盛隆と没落をその目で見てきた人物である。 |
| 彼自身は歌舞伎、文楽が最も好みであったが、畑違いの落語にまで高邁な価値観を押し付けようとしたところがあった。 |
| 金馬を「話芸における幅と深みに欠ける」と断じ評価しなかったのは根本的に落語を聴くセンスが欠如していたと言わざるをえない。 |
| 落語界においては金馬は高く評価されており、桂文楽はとある名人会の参加メンバーを見せられた際「なぜ、金馬さんを呼ばないのですか?」と主催者に詰問したことがある。 |
| また、立川談志も金馬の「大衆的な芸」を評価しており自身で編集した全集「席亭・談志の夢の寄席」に金馬を収録している。 |
| 古今亭志ん朝も金馬のその口調の素晴らしさを絶賛している。 |