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また、新人王と沢村賞も受賞する。
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2000年7月2日の広島東洋カープ戦で右太もも肉離れを起こし登録抹消。
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事故や転倒なども重なり9勝7敗に終わる。
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ダイエーとの日本シリーズ第3戦に先発し、チームシリーズ初勝利同時に自身初のシリーズ初勝利を挙げ、ここから4連勝しチームの日本一に貢献する。
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2001年4月13日の横浜ベイスターズ戦で今度は左太ももの肉離れで離脱。
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早期復帰を果たすも万全でなく、後半戦では右ひざの故障もあって低迷。
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2年ぶりに2ケタ勝利するものの、防御率は自身最低の4.02に終わる。
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200イニング登板を達成(204イニング)し17勝5敗の好成績で最多勝、沢村賞、ベストナインを獲得、優勝に貢献する。
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西武との日本シリーズ第1戦に先発し、12奪三振・1失点完投勝利の快投でチーム史上初の4連勝日本一に貢献。
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優秀選手賞を獲得。
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シーズン後に行われた日米野球に登板、当時絶頂期であったバリー・ボンズから3打席連続三振を奪い、メジャーリーグスカウトの注目を集める。
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バリー・ボンズは選球眼がよく、三振をあまりしないことでも有名な打者であった。
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2003年、2年連続で200イニング登板を達成し16勝5敗。
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7月20日から8月29日にかけて7試合連続完投勝利を挙げるなどの活躍で最多勝争いに加わるが、最終的には20勝を上げた井川慶に軍配。
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長嶋ジャパンの一員として、アテネオリンピック野球日本代表に選出。
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防御率0.50で銅メダル獲得に貢献。
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五輪とケガで一時戦列を離れていたものの、シーズンは13勝5敗と二桁勝利もあげ、防御率2.60を記録し2度目の最優秀防御率も受賞。
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9月14日に元モデルの山﨑美穂と結婚。
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2005年は年間を通して不調に苦しみ、9勝12敗で自身初めてのシーズン負け越し。
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シーズン開幕前に行われたワールド・ベースボール・クラシックには日本代表エースとして3戦2勝、優勝に貢献。
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特に準決勝ではこの大会の対戦で2敗していた韓国を相手に7回を無四球、無失点とねじ伏せ、勝利を呼び込んだ。
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開幕戦では、球団史上最多、7度目(7年連続)の開幕投手を務め自身5年ぶりの開幕戦勝利をあげた。
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8月25日の阪神戦で、191試合目での100勝を達成(ドラフト制以降では松坂大輔と並ぶ最速タイ)。
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しかし全体的に調子は上がらず、援護にも恵まれなかったこともあり8勝9敗で2年連続1桁勝利で負け越す。
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故障による出遅れと、抑えの豊田清の不調が重なり、抑えとして一軍に合流。
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5月2日、中日ドラゴンズ戦でプロ初セーブを挙げた。
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8月29日のヤクルトスワローズ戦では球団新記録、プロ野球タイ記録の月間11セーブをマークした。
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9月26日、中日ドラゴンズ戦でこれも球団新記録となる31セーブを挙げた。
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プロで20勝を挙げ30セーブを記録した投手は江夏に次ぎ史上2人目である。
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最終的には32セーブを挙げ、MVP投票でも2位の評価を受けた。
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中日を迎えた2007年クライマックスシリーズ・セカンドステージでは第2戦・第3戦に登板したものの、シーズンにも無かったビハインドの場面に登板。
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レギュラーシーズンで12試合登板無失点7セーブを記録していた中日打線にも李炳圭にソロ本塁打を浴びるなど追加点を許し、3連敗でのクライマックスシリーズ敗退後はベンチで号泣した。
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シーズンオフは初めて巨人の後輩(西村健太朗)を伴い自主トレを行った。
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4月4日にFA権を取得。
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7日に会見を開き、来季のメジャーリーグ移籍を事実上宣言。
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巨人清武代表からは「全力を上げて慰留する」と同時に、「今までよく我慢してくれた」という労いの言葉が贈られている。
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初登板時に早速完投を記録するも、4失点で敗戦投手となり、10奪三振を記録するも簡単に本塁打を連続被弾し降板するなど、勝てない状態が続く。
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中4日登板なども試すが、投げるほどに成績は悪化。
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打ち込まれた上原に原辰徳監督自身がマウンド上に駆け寄り、降板するという異例の光景も見られた。
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5試合に登板して4敗、防御率6.75と不調が続いたため、4月27日付で一軍登録抹消。
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初めての怪我以外での二軍落ちとなった。
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シュートを覚えて投球フォームを崩したことや、長いイニング投球での怪我を恐れるあまり投球フォームの足の踏み込みが甘いことなどが不調の原因ではないかと本人は語っており、「こんな気持ちは初めて、投げるのが怖い」。
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ファームで慎重に小谷正勝コーチなどと調整・投球修正を続けていたが、7月に五輪代表監督星野仙一の要望で緊急復帰。
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セットアッパーとして登板するも調整不足から打ち込まれるが、7月17日、星野に国際試合での相性・経験を見込まれ、五輪代表に選出される。
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1軍でも尾花投手コーチと遠投に取り組むなど、引き続き投球修正を続ける。
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また原監督には精神的な部分での問題を指摘され、ビハインドでの救援や、僅差で2アウトからの救援など、段階を上げながら失敗・成功を重ねた。
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前半戦最終戦、五輪代表合宿合流前の最後の試合となった7月29日、8回1点差から登板し1イニング無失点、その後4点差となったことで9回も続投、3三振に抑え、今季1軍初セーブを記録した。
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北京五輪後、8月28日の横浜ベイスターズ戦で4ヶ月ぶりに先発復帰を果たし、5回を被安打7と苦しみながらも1失点に抑え先発投手として693日ぶりの勝利を上げた。
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その後は尻上がりに調子を上げ、北京五輪後は7試合で4勝1敗、防御率2.08という好成績で巨人の逆転優勝に貢献した。
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西武との日本一を争う日本シリーズ、第一戦(11月1日)に先発したが、負け投手となった。
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11月14日にFA宣言を行い、正式にメジャーリーグ挑戦を表明した。