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もっと知識のある人が僕を見て、『愛い(うい)やつじゃ』と嗤ってくれればいいんです」。
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「僕はしょうもないことはよく覚えてて、大事なところの知識がない。
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これを僕は『知識のドーナツ化現象』と名付けてます」。
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「インテリ」「知性的」「理論派」の芸風で人気があり、いわゆる上方お笑いの「コテコテ芸」からは逸脱していた。
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偏屈で、屁理屈をこねては鋭い毒舌を吐く印象がある一方で、言動に一貫性の無い部分もあり、それを洒落と受け止められない人もいたため、大阪でも好き嫌いは分かれていた。
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番組で自己紹介をする際、「『私が』上岡龍太郎です」と、常に私がを付け、更に強調していたのが特徴であった(探偵!ナイトスクープの現局長の西田敏行もこれを踏襲して「私が局長の西田敏行です」と自己紹介している)。
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それ以前には、「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。
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恵まれない天才、上岡龍太郎です」と自己紹介をしていた時期もあった。
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この変遷は、後の東京進出によりギャラが一流になってしまったため、「ギャラが三流」とはいえないと本人が判断したことによる(EXテレビ内での発言)。
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こうしたセリフは、出演各番組毎に決まったセリフを言ってから繰り出すのが常であった。
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横山ノックは上岡より10歳年長であり、上岡の師匠だと思われがちだが、実際は師弟関係ではなく、漫画トリオ(1959年~68年)結成時からの仲間である。
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ただし、漫才や演芸については知識はあっても素人だったため、特にツッコミの入れ方でノックから厳しく指導された。
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ネタの構成等で上岡のセンスが必要でノックから声をかけられた。
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ノックのわがまま(参院選出馬)で活動停止となり、吉本にも戻れず干された時期があっただけに、ノックに対しては愛憎ともにあるといったところである。
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上岡曰く、ノックは自分の一番弟子(二番弟子が板東英二。
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もちろん、師弟関係ではない。
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正式な弟子は後述)。
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売れ初めのころは自分のことの出た新聞・雑誌の記事をスクラップしていたが、たまたま見つけたノックが「そういうのはちゃんと残してくれる人が出てくるよ」と注意されたことに感動し、「残してもらえる芸人になろう」と発起したという。
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夫人はパンチ時代のファンである。
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上岡に集まってきたファンの中から感ずるところがあり、「君は将来、ぼくと結婚する」と口説き続けていたと言う。
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当時、夫人はまだ中学生(上岡より7歳年下)であり、それを知った笑福亭鶴瓶からは、「あんた犯罪者や」と突っ込まれた(上岡夫人に関しては、ねるとん紅鯨団で観客席にいた女性を「あの人がタイプ」と語った後、「実は僕の奥さん」と紹介したり、自宅で後姿が写った写真が公開された事や横山ノックのお通夜へ上岡と一緒に参列した時に報道陣から車で去っていく写真を撮られたことがある)。
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女性にはよくもてた。
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「囁けばみんな落ちる」と言われていた。
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これは、女性に左耳から囁けば右脳が反応し恋に落ちやすくなるという話を聞き、実践していたからだと言われている。
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黒柳徹子が徹子の部屋でやってほしい、と振ったことがあるが、これは理屈を並べて断った。
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落語立川流の門下(Bコース)でもある。
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立川流での芸名は上岡自身が大ファンでもある市川右太衛門にちなみ立川右太衛門。
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上方お笑い大賞の大賞を受賞したときの授賞式のプレゼンターとして市川右太衛門が登場し、大感激の授賞式となった(右太衛門がプレゼンターでなければ断っていた、とは本人の話。
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もともとが賞嫌い)。
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様式美を好むところがあり、前述の右太衛門のように、様式美の中で心躍らされるチャンバラ映画を深く愛している。
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そのため、リアルさを出していった黒澤明を非難し、黒澤以降の近年の時代劇映画のほとんどには否定的である。
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(「天国と地獄」など現代劇に関しては黒澤を認めていた。
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)松竹新喜劇にも強い敬意を払い、「変化座」構想を練り上げ、気の合う仲間たちと引退前の数年、新喜劇興行を行った(藤山寛美自身の賛同も得、寛美本人の演出も予定されていたが《演目は「愚兄愚弟」》、これは寛美の急逝のため、実現しなかった)。
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1977年には3代目旭堂南陵に師事しその年の干支にちなんで「南蛇」を貰う。
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その後一年ごとに干支に因んだ名前「南馬」「南羊」「南猿」と改名し12年後に真打昇進するという計画を立てる。
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九州王朝説=邪馬台国とは九州の邪馬'壱'国《小国》説の熱心な支持者としても知られる。
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仕事以外では非常におとなしく、紳士然とし、後輩には優しいらしい。
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そのために芸人仲間や後輩の人望を集めているのだが、一方で、芸にはかなり厳しく、気に入らないことや人物に対しては本人の前だろうが、公衆の面前であろうが、カメラの前であろうが、本番中であろうが、容赦なくいじり倒した。
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これが「毒舌」と呼ばれ、人気も出たのだが、反面、敵が多かったのも事実である。
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「某県は盗人が多い」「某県はほら吹きが多い」「(京都市の区のうち)某区は京都と認めない」など、一定の地域をステレオタイプ的に揶揄したりすることがあり(しゃれ、芸風だが)、真に受けた県議や知事らに抗議されたこともある。
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マスコミが煽ったきらいやこの件が引退のきっかけになったのではないのかとの説もある。
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眼鏡を掛けていないときの顔がミッキーマウスに似ており、眼鏡を掛けたときの風貌が横山やすしに似ていた為、「理性ある横山やすし」と比喩されたこともある。
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横山やすしはノックに弟子入りし、漫画トリオの付き人としてついていたが、少年漫才の経験もあった為、年上ながら漫才では後輩に当たる上岡に対しては複雑な思いを持っていたようだ。
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上岡も必要以上に「やすしは〜」「木村くん(やすしの本名)は〜」と口にすることによって、やすしを意識していたことが伺い知れる。
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やすしは、やすし・きよし結成以前、秋山たか志に「おまえは将来どんな漫才がしたい?誰と組みたい?」と尋ねられた際、「パンチさんと漫才したい」が答え、「似たようなもので組んでどうする。
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違う個性がぶつかるから漫才やないか」と咎められた(「上岡龍太郎かく語りき」、「米朝・上岡が語る昭和上方漫才」)。