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上村松園
母
日本画家。明治の京都下京(しもぎょう)に生まれ育ち、女性の目を通して「美人画」を描いた。同じく日本画家の上村松篁(しょうこう)は息子、上村淳之(あ... |
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上村淳之
日本画家、日本芸術院会員。本名・淳(あつし)。奈良市在住。上村松篁の子として京都に生まれる。特別科学学級での同級に、伊丹十三がいた。父同様、花鳥画... |
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東山魁夷
画家、著述家。昭和を代表する日本画家の一人といわれる。文化勲章受章者。千葉県市川市名誉市民。本名は東山新吉(ひがしやましんきち)。 |
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加山又造
日本画家、版画家である。1927年、京都府に西陣織の図案家の子として生まれる。京都市立美術工芸学校(現京都市立銅駝美術工芸高等学校)、東京美術学校(現... |
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西山翠嶂
師事
日本画家。京都府生まれ。本名は卯三郎。竹内栖鳳に師事。後に女婿となる。文展・帝展で活躍し、審査員にもなる。画塾青甲社を創立。堂本印象・中村大三郎・... |
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平山郁夫
平山郁夫(ひらやまいくお、1930年6月15日-2009年12月2日)は日本画家、教育者。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京藝術大学学長を務め... |
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小林古径
大正~昭和期の日本画家。1883年(明治16年)、新潟県高田(現上越市)に生まれる。1899年(明治32年)、上京して梶田半古に日本画を学び、39歳の1922年(大... |
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山口華楊
日本画家。京都府京都市中京区生まれ。写生中心の画風で、動物画を得意とした。本名は米次郎。 |
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秋野不矩
日本画家。静岡県磐田郡二俣町(現・浜松市天竜区二俣町)生まれ。日本画の要素によく含まれる花鳥風月を嫌い、50代からインドに魅せられ、インドの材料を使... |
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山本丘人
山本丘人(やまもときゅうじん、1900年4月15日-1986年2月10日)は日本画家、文化勲章受章者。 |
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奥村土牛
出版社を営んでいた父が寒山詩の一節「土牛石田を耕す」から引用してつけられた。刷毛で胡粉などを100回とも200回ともいわれる塗り重ねをし、非常に微妙な色... |
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小倉遊亀
日本画家。本名、ゆき。旧姓、溝上。滋賀県生れ。奈良女子高等師範学校卒。1926年に院展に入選し、1932年に女性として初めて日本美術院の同人となる。色彩に... |
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片岡球子
片岡球子(かたおかたまこ、1905年(明治38年)1月5日-2008年(平成20年)1月16日)は昭和・平成時代に活躍した日本画家である。日本芸術院会員・文化功労者... |
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堂本印象
堂本印象(どうもといんしょう、1891年12月25日-1975年9月5日)は京都市生れの日本画家。帝室技芸員。日本芸術院会員。本名:堂本三之助。 |
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山下清
日本の画家。日本中を放浪していたことで知られる。 |
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竹内栖鳳
戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。本名は恒吉。最初は棲... |
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福田平八郎
大分県出身の日本画家。号は素僊(そせん)、九州。印に「馬安」を用いるが、父・母の名前にちなむ。鋭い観察眼を基にした、対象がもつ雰囲気、美しさを抽出... |
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山口蓬春
日本画家。北海道松前郡松城町(現・松前町)生まれ。本名、三郎。1913年に東京・高輪中学校を卒業後、東京美術学校(現・東京芸術大学)に進学。松岡映丘に... |
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横山大観
戦前の日本の美術家。日本画家。茨城県水戸市出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術... |
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棟方志功
棟方志功(むなかたしこう、1903年(明治36年)9月5日-1975年(昭和50年)9月13日)は日本人の板画家。青森県出身。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人... |
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プロフィール
- 上村松篁とは
- 略歴
- 鳥に関するもの
- 母・松園に対して
- 梅原猛の考察
- 主な作品
- 参考文献
- 画集
- 関連サイト
上村松篁(うえむらしょうこう、11月4日-3月11日)は日本画家。京都府京都市中京区生まれ。本名、信太郎。、京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学すると同時に 西山翠嶂に師事。画塾の青甲社に入塾する。その後は帝展・日展で主に作品を発表したが、に日展を離れ、数名の画家と共に新団体『創造美術』を結成。徹底した写実に基づいた格調の高い花鳥画を得意とし、多くの名作を残した。文化 勲章を受章。母は近代美人画の大家、 上村松園。息子も同じく日本画家の 上村淳之である。
略歴
| -京都に生まれる。 |
| -『閑庭迎秋』が帝展に初入選する。 |
| -京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)卒業。 |
| -『蓮池群鴦図』が帝展の特選となる。 |
| -奥村厚一、秋野不矩、山本丘人らと日本画の団体『創造美術』を結成。 |
| -芸術選奨文部大臣賞を受賞。 |
| -日本芸術院賞を受賞。 |
| -勲三等瑞宝章を受章。 |
| -日本芸術院会員となる。 |
| -文化功労者。 |
| -文化勲章。 |
| -松伯美術館が開館。 |
| -心不全のため死去。 |
| ※創造美術はその後、新制作協会日本画部を経て創画会となる。 |
鳥に関するもの
| 鳥の写生には強いこだわりを持っており、「鳥の生活を理解しなければ、鳥は描けない」と言い、鳥の観察の為にインドやオーストラリア、東南アジア等を旅行した。 |
| とりかかると厄介なモチーフとして、ウズラを挙げている。 |
| 円山派の流れに立つが、円山派の描いた鳥に対しては、「十分、生きた鳥になりきっていない」と不満を言っていた。 |
母・松園に対して
| 幼い頃の松篁には、松園は『二階の画室にこもって絵を描いている』姿程度しか記憶になかった為、松園のことを「二階のお母さん」と呼んでいた。 |
| 松園が描いた作品で好きなものとして、『春苑』、『天保歌妓』の二つを挙げている。 |
| 美人画を描かなかった(『万葉の春』の様に例外もある)松篁だが、松園の影響を受けていることを認めている。 |
梅原猛の考察
| 哲学者の梅原猛は、『アート・トップ』1978年12月号に掲載された小論で、「上村松篁の花鳥画は、鳥の世界に移された一種の美人画である。 |
| 」と言う様な主旨を述べている。 |
| また、「その根底には、幼少からの『人間嫌い』がある。 |
| 」とも述べている。 |
主な作品
| 『星五位』(1958年、東京国立近代美術館蔵)。 |
| 『万葉の春』(1970年、松伯美術館蔵)。 |
| 『樹下幽禽』(1966年、日本芸術院蔵)。 |
| 『閑鷺』(1977年、山種美術館蔵)。 |
参考文献
| 「湖の伝説画家・三橋節子の愛と生」著・梅原猛、新潮社:上記の小論が掲載されている。 |
| 「芸術の世界梅原猛対談集」著・梅原猛、講談社:松篁と梅原の対談が収録。 |
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1978年
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哲学者の梅原猛は、『アート・トップ』に掲載... |
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