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カール・ブッセ
ドイツの詩人・作家。プロイセンのポーゼンに生まれ、新ロマン派に属した。ヘルマン・ヘッセの詩才を高く評価し、ヘッセの『詩集』を、自ら編集する「新進ド... |
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北原白秋
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日本の社会学者。上智大学名誉教授。国際関係論などを講じたが、専攻は比較社会学。南方熊楠や柳田国男の研究、地域住民の手による発展を論じた「内発的発展... |
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森鴎外
明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学... |
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大川弥生
著者情報 大川 弥生 所属、国立長寿医療センター研究所生活機能賦活研究部部長。1982年久留米大学医学部大学院修了。東京大学医学部附属病院リハビリテーショ... |
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島崎藤村
日本の詩人、小説家。本名は島崎春樹(しまざきはるき)。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市)生れ。『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『... |
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山内義雄
フランス文学者。長く早稲田大学ほかの教職を勤め、また、多くの訳業を遺した。日本芸術院会員。 |
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石川啄木
日本の歌人・詩人・評論家。本名は、石川一(いしかわはじめ)。 |
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小泉八雲
新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家。東洋と西洋の両方に生きたとも言われる。 |
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萩原朔太郎
大正・昭和期の詩人。近代詩の頂点に立つ詩人として「日本近代詩の父」と称される。 |
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与謝野晶子
戦前日本の歌人、作家、思想家。大阪府堺市(現在の堺区)出身。旧姓;鳳(ほう)。戸籍名「志よう」。ペンネームの「晶子」の「晶」は、この「しよう」から... |
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高村光太郎
日本の詩人・彫刻家。東京府下谷区(現在は東京都台東区)出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」。本職は彫刻家・画家であるが、今日では『道程』、『智... |
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永井荷風
日本の小説家。本名は壯吉。号『金阜山人』『断腸亭主人』ほか。 |
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ポール・ヴェルレーヌ
フランスの詩人。ポール・ヴェルレーヌ、あるいは単にヴェルレーヌとも呼ばれる。ステファヌ・マラルメ、アルチュール・ランボーらとともに、象徴派といわれ... |
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山村暮鳥
明治・大正期の詩人、児童文学者である。本名、土田八九十(つちだはくじゅう)、旧姓は志村。 |
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千家元麿
千家元麿(せんげもとまろ) [ 日本大百科全書 ( 小学館 ) ] (1888―1948) 詩人。東京の生まれ。父尊福(たかとみ)は出雲(いずも)大社の 宮司 、のち東... |
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プロフィール
上田敏(うえだびん、1874年(明治7年)10月30日-1916年(大正5年)7月9日)は、文学者、評論家、啓蒙家、翻訳家。多くの外国語に通じて名訳を残した。号で、「上田柳村」とも呼ばれる。「山のあなたの空遠く 『幸』(さひはひ)住むと人の言ふ」( カール・ブッセの「山のあなた」)や、「秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」( ポール・ヴェルレーヌの「落葉」、一般には「秋の歌」)などの訳詞は、今なお、広く知られている。
略歴
| 旧幕臣上田絅二(けいじ)の長男として1874年(明治7年)、東京築地に生まれる。 |
| 絅二は昌平黌教授をつとめた儒学者の乙骨耐軒の次男。 |
| 静岡尋常中学、私立東京英語学校を経て、第一高等学校を経て、1897年(明治30年)東京帝国大学英文科卒。 |
| 講師小泉八雲から「英語を以て自己を表現する事のできる一万人中唯一人の日本人学生である」とその才質を絶賛されたという。 |
| 卒業後、東京高等師範学校教授、東大講師(八雲の後任)。 |
| 第一高等学校在学中、北村透谷、島崎藤村らの文学界同人となり、東大在学中、第一期帝国文学の創刊(1895年(明治28年1月))にかかわる。 |
| 1902年(明治35年)6月、主宰誌の『芸苑』と廃刊になっていた森鴎外の主宰誌『めざまし草』とを合併し、『芸文』を創刊(その後、出版社とのトラブルで廃刊したものの、10月に後身の『万年艸』を創刊)。 |
| その後、鴎外とは家族ぐるみで交際した。 |
| 1908年(明治41年)欧州へ留学。 |
| 帰国後、京都帝国大学教授となる。 |
| 1910年(明治43年)2月15日、慶應義塾大学文学科顧問に就任。 |
| 1916年(大正5年)、腎臓疾患で東京の自宅で急逝。 |
| つぎの「主な作品」の項に見るとおり、ヨーロッパの当時の文芸思潮を熱心に紹介し、後進を啓発した。 |
| たとえば永井荷風は、「上田先生などの著述の感化で、西欧の風物文物へのあこがれを持った」由を、綴っている(書かでもの記)。 |
主な作品
| 『耶蘇(世界歴史譚)』、博文館、明治32年(1899)。 |
| 『最近海外文学』、交友館、明治34年(1901)。 |
| 『みをつくし』、文友館、明治34年(1901)。 |
| 『最近海外文学』、文友館、明治34年(1901)。 |
| 『文芸論集』、春陽堂、明治34年(1901)。 |
| 『詩聖ダンテ』、金港堂、明治34年(1901)。 |
| 『最近海外文学続編』、交友館、明治35年(1902)。 |
| 『海潮音』、本郷書院、明治38年(1905)。 |
| 『文芸講話』、金尾文淵堂、明治40年(1907)。 |
| 『うづまき』、大倉書店、明治43年(1910)----自伝的小説。 |
| 『小唄』、阿蘭陀書房、大正4年(1915)。 |
| 『現代の芸術』、実業之日本社、大正5年(1916)。 |
| 『牧羊神』、金尾文淵堂、大正8年(1919)。 |
| 『上田敏全集』 全8巻補巻1、改造社、昭和3年(1928)-昭和6年(1931)。 |
| 『定本上田敏全集』、全10巻、教育出版センター、昭和53年(1978)-昭和56年(1981)。 |
| 復刻版で最終巻が未定稿・書簡・年譜・著作年表などを所収。 |
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