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東久邇宮稔彦王
日本の旧皇族、陸軍軍人。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)を名乗った。貴族院議... |
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東條英機
日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功二級。新字体で東条英機(とうじょうひでき)とも表記される。陸軍大臣、内... |
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幣原喜重郎
日本の男性外交官、政治家。位階は従一位。勲等は勲一等。爵位は男爵。外務大臣(第40・41・43・44代)、貴族院議員、内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣(... |
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斎藤隆夫
斎藤隆夫(さいとうたかお、1870年9月13日(明治3年8月18日)-1949年(昭和24年)10月7日)は日本の弁護士、政治家である。姓は「齋藤」とも記述する。戦前期... |
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牛島満
日本の陸軍軍人。鹿児島県鹿児島市出身。沖縄戦において、第32軍を指揮し、自決した。温厚な性格で知られ、教育畑を歴任したが、指揮官としても、[歩兵第36旅... |
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米内光政
日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。海軍大臣、内閣総理大臣(第37代)などを歴任した。渾名は「金魚大臣... |
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吉本貞一
大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。 |
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木村兵太郎
昭和期の陸軍軍人、陸軍大将。太平洋戦争(大東亜戦争)後、A級戦犯として逮捕、極東国際軍事裁判にて死刑の判決を受け、絞首刑に処された。 |
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板垣征四郎
大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣などを務めた。関東軍高級参謀として石原莞爾とともに満州事変を... |
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山下奉文
日本の陸軍軍人。第二次世界大戦当時の陸軍大将である。官位は陸軍大将従三位勲一等功三級。 |
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吉田茂
吉田 茂様 プロフィール 株式会社 イビサ 取締役会長 吉田 茂(よしだ・しげる) 昭和 8年 1月 2日 岐阜県加茂郡八百津町須賀に生まれる 昭和26年 3月 1日 岐... |
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杉山元
大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。陸軍士官学校12期。陸軍大学校22期。陸軍大臣、参謀総長、教育総監... |
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田中静壱
田中静壱(たなかしずいち、1887年(明治20年)10月1日-1945年(昭和20年)8月24日)は日本の陸軍軍人。官位は陸軍大将、従三位勲一等功三級。 |
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朝香宮鳩彦王
朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう、1887年(明治20年)10月20日-1981年(昭和56年)4月12日)は日本の皇族、軍人。朝香宮家の初代当主。1947年(昭和2... |
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阿南惟幾
日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。陸軍大将や(第二次世界大戦終戦時の)陸軍大臣に上り詰めた逸材だが、異才の多い帝国陸軍にあってはごく平均的な軍務... |
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酒井隆
日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争勃発時に第23軍司令官として香港を攻略した。 |
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辰巳栄一
辰巳栄一(たつみえいいち、1895年1月19日-1988年2月17日)は日本陸軍の軍人である。最終階級は陸軍中将。 |
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宇垣一成
宇垣一成(うがきかずしげ、慶応4年6月21日(1868年8月9日)-昭和31年(1956年)4月30日)は日本の陸軍軍人、政治家である。成城学校から陸軍士官学校、陸軍... |
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北白川宮成久王
北白川宮成久王(きたしらかわのみやなるひさおう、1887年(明治20年)4月18日-1923年(大正12年)4月1日)は日本の皇族である。階級は陸軍大佐。北白川宮能... |
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プロフィール
- 下村定とは
- 経歴
- 年譜
- 帝国議会答弁
- 関連項目
- 関連サイト
下村定(しもむらさだむ、1887年(明治20年)9月23日-1968年(昭和43年)3月25日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。陸軍大臣(第56・57代)、教育総監(第27代)、参議院議員(1期)などを歴任した。
経歴
| 第二次世界大戦終戦後、陸士時代の同期・東久邇宮稔彦王が首相を務める内閣で陸軍大臣を務め、続く幣原喜重郎内閣でも留任し、日本(帝国陸軍)で最後の陸軍大臣となった。 |
| 終戦時下村は満州におり、下村の帰国まで東久邇陸軍大将宮が陸軍大臣を兼務している。 |
| 第5回参議院議員通常選挙で全国区から出馬、当選し参議院議員を1期務めた。 |
| その後、第7回参議院議員通常選挙全国区にも出馬したが落選した。 |
年譜
| 1908年(明治41年)。 |
| 5月陸軍士官学校卒業。 |
| 12月陸軍砲兵少尉。 |
| 野砲兵第14連隊附。 |
| 1911年(明治44年)12月陸軍砲兵中尉。 |
| 1916年(大正5年)11月陸軍大学校卒業。 |
| 1917年(大正6年)10月参謀本部附。 |
| 1918年(大正7年)7月陸軍砲兵大尉。 |
| 1919年(大正8年)3月フランス駐在武官。 |
| 1921年(大正11年)9月参謀本部員(作戦課参謀)。 |
| 1922年(大正12年)8月陸軍砲兵少佐。 |
| 1924年(大正14年)8月野砲兵第7連隊大隊長。 |
| 1925年(大正15年)8月陸軍大学校教官。 |
| 1927年(昭和2年)6月ジュネーブ海軍軍縮会議委員。 |
| 1928年(昭和3年)。 |
| 1月参謀本部附仰付(フランス・ドイツ派遣)。 |
| 3月陸軍砲兵中佐。 |
| 1930年(昭和5年)8月参謀本部員。 |
| 1931年(昭和6年)。 |
| 4月兵本附(国連軍縮準備委員会幹事)。 |
| 8月陸軍砲兵大佐。 |
| 12月ジュネーブ軍縮会議全権随員。 |
| 1933年(昭和8年)12月野戦重砲兵第1連隊連隊長。 |
| 1935年(昭和10年)。 |
| 3月関東軍高級参謀・第1課長。 |
| 12月陸軍大学校研究部主事。 |
| 1936年(昭和11年)。 |
| 8月参謀本部第4部長。 |
| 1937年(昭和12年)9月参謀本部第1部長。 |
| 1938年(昭和13年)。 |
| 1月参謀本部附。 |
| 9月東京湾要塞司令官。 |
| 1939年(昭和14年)3月陸軍中将。 |
| 1940年(昭和15年)8月陸軍砲工学校校長。 |
| 1941年(昭和16年)9月陸軍大学校校長。 |
| 1942年(昭和17年)10月第13軍司令官。 |
| 1944年(昭和19年)。 |
| 3月西部軍司令官。 |
| 11月北支那方面軍司令官。 |
| 1945年(昭和20年)。 |
| 8月15日終戦。 |
| 8月23日陸軍大臣兼教育総監。 |
| 1959年(昭和34年)6月参議院議員。 |
| 1968年(昭和43年)3月24日東京都文京区においてバスに轢かれ、翌日に交通事故死。 |
帝国議会答弁
| 1945年11月28日の帝国議会衆議院本会議において、斎藤隆夫議員より軍国主義が発達した理由について見解を問われた際、陸軍大臣として以下のように答弁した。 |
| 過去の罪責に対しまして私共は今後、事実をもってお詫び申し上げること、事実をもって罪をつぐなうことは出来ませぬ。 |
| まことに残念でありますが、どうか従来からの国民各位のご同情に訴えまして、この陸軍の過去における罪悪のために、ただいま齋藤君の御質問にもありましたように、純忠なる軍人の功績を抹消し去らないこと、ことに幾多戦没の英霊にたいして、深きご同情を賜らんことをこの際切にお願いいたします。 |
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