| 真面目で温厚、そして芯の強い人間性から、極真会館時代には先輩・後輩を問わず、『素晴らしい人だ』と人望を集めていた高木薫(注釈10) 『わが師大山倍達』 徳間書店、、138-144頁。 |
| 大山茂 『USカラテアドベンチャー』 講談社、、16頁、147頁。 |
| 中村は渡米する前に、港区白金台にあった般若苑という料亭で、他の門下生らと共に三木武夫や藤井丙午に演武を行った。 |
| 三木と藤井はその時の中村のきびきびした態度と礼儀正しさを高く評価し、三木は通産省に、藤井は八幡製鐵にと、それぞれ中村を勧誘したほどであった。 |
| 大山倍達は「プロレスやボクシングなど格闘技の発達した国であるため、中村忠・大山茂という門下最強の弟子を派遣している大山倍達 『私の空手道人生-輝く日本の星となれ』 講談社、、頁数が不確かなのでご存知の方、加筆お願いします。 |
| -->中村によると、大山茂のニューヨーク行きに大山倍達は、当初猛烈な反対をした。 |
| 茂に対して「名前を変えろ」と言うほど反対していた大山を、中村が懸命に説得して決まった経緯がある。 |
| 」と述べているが、真樹日佐夫は中村を「悠揚迫らぬ風格を備えた男で、白皙(はくせき)の額、凛々しい目鼻立ち、折り目正しい物腰に加えてまことに見事な押し出しであった。 |
| 外国人が思い描く、東洋の武道家のイメージとしてはまさにぴったりではなかろうかと思った。 |
| 接する時の呼吸というかあたりの爽やかさは天性のものだろう。 |
| 大山館長がニューヨークへ送り込む最初の男として、数多い弟子の中から彼を選んだのもその辺のところを見極めたのではないか真樹日佐夫 『極真カラテ27人の侍』 サンケイ出版、、280頁。 |
| 」と評している。 |
| また、大山は中村を「将来の後継者に……」と考えていたようで、中村が極真会館を去った時には国内外の関係者に与えたショックは大きかった。 |
| 中村は独立した理由を自著で述べているが、年月が経ち、その後の中村は「今思うと大山館長の生徒を育てる愛情と情熱、親しみやすく素朴な面、頭が良くて努力家、夢をたくさん語る事、など僕が影響を受けたり、見習わなくてはならない事が随分あります。 |
| でも、何より僕にとっては空手イコール正拳、正拳イコール大山館長で、空手のイメージはイコール大山館長なんですね。 |
| 外に出ると分かる部分があり、今は大山館長には感謝の一念で一杯です。 |
| 僕にとってはかけがえのない先生でした」と回顧している。 |
| 「あまり目立たないで、地味で真面目にこつこつと努力するタイプの人間であった」。 |
| 「忠はしっかりしてるし、根性が据わっている。 |
| 極真もいい奴を手放してしまうものだよ。 |
| 彼がいたら、極真なんかどこへ行っても大丈夫なんだが。 |
| 頭もいいし、あまり感情的にならないしね。 |
| どんな状況の中でもわりと冷静でいられる男だね黒崎健時・徳橋誠 『サムライへの伝言-真の勇者に託された魂のメッセージ』 文芸社、、41頁、61頁。 |
| 「世界中に星の数ほどいる極真門下生の中でも、彼(中村忠)ほど大山館長の信頼と期待、愛情と恩恵を受けた弟子はいなかったと思う」。 |
| 「一番典型的な模範生が中村忠さん 「わが青春の大山道場を語ろう」『フルコンタクトKARATE』 福昌堂、12月号、、8頁。 |
| 「夏の合宿で建物の裏でタバコを吸っていたのを中村忠先輩に見つかった。 |
| 怒られると思ったら何も咎めないで見逃してくれた。 |
| 後輩を大事にしてくれた指導者であった芦原英幸 「流浪空手」 スポーツライフ社、頁数が不確かなのでご存知の方、加筆お願いします。 |
| 「中村忠師範は構えも独特で、右拳は握り、左手を開手して構えた 「山崎照朝-円の受けの極意」『格闘Kマガジン』 ぴいぷる社、2月号、、24頁。 |
| それぐらい蹴りにも引きがあったし、余裕を持って組手をやっていた 「山崎照朝の武道空手論」『フルコンタクトKARATE』 福昌堂、10月号、、14-15頁。 |
| 高木薫添野義二が設立した極真会館傘下城西大学空手道部出身で第二期生。 |
| 後輩に三浦美幸・吉岡幸男(注釈30)・花澤明(注釈31)がいる。 |
| 在学中に第1回全日本選手権出場。 |
| 2回戦で添野と対戦し、敗退した。 |
| 卒業後、北海道支部設立に尽力し、同地の支部長に任命された。 |
| また、全日本選手権や全世界選手権で主審や副審を務めていた。 |
| 以降、糖尿病で体調を悪化。 |
| 人工透析を受ける日が続き、10月7日死去。 |
| 「中村忠先輩の稽古する姿を見ていて私が思ったのは、『先輩の空手と、私たち城西大学の空手とはずいぶん違うな』という事であった。 |
| 私たちの場合、肉体を鍛錬するとか、ケンカに強くなりたいというのが、空手を習う目的の一つとしてあったように思う。 |
| しかし、中村先輩の場合は、そうではなかった。 |
| 肉体を鍛錬するという事も無論あったかもしれないが、『心の修行』あるいは『人づくり』のために道場へ通っているように見受けられた」。 |
| 「最初はね、極真会館の二代目館長は中村忠師範でもう確実に決まっていたよね。 |
| 中村師範は大山館長の信望が物凄く厚かったからね。 |
| 実力的にも人格的にも信頼されていた不動武 『空手仙人-岸信行-枕にキノコが生えるまで泣け!!-不敗の人生術』 東邦出版、、82-83頁。 |
| 「やっぱり先生で生徒の質が左右されますね。 |
| 中村師範に学べば、本当に精神性がしっかりした生徒になります 「武道魂とは何か?」『極真とは何か?』 ワニマガジン社、、156頁。 |