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つながりの強いひと
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水野葉舟
水野葉舟(みずのようしゅう、1883年4月9日-1947年2月2日)は日本の詩人、歌人、小説家、心霊現象研究者。東京生まれ、本名は盈太郎(みちたろう)。1900年新... |
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三島霜川
日本の作家、演劇評論家。富山県中田町(現:高岡市)に漢方医の長男として生れる。本名、才二。家業を継がせようという父の意に反し上京。22歳の時、出世作... |
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紅野敏郎
日本近代文学の研究者、早稲田大学名誉教授。 |
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相馬御風
相馬御風(そうまぎょふう、1883年(明治16年)7月10日-1950年(昭和25年)5月8日)は日本の詩人・歌人・評論家。本名は昌治(しょうじ)。新潟県糸魚川市出... |
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二葉亭四迷
日本の小説家、翻訳家。本名、長谷川辰之助(はせがわたつのすけ)。筆名の由来は、文学に理解のなかった父に、「くたばってしめ(ま)え」といわれたことか... |
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尾崎紅葉
日本の小説家。本名、徳太郎。「縁山」「半可通人」「十千万堂」などの号も持つ。江戸生れ。帝国大学国文科中退。1885年(明治18年)、山田美妙らと硯友社を... |
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坪内逍遥
坪内逍遥(つぼうちしょうよう、旧字体:坪&x5167;逍遙、1859年6月22日(安政6年5月22日)-1935年(昭和10年)2月28日)は主に明治時代に活躍した日本の小説... |
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島崎藤村
日本の詩人、小説家。本名は島崎春樹(しまざきはるき)。信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市)生れ。『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『... |
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田山花袋
日本の小説家。本名、録弥(ろくや)。群馬県(当時は栃木県)生れ。尾崎紅葉のもとで修行したが、後に国木田独歩、柳田国男らと交わる。『蒲団』『田舎教師... |
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縄田一男
日本の文芸評論家。現在、中山義秀文学賞選考委員。 |
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内田魯庵
明治期の評論家、翻訳家、小説家。本名貢(みつぎ)。別号不知庵(ふちあん)、三文字屋金平(さんもんじやきんぴら)など。江戸下谷車坂六軒町(現東京都台... |
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上司小剣
小説家。奈良県生まれ、兵庫県育ち。本名は延貴。大阪の浪華文学会で活動したあと1897年上京、読売新聞社に勤め、編集局長。1914年の半生記小説『鱧の皮』が... |
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江宮隆之
江宮隆之(えみやたかゆき、1948年-)は日本の歴史小説作家、時代小説作家、ノンフィクション作家。山梨県生まれ。中央大学法学部卒業。戦国時代の造詣に深く... |
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林房雄
日本の小説家、文芸評論家。大分県出身。本名は後藤寿夫(ごとうとしお)。戦後の一時期の筆名は白井明。戦後は中間小説の分野で活動し、『息子の青春』、『... |
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正宗白鳥
明治~昭和期の小説家、劇作家、文学評論家。本名は正宗忠夫。 |
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島村抱月
島村抱月(しまむらほうげつ、1871年2月28日(明治4年1月10日)-1918年(大正7年)11月5日)は日本の文芸評論家、演出家、劇作家、小説家、詩人。新劇運動の... |
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前田晁
日本の小説家、翻訳者。号に木城。妻は童話作家の徳永寿美子。 |
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有島武郎
日本の小説家。学習院中等科卒業後、農学者を志して札幌農学校に進学、キリスト教の洗礼を受ける。1903年渡米。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らとともに同... |
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赤い鳥
鈴木三重吉が創刊した童話と童謡の児童雑誌。1918年7月1日創刊、1936年8月廃刊。 |
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プロフィール
中村星湖(なかむらせいこ、1884年(明治17年)10月14日-1974年(昭和49年)4月13日)は、日本の文学者。星湖は筆名で、本名は将為(まさため)
略歴
| 山梨県南都留郡河口村(旧同郡河口湖町、現富士河口湖町)に生まれる。 |
| 8人兄弟の長男。 |
| 中村家は富士参詣者への宿坊を営む御師の家庭で、農業や養蚕も営んだ。 |
| 1890年(明治23年)に村立河口小学校へ入学。 |
| 両親の影響で幼少時から文学に親しみ、回覧雑誌などを製作。 |
| 1897年(明治30年)中学進学のため一時上京するが、翌年に甲府の山梨県立尋常中学(現甲府一校)に入学。 |
| この頃から『校友会雑誌』『中学世界』など文芸雑誌へ文章や漢詩を投稿。 |
| 1903年(明治36年)に上京し、早稲田高等予科に入学、翌年には早稲田大学英文科に進学。 |
| 後に首相となる同郷の石橋湛山とは同期。 |
| 『新小説』や『万朝報』へ詩を投稿し、早稲田大学在学中の1906年(明治39年)には『盲巡行』が『新小説』の懸賞一等(泉鏡花選)。 |
| 翌年には『少年行』が『早稲田文学』の懸賞長編小説に当選(二葉亭四迷選)して刊行され、自然主義作家として名をはせる。 |
| 早稲田大学では坪内逍遥や島村抱月らの影響をうける。 |
| 国木田独歩を敬愛し、島崎藤村とも交友。 |
| 卒業後は「星湖」や「銀漢子」の筆名で小説執筆も続けるが、島村抱月の推薦で『早稲田文学』記者を務め、田山花袋の作品の合評にも参加。 |
| 相馬御風は同じ早稲田文学記者で、終生の交友があった。 |
| フローベールの『ボヴァリー夫人』やモーパッサンモーパッサンなどの翻訳業も行い、フランス文学の紹介者となる。 |
| 1919年(大正8年)に記者を辞す。 |
| 鈴木三重吉『赤い鳥』に童話も発表し、児童文学や農民文学へも関心を示した。 |
| 1926年(大正15年)には前田晁とともに『山梨日日新聞』の文芸欄小説の選者となり、山梨県文化人の懇談会「山人会」を発足。 |
| 同年には農民文藝会の結成に参加。 |
| 1928年(昭和3年)、新潮社世界文学全集『ボヴァリー夫人』の印税資産でフランスへ留学。 |
| プラハでは国際民族芸術会議に出席、フランスではフローベルの姪を、スイスではロマン・ロランを訪ねる。 |
| 郷土文化の振興に務め、1940年(昭和15年)には富士五湖地方文化協会を結成し、機関誌『五湖文化』を編集。 |
| 県内名所の選定や、文化財や民芸の調査も行う。 |
| 1945年(昭和20年)、河口湖村に疎開。 |
| 戦後は村の教育委員会を務める。 |
| 1950年、山梨学院短期大学教授となる。 |
| 1956年(昭和31年)11月、文化功労者として表彰される。 |
| 1974年、都内で死去、90歳。 |
| 「山人会」はその後も発展し、1987年(昭和62年)には中村星湖文学賞が制定される。 |
| 著作に『文化は郷土より』など。 |
| 関係資料は山梨県立文学館に所蔵され、常設展示もされている。 |
著作
| 『半生』(早稲田文学社 1908)。 |
| 『影』今古堂、1910 。 |
| 『星湖集』(東雲堂 1910)。 |
| 『漂泊』春陽堂、1913 。 |
| 『女のなか』(早稲田文学社 1914)。 |
| 少年行 植竹書院、1915 。 |
| 『失はれた指輪』天佑社、1919 。 |
| 叙事抒情文作法松陽堂、1925 。 |
| 評論講座金星堂、1926 。 |
| 農民劇場入門春陽堂、1927 。 |
| 釣ざんまい健文社、1935 。 |
| 『島原の尼』。 |
| 『文化は郷土より』(大智書房 1943)。 |
翻訳
| 月光モウパツサン海外文芸社、1913 。 |
| 死の如く強しモウパッサン博文館、1914。 |
| モウパッサン全集第8巻我等の心天佑社、1921 。 |
| ボヴリイ夫人フロオベエル 新潮社、1921 。 |
| 真心フロオベエル白水社、1922 。 |
| ピーターパンバリ平凡社、1931 。 |
| 深夜の告白・リオネエ倶楽部デュアメル新潮社、1931 。 |
| 三つの物語フローベール富山房、1939 。 |
| バルザックルネ・バンジャマン春秋社松柏館 1943。 |
| 湖上の美人ウォールタ・スコット童話春秋社、1949 。 |
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