| 7月7日 第10回参議院議員通常選挙(鹿児島県地方区・日本社会党公認)当選。 |
| 6月26日 第13回参議院議員通常選挙(鹿児島県地方区・社会党公認)2期目当選。 |
| 党中央執行委員(政策担当)就任。 |
| 7月23日 第15回参議院議員通常選挙(鹿児島県選挙区・社会党公認)3期目当選。 |
| 9月 党副書記長就任。 |
| 4月 党副委員長、9月社会党シャドーキャビネット蔵相就任。 |
| 1月 山花貞夫新委員長の下で副委員長に留任。 |
| 8月 山花委員長が細川内閣に政治改革担当相として入閣したのに伴い、党委員長代行に就任。 |
| 山花は7月の第40回衆議院議員総選挙での大敗の責任を負って委員長を辞任すると表明。 |
| 9月 後継委員長に久保と村山富市国会対策委員長が有力視されるが結局村山で一本化。 |
| 村山は翫正敏を破って委員長に当選し、久保を書記長に起用。 |
| 4月 細川首相が辞意を表明。 |
| 連立与党は新生党の羽田孜を次期首班に擁立することで合意し、25日国会で羽田が首相に指名されるが、同日社会党を排除した統一会派改新が結成され、村山委員長は強く反発し、26日社会党は連立政権を離脱。 |
| 28日羽田内閣は少数与党で発足。 |
| 以後久保は連立復帰を模索するが、実現せず。 |
| 6月 内閣不信任案を突きつけられた羽田内閣が総辞職。 |
| 後継政権を巡り、自由民主党、新党さきがけ、連立与党の間で駆け引きが展開され、社会党は、久保を中心とする勢力が従来の非自民連立政権を志向する一方、村山や野坂浩賢らを中心とする勢力は自民、さきがけの働きかけに呼応した。 |
| 非自民政権のキーマンである小沢一郎が自民党の海部俊樹の擁立を図ったことへの反発もあり、首相指名選挙で社会党は村山に投票することで一致。 |
| 自民、さきがけも村山に投票し、自民党内の海部票は少数にとどまったため、村山が首相に指名され、自民、社会、さきがけ3党の連立による村山内閣が発足。 |
| 久保は村山委員長の首相就任に伴い委員長代行に就任。 |
| 8月 久保らが党内中間派・右派の再結集を図る政策集団「新民主連合」を結成(会長は山花前委員長)。 |
| 10月 久保書記長、小沢ら旧連立勢力の「新・新党」に対抗して、「民主・リベラル新党」の結成を目指すと発表。 |
| 1月17日 山花らが「民主・リベラル新党」の結成を予定していたが、阪神大震災により延期。 |
| 7月23日 第17回参議院議員通常選挙(鹿児島県選挙区・社会党公認)4期目当選。 |
| 1月 村山首相が辞任。 |
| 自社さ3党連立の枠組みは変わらず、自民党の橋本龍太郎を首班とする連立内閣が発足。 |
| 久保は副総理兼蔵相に就任。 |
| 同月、社会党が社会民主党に党名を変更し、久保は副党首兼参議院議員会長に就任。 |
| 4月 住専法案を成立させる。 |
| 9月 社民党から赤松広隆、佐藤観樹ら衆議院議員の約半数が離党して民主党の結成に参加。 |
| かつては民主・リベラル勢力の新党結成を目指していた久保だったが、社民党にとどまる。 |
| 10月 第41回衆議院議員総選挙で社民党は解散前の35議席から15議席と惨敗。 |
| 11月 第2次橋本内閣の発足に伴い久保は副総理兼蔵相を辞任。 |
| 自民党単独内閣となった(社民党、さきがけは閣外協力)。 |
| 社民党を離党、民主改革連合に加わり最高顧問に就任。 |
| 民改連も参加していた院内会派「民主友愛太陽国民連合」による新・民主党結成を受け、参院民主党の実権を握る。 |
| 8月 民主党の参院議員会長に就任。 |
| 第19回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界を引退。 |
| 2003年6月24日。 |
| 慢性腎不全のため死去。 |
| 享年74{{Citeweb。 |