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つながりの強いひと
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建武
後漢の光武帝劉秀の治世に行われた最初の元号。25年-56年。建武32年(56年)は4月に改元され、建武中元元年となった。この元号は、漢王朝を再興した際に初め... |
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平泉澄
日本の歴史学者。福井県大野郡平泉寺村平泉寺(現在の福井県勝山市)出身。東京帝国大学元教授。平泉寺白山神社第3代宮司、名誉宮司。皇學館大学学事顧問。文... |
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谷省吾
神道学者。現在、皇學館大学名誉教授。神道学および垂加神道・鈴木重胤の研究に従事。 |
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服部正
服部正(はっとりただし、1908年3月17日-2008年8月2日)は日本の作曲家。日本のクラシック音楽の大衆化に努めた。 |
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西宮一民
日本の国文学者・国語学者。皇學館大学元学長。勲三等旭日中綬章。博士(文学)(京都大学、1994年)(「古事記の研究」)。奈良県桜井市出身。生家は談山神社... |
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後醍醐天皇
第96代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日)-延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。諱は尊治(たかはる)。 |
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西山徳
父:徳右ヱ門の油滴天目に負けない結晶釉の世界を模索中。 →マピオンで表示← 〒1 東京都港区六本木4-5-3 Tel&Fax: ... |
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北畠親房
北畠親房(きたばたけちかふさ、正応6年1月29日(1293年3月8日)-正平9年/文和3年5月10日(1354年6月1日))。南北朝時代の公卿。著書『神皇正統記』で名高い。 |
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藤井貞文
日本の歴史学者。國學院大學名誉教授。文学博士。 |
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北畠
大阪市阿倍野区南西部の町名。郵便番号545-0035。 |
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重源
中世初期の日本に生きた人物。平安時代末期から鎌倉時代にかけて活動した僧である。房号は俊乗房(しゅんじょうぼう、俊乗坊とも記す)。東大寺大勧進職とし... |
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新村出
日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。 |
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所功
日本の歴史学者、法制史学者。京都産業大学法学部教授。学位は法学博士。 |
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佐久間象山
日本の武士(松代藩士)、兵学者・思想家。松代三山の一人。通称は修理、諱は国忠(くにただ)、のちに啓(ひらき)、字は子迪(してき)、後に子明(しめい... |
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田中卓
田中卓(たなかたかし、1923年(大正12年)12月12日-)は日本の歴史学者。皇學館大学名誉教授。皇學館大学元学長。有限会社青々企画代表。専門は日本古代史。... |
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足利尊氏
鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年-1358年)。足利将軍家の祖。 |
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楠木正成
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍... |
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櫻井勝之進
桜井勝之進(さくらいかつのしん、1909年-2005年)は島根県出身の神道の神職。 |
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篠田康雄
篠田康雄(しのだやすお、1908年1月3日-1997年2月1日)は日本の神職。熱田神宮宮司、皇學館大学理事長・総長。 |
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鎌田純一
日本の神道学者、歴史学者。宮内庁侍従職御用掛。大阪府大阪市出身。 |
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プロフィール
久保田収(くぼたおさむ、明治43年(1910年)7月22日-昭和51年(1976年)12月7日)は、日本の歴史学者。専門は神道史。文学博士。
生涯
| 明治43年(1910年)、富山市に生まれる(本籍滋賀県)。 |
| 静岡県立浜松第一中学校(昭和3年〈1928年〉卒業)、第六高等学校文科甲類(昭和6年〈1931年〉卒業)を経た後、昭和9年(1934年)、東京帝国大学文学部国史学科を卒業。 |
| 翌昭和10年、東京府立第九中学校教諭となり、昭和13年(1938年)、第七高等学校造士館教授となった。 |
| 東大では平泉澄に学び、高弟として知られる。 |
| 在学中、朱光会の創立に関わり、また青々塾最初の入塾者の一人でもあった(いずれも平泉主宰)。 |
| 東大卒業後鹿児島に赴任するまでの間、青々塾塾頭をつとめ、七高時代は集義塾を開くなどして、後進の指導にあたった。 |
| 終戦に際会して、七高教授を辞任。 |
| 戦後、昭和21年(1946年)、京都日日新聞社に入社し、論説委員となり、昭和24年(1949年)、合併した京都新聞の論説委員に移る。 |
| 翌昭和25年、藝林会が設立され、事務局が彼の自宅に置かれた。 |
| 昭和28年(1953年)、神道史学会の創立とともに会長に就任し、歿するまでその職にあった。 |
| 昭和29年、福井県史編纂専門委員となり、昭和30年、高野山大学教授に就任した。 |
| 昭和35年(1960年)、「中世神道の研究」により、國學院大學より文学博士の学位を取得し、また同年、日本教育協議会(日本教師会の前身)会長となった(昭和38年まで)。 |
| 昭和36年(1961年)、皇學館大学設立準備委員となり、翌昭和37年、皇學館大学再興とともに教授に就任した。 |
| 皇學館大学教授在任中、文学部長・評議員・理事・同大学神道研究所所長を併任した。 |
| 神道史研究の権威で、主著であり学位論文でもある『中世神道の研究』は、「今後とも永く神道研究史上不朽の地位を占めるであろう」(柴田実)と評される。 |
| その人柄もその学問も、中正穏健なものであった。 |
| 昭和51年(1976年)12月、66歳で死去。 |
| 正五位に叙され、勲三等瑞宝章が贈られた。 |
| 墓地は三重県伊勢市旭町伊勢やすらぎ公園にある。 |
単著
| 『薩隅日三州吉野時代勤王記』 薩隅日三州吉野時代史蹟顕彰会 昭和15年(1940年)。 |
| 『有馬正義先生』 至文堂 昭和19年(1944年)。 |
| 『中世神道の研究』 神道史学会 昭和34年(1959年)。 |
| 『岐路に立つ教育』 日本教育協議会出版部 昭和36年(1961年)。 |
| 『国民の日本史』 立花書房 昭和37年(1962年)。 |
| 『建武中興』 日本教文社 昭和40年(1965年)、新版明成社 平成16年(2004年)。 |
| 『近世史学史論考』 皇學館大学出版部 昭和43年(1968年)。 |
| 『神道指令の超克』 錦正社 昭和47年(1972年)。 |
| 『神道史の研究』 皇學館大学出版部 昭和48年(1973年)。 |
| 『八坂神社の研究』 神道史学会 昭和49年(1974年)。 |
| 『北畠父子と足利兄弟』 皇學館大学出版部 昭和52年(1977年)。 |
| 『神道史の研究遺芳編』 皇學館大学出版部 平成18年(2006年)。 |
| 『建武中興後醍醐後天皇の理想と忠臣たちの活躍』復刊明成社平成16年(2004年9月)。 |
編著
| 『武教本論・武教小学・武教全書講録』(日本学叢書4、解説・校訂・注釈) 雄山閣 昭和13年(1938年)。 |
| 『眞言内證義』(北畠親房著、校訂) 藝林会 昭和34年(1959年)。 |
| 『有馬正義先生遺文』 藝林会 昭和45年(1970年)。 |
| 『古文書学教本 古文書の部』 皇學館大学出版部 昭和46年(1971年)。 |
共著
| 『大正昭和 福井県史』上・下 福井県 昭和33年(1958年)。 |
| 『佐久間象山』(新村出と共著) 象山会 昭和39年(1969年)。 |
参考文献
| 「彙報・久保田収博士逝く」 『神道史研究』25-1 昭和52年(1977年)1月。 |
| 西山徳「久保田収博士の訃」 『日本歴史』345昭和52年(1977年)。 |
| 『久保田収博士偲草』 久保田収先生十年祭準備委員会昭和61年(1986年)。 |
| 林潤一『久保田収博士小伝』 伊勢青々平成17年(2005年)。 |
| 『神道史の研究遺芳編』 皇學館大学出版部平成18年(2006年)。 |
| 附録として平泉澄「中正穏健の学風」、谷省吾「久保田収博士の学風」のほか、「久保田収博士略年譜」・牟禮仁編「久保田収博士著作目録」を収録。 |
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1910年
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富山市に生まれる(本籍滋賀県) |
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1946年
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京都日日新聞社に入社し、論説委員となり、昭... |
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