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徳島県徳島市出身のプロ野球選手(投手)。日本人随一のカットボーラーとして知られている。 |
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中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。から中日選手会長、には日本プロ野球選手会副会長に就任。 |
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吉見一起(よしみかずき、1984年9月19日-)は中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。 |
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鹿児島県出身の元プロ野球選手(外野手)。中日ドラゴンズに所属し、からは選手会長を務めた。を以って現役を引退し、は中日の打撃コーチ、からは中日の二軍... |
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プロフィール
- 久本祐一とは
- プロ入り前
- プロ入り後
- プレースタイル・人物
- 野球協約173条抵触問題
- 年度別投手成績
- 記録
- 背番号
- 関連項目
久本祐一(ひさもとゆういち、1979年3月14日-)は、 中日ドラゴンズに所属しているプロ野球選手(投手)。
プロ入り前
| 大学時代は2試合登板したのみで登板機会に恵まれなかったが、2001年の第72回都市対抗野球大会で河合楽器が初優勝を果たした際、若獅子賞を受賞する働きを見せ一躍注目される。 |
| 同年の野球部休部に伴い、特例措置で同僚の山井大介とともにドラフト4巡目指名で中日に入団。 |
プロ入り後
| 2002年は即戦力の期待を受けながらわずか5試合の登板にとどまった。 |
| しかし2003年に変化球のキレが増して急成長し、51試合に登板して防御率3.22の好成績を残した。 |
| リードされた場面での登板が多かったが、イニング数を上回る奪三振を記録した。 |
| 2004年、38試合に登板して防御率3点台とまずまずの成績を残したが、シーズン前半は安定感を欠いた。 |
| 2005年不調で二軍暮らしが長く、防御率6点台と低迷した。 |
| 同年オフに入団した吉見一起が背番号19をつけることになり、61に変更となった。 |
| 2006年、不調の高橋聡文に代わる左の中継ぎとして活躍し、27試合に投げて防御率1点台の好投を見せた。 |
| 5月には3年ぶりのセーブも記録した。 |
| ルーキイヤーの2002年から2005年まで毎年1勝ずつ挙げていたが、2006年は2勝(2敗1S)を挙げ、「1勝のジンクス」を破った。 |
| 2007年、主に中継ぎとして起用され、36試合に登板。 |
| 夏場には13試合連続無失点も記録し、チームでは左の中継ぎの一番手としての地位を築いた。 |
| 日本シリーズでも登板した。 |
| シーズン終了後には小林正人、吉見一起らと共にドミニカのウィンターリーグに派遣され、日本一パレードには参加できなかったが、新球・チェンジアップを習得。 |
| さらなる飛躍が期待された。 |
| 2008年は怪我(左腕痛)により、プロ入り後初の一軍登板なしに終わった。 |
| いったんは回復したものの、2009年の春季キャンプ中に再び左ひじを痛め、4月にじん帯を移植する手術を行う。 |
| リハビリのため、一軍、二軍ともに登板はなかった。 |
| 2010年から二軍で実戦に復帰。 |
| 6月4日に一軍に昇格する。 |
プレースタイル・人物
| 140km/h台のストレートとカットボール、フォーク、カーブ、チェンジアップを投げる。 |
野球協約173条抵触問題
| 2007年オフ、久本は日本一優勝旅行・日本一パレード等の球団行事を全てキャンセルして球団に志願して11月15日にドミニカ共和国へ出発、自主的にウィンターリーグへ参加した。 |
| 球団が選手を拘束できる期間は野球協約で2月1日-11月30日と決まっているが、12月1日以降は久本が自主参加という形でウィンターリーグに参加する予定だった。 |
| 12月を超えて試合に出場していることを知った日本プロ野球選手会がこれに反発。 |
| 「選手会と球団側との取り決めにより、12月と1月は完全オフとされている。 |
| 野球協約173条に抵触する」として久本のウィンターリーグ参加を認めず、強制帰国となった。 |
| 焦点となったのは、オフと決められた期間の出場が「選手の自由意思」であるか「球団からの強制」であるかという点で、球団から迫られれば拒否が出来ない選手の立場を考えた上での選手会のルール徹底だったが、久本は志願して参加し、帰国後「もっと投げたかった」と発言しており、このプロ野球選手会による裁定は波紋を呼んだ。 |
記録
| 初登板:2002年4月28日、対広島東洋カープ6回戦(ナゴヤドーム)、8回表に救援登板、2回無失点。 |
| 初奪三振:2002年5月5日、対ヤクルトスワローズ7回戦(明治神宮野球場)、5回裏に岩村明憲から。 |
| 初勝利:2002年10月5日、対横浜ベイスターズ27回戦(横浜スタジアム)。 |
| 初セーブ:2003年6月8日、対広島東洋カープ14回戦(ナゴヤドーム)。 |
| 初先発:2003年7月30日、対読売ジャイアンツ19回戦(東京ドーム)、2回2/3を2失点。 |
| 初ホールド:2005年6月5日、対北海道日本ハムファイターズ6回戦(ナゴヤドーム)。 |
背番号
| 19(2002年-2005年)。 |
| 61(2006年-)。 |
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1979年
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久本 祐一(ひさもと ゆういち)は、中日ドラ... |
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2002年
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初登板:、対広島東洋カープ6回戦(ナゴヤド... |
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投票数
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