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つながりの強いひと
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長谷川時雨
劇作家・小説家。雑誌や新聞を発行して、女性の地位向上の運動を率いた。本名、長谷川ヤス。画家・随筆家の長谷川春子は末妹。 |
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柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん、1885年(明治18年)10月15日-1967年(昭和42年)2月22日)は歌人。本名は燁子(あきこ)。大正三美人の一人。父は柳原前光... |
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佐佐木信綱
師事
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籠谷真智子
籠谷真智子、同朋舎、定価3500円、1988年初版刷、412頁、状態、良好、冊子郵便で340円。
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大谷籌子
姉
大谷籌子(おおたにかずこ、1882年11月5日-1911年1月27日)は西本願寺法主・大谷光瑞の妻(西本願寺裏方)であり、女性組織仏教婦人会などで活躍、女子高等教... |
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大塚楠緒子(おおつかくすおこ/なおこ、1875年8月9日-1910年11月9日)は明治末に活躍した歌人、作家。美学者・大塚保治の妻。本名:大塚久寿雄。別名:久寿雄... |
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プロフィール
- 九条武子とは
- 来歴
- 人物
- 京都女子大学設立について
- 歌碑
- 参考文献
- 関連サイト
九条武子(くじょうたけこ、10月20日-2月7日)は、教育者・歌人、後年には社会運動活動家としても活躍した。
来歴
| 西本願寺第21代法主・明如(大谷光尊)の次女(母・藤子は光尊の側室で紀州藩士族の子女)として京都で生まれる。 |
| 義姉・大谷籌子裏方(大谷光瑞夫人)を助けて仏教婦人会を創設し、1911年(明治44年)、籌子が30歳の若さで早世の際は本部長に就任、同会運営の重責を果たした。 |
| 仏教主義に基づく京都女子専門学校(現・京都女子学園、京都女子大学)を設立、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で自身も被災するが一命を取りとめ、全壊した築地本願寺の再建、震災による負傷者・孤児の救援活動(「あそか病院」などの設立)などさまざまな事業を推進した。 |
| 佐佐木信綱に師事し和歌にも長け歌人としても、『金鈴』『薫染』などの歌集がある。 |
| 愛唱されている仏教讃歌の「聖夜」は、1927年(昭和2年)7月に出版された随筆『無憂華』の中に収められている。 |
| 「聖夜」の作曲は、中山晋平(1887年-1952年)で、歌詞は七五調で構成され、夜空に輝く美しい数多の星のようにおわする仏たちに護られて生きていることの歓喜と安らぎが表現されている。 |
| 1928年(昭和3年)2月7日、震災復興事業での奔走の無理がたたり敗血症発症、42歳の若さで念仏のうちに往生した。 |
| 宗門では、九条武子の命日を如月忌(きさらぎき)と呼んでいる。 |
人物
| 武子は才色兼備としてもてはやされ、柳原白蓮(大正天皇生母・柳原愛子の姪)、江木欣々とともに大正三美人と称された。 |
| 私生活では1909年、公爵家出身で正金銀行勤務・九条良致(くじょう・よしむね)に嫁いだ。 |
| 武子は結婚後、良致の勤務先兼留学先(ケンブリッジ大学)・ロンドンに随行したが、渡英一年半で武子が帰国・良致はそのまま英国滞在という別居状態が十数年続いた。 |
| これには美貌・教養・家柄(大谷家は伯爵家)の誉れ高き武子に、良致がなじめなかったからではないか等、夫婦不和の憶測もあったが、武子は離婚どころか浮いた言動一つとらず、良致の帰国をひたすら待ちつづけた。 |
| 1920年年末に良致が帰国し、夫婦同居が実現、武子・良致の間に子はなかったものの、関東大震災などを経て、武子自身の死までよき夫婦関係であったと伝えられている。 |
京都女子大学設立について
| 明治45年に、武子が所属する西本願寺仏教婦人会連合本部が、「女子大学設立趣意書」を配布した。 |
| 「趣意書」では、まず、「国運の発達は、国民の開発に由らざるべからず」として、教育の重要性を訴えている。 |
| しかし、当時の教育は「男子に厚くして女子に薄きことなき耶」として女子の教育拡充をもとめている。 |
| そのため、「家政及び国漢文、歴史、外国語等教科を設くる所以、教育設備の、女子に薄くせざるの意を拡充し、勉めて常識の発達、趣味の養成、徳性の涵養を図り、女子の職分を尽くさしめて、国体の精華を発揮せんと欲するに在り」として、女子大学の設立を呼びかけた。 |
| また、本願寺派の仏教者である武子は「宗門」の女子大学設立ということにこだわった。 |
| というのは、既存の女子大学である日本女子大学や同志社女子大学の建学の精神が「異教」(キリスト教)であったためである。 |
歌碑
| おほいなるもののちからにひかれゆくわがあしあとのおぼつかなしや(東京築地本願寺境内)。 |
| 山の院連子の端にせきれいの巣あり雛三つ母待ちて鳴く(比叡山西塔)。 |
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1909年
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公爵家出身で正金銀行勤務・九条良致(くじょ... |
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