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つながりの強いひと
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前田綱紀
加賀藩の第4代藩主。第3代藩主・前田光高の長男。母は水戸藩・徳川氏の徳川頼房の娘(徳川家光の養女)・清泰院。元服後の名は綱利。後年、綱紀と改める。徳... |
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後桜町天皇
後桜町天皇(ごさくらまちてんのう、元文5年8月3日(1740年9月23日)-文化10年閏11月2日(1813年12月24日))は第117代天皇(在位:宝暦12年7月27日(1762年9... |
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桜町天皇
江戸時代の第115代天皇(在位:享保20年3月21日(1735年4月13日)-延享4年5月2日(1747年6月9日))。幼名を若宮、諱を昭仁(てるひと)という。 |
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桃園天皇
江戸時代の第116代天皇(在位:延享4年5月2日(1747年6月9日)-宝暦12年7月12日(1762年8月31日))。幼名を八穂宮(やほのみや)または茶地宮(さちのみや)... |
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欣子内親王
江戸時代の皇族。第119代光格天皇の中宮。幼称は女一宮(おんないちのみや)。女院号は新清和院(しんせいわいん)。 |
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有栖川宮職仁親王
有栖川宮職仁親王(ありすがわのみやよりひとしんのう 正徳3年9月10日(1713年10月28日)-明和6年10月22日(1769年11月19日))は江戸時代の皇族。有栖川宮... |
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後桃園天皇
江戸時代の第118代天皇(在位:明和7年4月28日(1770年5月23日)-安永8年11月9日(1779年12月16日))。諱は英仁(ひでひと)。なお、急逝による後継の準備の... |
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中御門天皇
江戸時代の第114代天皇(在位:宝永6年6月21日(1709年7月27日)-享保20年3月21日(1735年4月13日))。幼名を長宮(ますのみや)、諱を慶仁(やすひと)とい... |
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明正天皇
第109代天皇(在位:寛永6年11月8日(1629年12月22日)-寛永20年10月3日(1643年11月14日))。女帝。幼名は女一宮、諱は興子(おきこ)。 |
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光格天皇
江戸時代の第119代天皇(在位:安永8年11月25日(1780年1月1日)-文化14年3月22日(1817年5月7日))。幼名を祐宮(さちのみや)という。諱ははじめ師仁(も... |
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一条兼香
江戸時代中期の公卿。桜町天皇の側近として活躍し、従一位関白左大臣・太政大臣を歴任して14年にわたって朝廷の中枢にあった。「後円成寺」と号する。 |
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近衛維子
後桃園天皇の女御。関白太政大臣近衛内前の娘。弟に右大臣近衛経熙がいる。明和5年(1769年)11月、皇太子英仁親王(のちの後桃園天皇)と結婚。明和7年(177... |
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閑院宮直仁親王
閑院宮直仁親王(かんいんのみやなおひとしんのう、宝永元年9月9日(1704年10月7日)-宝暦3年6月3日(1753年7月3日))は江戸時代の皇族。弾正尹。准三宮。幼... |
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閑院宮典仁親王
江戸時代の宮家当主で皇族。幼名は「寿宮」(ひさのみや)。世襲親王家、閑院宮第二代当主。「慶光天皇」または「慶光院」の前名。閑院宮典仁親王の呼びかた... |
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近衛内前
江戸時代中期の公家、関白、太政大臣。父は近衛家久、母は満君(島津吉貴娘)。享保19年(1734年)に元服。子に近衛経熙、維子(後桃園天皇の女御で、欣子内... |
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仁孝天皇
第120代天皇(在位:文化14年9月21日(1817年10月31日)-弘化3年1月26日(1846年2月21日))。諱は恵仁(あやひと)。幼称は寛宮(ゆたのみや)。 |
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霊元天皇
江戸時代前期の第112代天皇(在位:寛文3年1月26日(1663年3月5日)-貞享4年3月21日(1687年5月6日))。幼名は高貴宮(あてのみや)、諱は識仁(さとひと)... |
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東山天皇
東山天皇(ひがしやまてんのう、延宝3年9月3日(1675年10月21日)-宝永6年12月17日(1710年1月16日))は江戸時代の第113代天皇(在位:貞享4年3月25日(1687... |
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近衛尚子
江戸時代の中御門天皇の女御で、桜町天皇の生母。女院号は新中和門院(しんちゅうかもんいん)。 |
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後光明天皇
江戸時代前期の第110代天皇(在位:寛永20年10月3日(1643年11月14日)-承応3年9月20日(1654年10月30日))。幼名を素鵞宮(すがのみや)、諱を紹仁(つぐひ... |
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プロフィール
二条舎子(にじょういえこ、享保元年8月24日(1716年10月9日)-寛政2年1月29日(1790年3月14日))は、 桜町天皇の女御で、 後桜町天皇の生母。後に皇太后。女院号は青綺門院(せいきもんいん)。
経歴
| 2年後、中御門天皇が譲位して昭仁親王が即位すると、舎子は女御宣下を受ける。 |
| その後、元文2年(1737年)に第一皇女盛子内親王、元文5年(1740年)に第二皇女智子内親王(のちの後桜町天皇)を出産するが、男児には恵まれなかったため、延享2年(1745年)、典侍姉小路定子所生の遐仁親王(のちの桃園天皇)を養子に迎える。 |
| 延享4年(1747年)、桜町天皇が遐仁親王に譲位すると、舎子は皇太后に冊立される。 |
| この時践祚した桃園天皇はわずか7歳であり、桜町上皇による院政が行われるが、譲位から3年後の寛延3年(1750年)に桜町上皇は崩御。 |
| 皇太后舎子は女院号宣下を受けて落飾する。 |
| 宝暦12年(1762年)、桃園天皇は22歳の若さで崩御する。 |
| 天皇の実子である英仁親王(のちの後桃園天皇)は未だ5歳であったことから、摂関家当主らの合議の上、故天皇の異母姉で、舎子の実子である智子内親王が、英仁親王が成長するまでの中継ぎとして即位。 |
| 明正天皇以来119年ぶりの女帝、後桜町天皇が誕生した。 |
| 明和7年(1771年)、後桜町天皇は英仁親王に譲位、後桃園天皇が即位するが、父である桃園天皇に続き、後桃園天皇も安永8年(1779年)に22歳で崩御する。 |
| 遺された皇子女は同年誕生したばかりの欣子内親王ただ一人であったため、ここに中御門天皇系の皇統は断絶し、次代は傍系である閑院宮家から師仁王を迎え、光格天皇として即位させた。 |
| それから11年後の寛政2年1月29日(1790年3月14日)、青綺門院舎子は75歳で崩御。 |
| 陵所は京都府京都市東山区の月輪陵。 |
| 幼帝や女帝が続いた時代、4代の天皇の治世に渡って皇太后、女院の座にあったことは特筆に価する。 |
| 晩年は桃園天皇生母の開明門院(姉小路定子)や後桃園天皇生母の恭礼門院(一条富子)らに対し、「大女院」と称された。 |
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1733年
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4歳年下の皇太子昭仁親王(のちの桜町天皇)... |
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1737年
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第一皇女盛子内親王、元文5年1740年に第二皇... |
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投票数
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二条舎子さんについてのひとこと紹介
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