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左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
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建武
後漢の光武帝劉秀の治世に行われた最初の元号。25年-56年。建武32年(56年)は4月に改元され、建武中元元年となった。この元号は、漢王朝を再興した際に初め... |
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後醍醐天皇
第96代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日)-延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。諱は尊治(たかはる)。 |
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二条良実
鎌倉時代中期の公卿。父は九条道家(良実は次男)。母は西園寺公経の娘。兄に九条教実、弟に征夷大将軍藤原頼経、一条実経(一条家の祖)、子に二条道良、二... |
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九条経教
南北朝時代の公家。関白二条道平の子で関白九条道教の養子となった。官位は従一位・関白・左大臣。 |
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二条良基
南北朝時代の公卿、歌人であり連歌の大成者である。従一位。摂政、関白、太政大臣。最初の関白は在任13年間の長期にわたり、死の間際まで通算5度(数え方によ... |
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九条道教
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近衛経忠
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿。関白右大臣近衛家基の孫で、関白左大臣近衛家平の子。弟に一乗院覚実がいる。官位は従一位・関白・左大臣。後猪... |
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九条道家
鎌倉時代前期の公卿。摂政九条良経の長男。妻は太政大臣西園寺公経の娘等。鎌倉幕府4代将軍藤原頼経の父。官位は従一位・准三宮・摂政・関白・左大臣。光明峯... |
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二条斉敬
幕末から明治時代にかけての公卿。藤原北家摂関家の二条家当主。日本史上最後の関白であり、人臣としては最後の摂政。 |
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鷹司兼平
鎌倉時代の公卿。鷹司家の祖。近衛家実の四男。子に鷹司基忠、鷹司兼忠。暦仁元年(1238年)に従二位権大納言、右近衛大将となる。その後右大臣、左大臣を歴... |
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九条忠家
九条忠家(くじょうただいえ、寛喜元年(1229年)7月-建治元年6月9日(1275年7月3日))は鎌倉時代の公卿。摂政関白左大臣・九条教実の長男。官位は従一位・... |
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藤原忠通
平安時代後期の公卿。摂政関白太政大臣藤原忠実の長男。従一位・摂政・関白・太政大臣。法性寺殿と号す。同母姉に高陽院藤原泰子、異母弟に藤原頼長がいる。 |
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一条実経
鎌倉時代の公卿。摂政、関白。五摂家の一つ、一条家の祖。別称は円明寺殿、後一条入道関白。法名、行雅(行雄)、行祚など。九条道家の四男に生まれる。母は... |
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一条経嗣
室町時代前期の公卿(関白)。関白二条良基の三男で、一条経通の猶子として一条家を継いだ。子に一条兼良・僧雲章一慶がいる。一条経通は正平20年/貞治4年(1... |
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藤原忠実
平安時代後期の公卿。准三宮、従一位・摂政・関白・太政大臣。藤原師通の長男。日記『殿暦』を残す。別名富家殿、知足院殿、禅閤。 |
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九条教実
鎌倉時代中期の公卿。(後)九条家の祖。摂政関白太政大臣・九条道家の長男。官位は従一位・摂政関白左大臣。洞院摂政と称された。 |
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近衛家実
近衛家実(このえいえざね、治承3年(1179年)-仁治3年12月27日(1243年1月19日))は鎌倉時代前期の公卿。摂政・関白近衛基通の子。准三后・従一位・摂政・... |
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二条師基
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿。南北分裂後は南朝方に属し、正平一統の際には後村上天皇の下で関白を務めるなど、南朝政権における重鎮の一人で... |
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九条師教
九条師教(くじょうもろのり、文永10年5月27日(1273年6月13日)-元応2年6月7日(1320年7月13日))は鎌倉時代の公卿。父は九条忠教。母・西園寺公相の娘。正... |
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プロフィール
二条道平(にじょうみちひら、弘安10年(1287年)- 建武2年2月4日(1335年2月27日))は、鎌倉時代後期から 南北朝時代初期の公家。摂政・関白 二条兼基の子。官位は従一位・関白・ 左大臣。後光明照院と号する。
経歴
| 1295年(永仁3年)従三位に叙せられ公卿に列する。 |
| 1305年(嘉元3年)一条実家に大臣就任を先に越されたことを不満として籠居するが、1316年(正和5年)から2年間花園天皇の関白を務める。 |
| 後醍醐天皇即位後の1323年(元亨3年)に内覧宣下を受け、1327年(嘉暦2年)から3年間後醍醐天皇の関白をつとめた。 |
| 後醍醐天皇の倒幕計画に関与したらしく、1332年(元弘2年)鎌倉幕府により父兼基に預けられた。 |
| 幕府の怒りは相当なものがあり、息子の良基は権中納言を免ぜられ、『花園院宸記』には二条家の廃絶を通告されたことが記されている「中院禅閤(兼基)等子孫不可為家督」(『花園院宸記』正慶元年4月10日条)。 |
| 翌1333年(元弘3年)隠岐島から反撃に転じた天皇により左大臣及び藤氏長者に任じられ、1334年(建武元年)再び内覧となっている。 |
| 学芸のみならず、当時の公家には珍しく馬術にも秀でていたという『嵯峨野物語』。 |
参考文献
| 小川剛生『二条良基研究』(笠間書院、2005年)ISBN978-4-305-10362-8P21-24。 |
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